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一発完了!読書感想文:例文

小学低学年
ワニぼうのこいのぼり

にぼうは、わにのぼりをしてきもちよかったとおもいます。
おかあさんもわにのぼりをやってみたいな、とおかあさんがいいました。
ぼくは、おとうさんが、にんげんのぼりをしたら、はずかしいとおもいました。 おかあさんにはぜったいにやめてほしいとおもいました。
それで、おかあさんにはずかしいからやめて、というと、ズボンをはくからへいきだよ、 といいました。

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おばあちゃんすごい!

くははじめ、ひろたかなりってへんななまえだとおもいました。ぼくが、 かなりって名まえだったらいやです。 でも、本とうのなまえは、たかなりでした。たかなりの方がかなりよりはだいぶんましだと思います。
ぼくには、おばあちゃんがひとりしかいません。それはお母さんのお母さんで、 お父さんのお母さんはぼくが小さいころにしんでしまいました。
よしだくんには、おばあちゃんもおじいちゃんもふたりずついるので、 お年玉がいっぱいもらえるといってました。
このおばあちゃんはすごく元気です。ぼくのおばあちゃんは、いつも足がいたいといっています。 だけどぼくがおばあちゃんのところへ行くと、いつもうれしそうにおこづかいをくれます。

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ろたかなりくんってどうしてようちえんにいないのかな、とふしぎにおもっていました。 まさか、ようちえんにやってきたおばあちゃんが、ほんとうはえんちょうせんせいのおかあさん とはおもっていなかったので、わかった時にはすごくびっくりしました。
このおばあちゃんは、なんでもじょうずにできて、すごくたのしいおばあちゃんです。 ぼくもこんなおばあちゃんとあやとりやおてだまをして、あそんでみたいとおもいました。
ぼくにもおばあちゃんがいます。ぼくのおばあちゃんは、たかなりくんのおばあちゃん みたいに元気ではないけれど、とてもやさしいので、ぼくはおばあちゃんが大すきです。
おばあちゃんもこのおばあちゃんみたいに元気になったらいいなあとおもいました。

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小学中学年
ドングリ山のやまんばあさん

ングリ山のやまんばあさんを読んで

 やまんばあさんは、年をとってもすごく力もちだし、走るのも早いし、すごいなと 思いました。
 山でくらしていたら、やまんばあさんみたいに、ずっと元気なのかな。ぼくの近所の おじいさんやおばあさんたちは、元気なんだけど、そんなに力がないし、走るのも おそいです。
 だけど、きこりのしょうざえもんじっちゃは、80さいだけど、力もちです。じっちゃの おのはとても重くて、ぼくはもてません。でも、じっちゃはおのをぶんぶんふりまわして みせてくれたりします。
 じっちゃは、「山はええよ。山の空気をすうとな、力がわいてくるんや」と言いました。 だから、やまんばあさんも力がずっとあるんだと思います。
 うちのトメばっちゃも、山に行って、元気をもらうといいとおもいます。それは、 ときどき起きられなくなるときがあるからです。おかあさんは、「年をとったからね、 しかたないんよ」といいました。山に行って、山から元気をもらえば、トメばっちゃも やまんばあさんみたいに、いのししをかついだり、走ったりできるかもしれないです。

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ダンゴムシ

ンゴムシをよんで

 この本は、虫のしゃしんがいっぱいあっておもしろかったです。
 ダンゴムシは、うちにもいます。一ばん大きいのがダンで、二ばんめのがゴンです。 本当はいえの中でかいたいけれど、おかあさんがどうしてもいやだと言うので、にわの 石の下です。
 あんまりもつとよわるからだめだよ、と兄ちゃんが教えてくれたので、あまりもって いません。だから、ダンの口があんなふうになってるなんて、知りませんでした。それと、 まるくなるしくみもはじめてわかりました。
 ダンゴムシがだっぴしたり、生まれたりするところも見たいので、こんどはぜったいに ないしょでへやでかってみたいと思います。

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小学校高学年
トウモロコシが実るころ

ウモロコシが実るころを読んで

ミルパはマヤ族の言葉で、トウモロコシの事だ。
少年の名前はタイガーと言う。マヤ族の一員ではあるが、まだまだ一人前とは言えない。 マヤ族では、1人で土地を切り開き、そこに立派なミルパを実らせ、取り入れられる ようになって初めて、一人前の男と認められ、結婚が許される。
タイガーのお父さんも、そうやって畑を作り、お母さんと結婚して、タイガーとその弟や 妹を育てていた。
タイガーはお父さんの仕事を手伝いながら、大きくなったら、お父さんみたいな立派なミルパ が作れる、一人前の男になりたいと思っていた。
そのチャンスは、意外なほど早くやって来た。
お父さんがけがをしてしまったのだ。まだ充分な準備が出来ていない畑を見るお父さんは、 なんだか何時もより小さく見えた。
「ぼくがやるよ!」そうタイガーが言ったのは、ただお父さんを励ましたかっただけだった。 お父さんは驚いたように、タイガーを見て、それから、何かを決心したみたいに、 大きくうなずいた。「よし、ふたりでやろう」。
開墾は、想像以上に困難だった。タイガーの手は、血まみれになった。夜中にあまりに痛さに 眠れなくなったタイガーは、ぼんやり畑に向かった。
そこには、1人で畑の石をどけているお父さんが居た。タイガーは黙ったまま、お父さんと 一緒に石をどけ始めた。
タイガーのボロボロの手が、ゴツゴツして分厚い皮をしたお父さんの手のようになって来た頃、 2人の開いたミルパ畑には、それはそれは立派なミルパが実った。
よくやったな、お前はもう一人前のマヤ族の男だ。そう言って、お父さんは、タイガーに ナイフを渡した。
僕も、タイガーのように、困難にぶつかった時、力いっぱい努力できる、そんな人になりたいと 思う。そして、その努力こそがきっと僕の、そして、タイガーの勲章なんだ。

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ハンナのかばん―アウシュビッツからのメッセージ

ンナのかばん−アウシュビッツからのメッセージ

表紙の古い写真に惹かれてこの本を手に取った。
はにかんだ笑顔と、白いエリのワンピースを着たこの子は私と同じ年ぐらいなのかな、 と、気になったからだ。
この子の名前はハンナ・ブレイディ、13歳の少女だった。
今の私より1歳年上。だけどハンナはずっと13歳のままだ。 なぜなら、彼女はアウシュビッツのガス室でその短い生涯を閉じたから。
私は戦争を体験した事はない。両親も戦争知らない。祖母は、もう二度とあんな恐ろしい 事は嫌だと言っていたけれど、何だか遠い世界の事のように思っていた。
ハンナのかばんに出会った作者は、どうしてこのカバンが日本にあったのか 不思議に思い、かばんの持ち主を追ってゆく。
作者がみつけていった、ひとつひとつの手掛かりが、私をハンナに近づけて行った。
13歳の少女だった事、両親や兄弟がいた事、友達と教室で手紙のやりとりを していた事、大好物はアイスクリームだった事、大きくなったらお医者さんになりたかった事、 そして、ドイツで暮す、ユダヤ人だった事・・・・
作者はやがて、ハンナがガス室で殺された事をつきとめた。
私と何も変る事のない、普通の女の子だったハンナは、どうして殺されなければ ならなかったのだろうか。なぜ、そんな事が許されてしまったのだろう。
ゲシュタポは、隠れて暮すハンナ達を みつけ出し、強制連行してしまう。充分に働けないものから順番に殺されて行く。 ハンナ達は、それでも寄り添い、力づけあって暮していたのに・・・
ハンナがせめて天国で幸せに暮していてほしいと祈らずにはいられません。
そして、決して戦争はやってはならない事なのだと、ハンナのカバンは私たちに訴えているのだと 思う。

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