May

Fri 2008/05/02

日常茶摘

一昨日(4月30日)の休みは、茶摘に行った。

親の方は、既に一度は行ってると言う事やねんけども、(大した広さじゃないけども)両親二人だけだったてのもあって、全部は出来なかったと言うことで、次の休みの日には私も行くねーと言ってたら、幸い天気にも恵まれて、子供の頃以来の、ごっつ久しぶりの茶摘参加。ダンナは今回は御用があってパス。

草刈りが済んでない場所だったんで、茶の木の周辺の草刈りもちょぼちょぼやりながらの茶摘になったけども、そこそこ取れて、とった茶の葉を父が炒って私と母とでもんで干してきたよ。

父が茶の葉を炒れるようになってたのにびっくりしてたら(私が子供の頃は、ばあちゃんか母がそれをしていたから)、退職直前に勤めてた(父の地元にあたる)田舎の中学では、学校の周辺に茶を植えてて、時期になると全校がかりでそれを採って学校で使う茶にしてたと言う事で、そこで覚えたんやって。父がそれまで知らなかったのは、兄弟が多かったのと、茶摘は細々した事やし、台所仕事でもあったんで、女の仕事て事になってたからって事らしい。

もっとも、この頃じゃ、流石と言うか、田舎の生徒達は全員学校で習うよりも先に既にそのやり方を知っていたという事で、たいしたもんだなぁと感心した。


Tue 2008/05/06

多忙終わった

連休最終日(だっけ?)の昨日(5日)が、5勤最終日だった。

頑張った私へのご褒美は、発泡酒のでかい方。


Wed 2008/05/07

あの頃プレタポルテ

今こそ「ネオ・プレタポルテ」という思想が必要なんだと思う。てエントリーを読んでて、ハ刺しの事を思い出してた。

意外かもしれないけども、私はそれなりに「本格的」に服飾の勉強してて、まぁ、ドレメで学んだ事がある訳なんですわ。

元々好きでやってた訳でもないし――自分の服が作れりゃいいや、と思っていた私の思いと裏腹に、ホンキで服飾目指してる人がとても多くて、私てばむっちゃ「場違い」だった?!と、それはそれは後悔した――、今の事情がどうなのかもよく知らないけども、80'当時では、日本の服飾(モード、とした方が正しそう。後、婦人服がメイン)業界(て言うの?)は文化とドレメの二つの大きな勢力みたいのがあって、正確なところはちょっと違っているのかもしれないけども、文化はプレタ・ポルテ(既製服)、ドレメはオートクチュール(仕立服)になってるんだよと、先輩から聞いていた。

んで、80'と言えばバブルの頃でもありまして、デザイナーズブランドみたいのが流行ったりもした訳ですが、DCブームになるちょっと前辺りから、ケンゾーとかイッセ・イミヤケ(だっけ?)が世界的なデザイナーとして知られるようになってて――今になって考えてみると、あの頃って、バブル前夜て雰囲気だったのかなぁ――、先輩から、もうオート・クチュールの時代じゃないのよ、みたいな話を聞かされて、ファッション業界も大変なんだなぁ、と思っていた。

#何だか他人事みたいだけども、あの環境下にあった私は明らかに浮いていて、ただ、服飾に「ホンキ」な人てのは、この頃で言うところのスイーツ(笑)な感じの人とは明らかに一線を画していたように思う。なんつーか、どっちかで言うとアート寄りな人たちだと、私には感じられていた。
#何と言うか、「生存戦略の為のファッション」と「自己表現としてのファッション」てのは、ものすごくベクトルが違っていて、私は、前者が「所謂スイーツ(笑)」で、後者は「モード」なんじゃないかと考えている。
#ここんとこについて語りだすと話が又別の方向にも行くように思えるんで、このぐらいにしておく。実際には二つに分けるのはちょっと違うと思っている。

で、「ハ刺し」。

これって、どのぐらい知られてる言葉なんだろう?と思って、ちょいと調べてみたら、ハ刺し、ほうほう、機械縫いでもやれるんだ。だけども、やっぱ今でもオーダーメイドの世界の話ではあるみたい。

出来上がりや効果について知りたい人はリンク先をてきとーに見繕って読んでもらうとして、「ハ刺し」ってば、やり方がかなり強烈なんだわ。

「ハ刺し」てのは、主にテーラードカラーの襟に美しい曲線を出す為に、襟芯を襟(の生地)に縫いつける際にする作業です。

ちょっとだけ襟の生地をすくうって作業の為に、針の出具合を確認しながら指先で針の先を拾って確かめつつ、芯地を襟生地に縫い付けていくのね。それやりながら、徐々に襟の曲線を決めて行くんだわ。そんな訳で、指先が針先でつつかれた小穴だらけになるんですわ。

最初にやり方を聞いた時には、正直びっくりした。いやさ、ちょっとつつくだけやから、痛かったり、出血したりする訳やないねんけども――と言うか、それだと、ちゃんとしたハ刺しにはならない――、美しい服を作るって、何だか壮絶だよなー、と感心したり、「お針子さん」てば、そこまで手間隙かけてもそれを自分が着たりはしなかったのかもしれないんだよな――元々、紳士服のテーラードカラーに使われるのがメインだったし、婦人服の襟はフラットカラーが普通だったから――みたいな事も考えさせられて、「ハ刺し」って言う縫製テクニックは、私に結構強烈な印象を与えてたのよ。

#同期の子で、ハ刺しを「非人間的」だ、と呼んだ子も居て、それに関しては、気持ちは分らなくもないけども、他の業種でも多かれ少なかれそういった部分があるのかもしれないなー、と思った私は、指先に「針先」の跡がつくこの作業が「どの程度」問題になるのかは結構微妙なんじゃないかな、と、当時は思った。
#ただ、今になって考えてみると、これを「非人間的」だとする方が、うちらは「得」したかもしれないな、とか、「非人間的」である、とするよりは、いっそ、身体的な「犠牲」を払っているとしてしまった方がより「得」だったのかなぁ、とも思う。
#一方で、これが「技術」だ、みたいな美意識みたいのも捨てがたい気がして、こんなんってむずいよな、と、思う。

今になって、冷静に考えてみると、DCブランドてば、既製服の「癖」に高過ぎたんじゃないかとも思えるねんけども、ハ刺しはもちろん、原型作るんだって、何度も採寸やり直して、仮縫いやり直してたにも関わらず、うちらは、既製服の画一的な部分に、より魅力を感じてたりもしたんだわ。

リンク先の文章読んで、だよなー、そうだよなー、優美な個別の曲線よりも、ミシン目に、より「美」――てのとはちょっと違う気がするけども、うーん。どっちかで言うと「新しさ」みたいな感じかな。ああ、そうそう「カッコイイ」と感じたんだ、たぶん。――、を感じたってあるよなー、と思ってさ。

モードに対しては、元々別世界て気持ちを持ってる、服「飾」じゃなくて服「装」文化圏の私だけども、カジュアルな「モード」てのは(元来のチープ嗜好と相まって)面白そうだよな、と思う。

だけども、オートクチュールは、もう沢山w


Sun 2008/05/11

ゲームwiz6終了

さっきクリアした。2回目であるにも関わらず、ものすごく苦労して、とてもとてもくたびれた。

最初にプレイした時は、ストーリーと謎解きに引っ張られて進んだって部分があったけども、それだけに、中途半端に覚えてるとお仕事感みたいのがあって――まぁ、プライベートが忙しかった、てのもあるかもしれんけども――、他の楽しみ方(アイテム集めとか、キャラを育てるとか、多彩なシステムとか)が少ないと、(アクション性の少ないタイプの)RPGてば、それ単体で繰り返し遊ぶにはきついもんがあるよな、とか思った。

そーゆー意味じゃ、オンラインのMMORPGてののコミュニケーション部分てのは、長く遊ぶ為にはいい仕組みなのかもしれないな、とは思った。

だから、「ずっと課金」みたいな形になってるんだなぁ、とも思ったけども、ゲーム内時間がずっと流れ続けるて仕組みは、正直怖いなと思う。


ウェブソーシャルじゃないブクマ

SBMは、基本、自分の為のリンク集として使ってて、これが出来るまでは、気に入ったサイトとかは、とりあえず自分のサイトのリンク集に入れてたのが、これができたお陰で、その手間がなくなって助かったなぁと思っていた。

後、自サイトのリンク集は、(私の気分としては)ディレクトリ構造になってて、分野や興味が「またがる」ものがあるのを無理やり分けてしまっていたのが、不本意だと思っていたのが、タグ付けによって、その問題が解決したのも中々気持ちいいと思っていた。

基本が「リンク集」なので、コメントを利用する必要をあまり感じたことが無く、結構多い(と言うか、もしかするとこれが多数派なのかもしれない)ブクマにコメントを入れない人ってのは、私のような使い方をしてる人が多いのかもしれないな、と、漠然と思っている。

#ただ、めったに入れないコメントにレスがついた時に、(実は)初めて、コメント入れる事によるメリットに気がついて、もうちょっと積極的にコミットしてもよかったのかもしれないな、とは思った。
#教えてダンコーガイの呪文を唱えるよりも、はてぶに何か書く方が、多数の人の返答が得られる可能性が高いのだと知ったのだ。

随分昔に、他人のブックマークを見てみたい、と言うか、「全てのブックマーク」を公開する度胸がある勇者って、あんまり居ないんじゃないかなー、と考えた事があって、SBMが出来た当初は、とうとう、みんなの(文字通りの意味での)ブックマークが見れるようなサービスが出来てしまった!?とびっくりしたけども、実態は、あんまりそうはならなくて、特に「あとでよむ」ってのと「これはひどい」タグには当初とても驚いた。

google以降の私の感覚では、リンクを貼るって行為はそのサイトなりエントリーなりへの「人気投票」ってニュアンスがあると思っていて、ブックマーク≒リンク集て気分の私の感覚だと、基本「良い」と思ったり「興味深い」と思ったりしたから、ブクマに至る訳やったのが、読んでなかったりひどいと思ったりしたから、ブックマークする、てのがあるんだと知って、なんだかなー、と最初に思って、それから、ツールってのはそんなもんなんだなぁ、と、改めて実感したんだわ。

さて、SBMが必ずしも人気投票じゃないと分ったのと前後して、SBMは、只今の注目の話題を教えてくれるアイテムなんだと知って、これって、何だか小規模なTVみたいなもんなのかもしれないな、とか思った。

「みんな」が今何を見ていたり、何に興味を持っているのかを教えてくれるツール、みたいな。

#「みんな」には明らかに御幣があると思うけども、IT関連の仕事についている人の割合が、圧倒的にリアルよりも多いいんたーねっとだと考えると、それ関連の話題に多くのぶくまがつくのは、「同業者」が何をしているのか?てのは、場合によっちゃ「消費者」よりも気になる部分だから、てのもあるんじゃないかな、とか思ったりもする。

日本料理店に勤めていた頃は、やって来たお客様が「同業者」だったりすると――正確には、「同業者らしい人」やねんけども、雰囲気が、ちょいと一般のお客様と違っていると言うか、「玄人くさい」お客様だったりすると、むむ「同業者」?!みたいな感じ――、一種独特の緊張感があったりして、気にせずにはおれない部分があったりしたんだわ。

てのは、実は前置きではあります。

いやね、「全て」のブックマークを自分に紐つけしてる状態(≒IDをこんな風に呼ぶのはちょっと違っているのかな?)で晒す「勇者」って、やっぱあんまりおらんのかなぁ、こないだのよく行ってるエロサイトが被ったら、てやつやないけども、私の場合は、SBMとは別に、ブラウザのお気に入りからしか行けへんよく行くサイトって結構あるよなぁ、とか思いつつ、ものは試しに秘密のサイトに自分ではてぶつけてみて、どのぐらいの人がSBM(≒はてぶ)に登録してるか見てみたくなって――これを見たいからぶくまする時のタグは[ブクマ調査]にしている――ひょっこりやってみたら、おおおお!48ユーザー!!

微妙に嬉しかった。だけども、うちプライベートモードが30。


Thu 2008/05/15

思索サイコロ

ポジティブ教とか自己責任とかの話を批判しているのを見ていや〜んな感じになったり、一方で共感を持って受け入れられたりするのを見てて、うーん???何か違うよなーと思ったり。

どっちにもピンと来ない私は、サイコロ教です。

私が、自分はサイコロ教だったんだ、と気がついたのは、結構ここ2、3年の事で、これは、私が持ってるある感覚に私が勝手に「サイコロ教」と名付けただけの事やし、当然布教しようって気もないねんけども、「現実的」と言われる多くの人(≒加齢によって(恐らく)比率が多くなる、ある意味「普通の人」)って多かれ少なかれ、私と似たような傾向があるのかもしれないなーとか思って、ちょっと書いてみようかと思ったんだわ。

尤も、私は、自分が現実的な人なのかどうかは、イマイチよく分らない。だいたいが、比較する対象がないんで――2者間での比較だと、相対的にどっちの方が現実的である、みたいなやり方は可能だけど、「全体」の中のどの辺の位置に居るのか、みたいなのは知りようがないし、よくあるアンケートみたいなのでも、精度にかなり疑問があったりする事が多いので、「計りようがない」てのが、(ある意味)最も「誠実な答え」じゃないかとは思っている。――、人から言われたり、前のポリティカルコンパスの結果なんかから考えて、どちらかと言うと現実的と言える傾向があると言えるんじゃないかな、と、漠然と思っている。

#ダンナからは、「夢」がないと言われ、子供からは「ゴリゴリのリアリスト」と呼ばれている。
#私から見ると、ダンナは「計画性があまりない」か、あっても「(自分にとって)最善の結果」を前提に物事を考える傾向が強く、「情緒的な判断をしがち」に見えて、む上は「計画性はそれなりにある」が、「計画倒れ」になる傾向が強く、「感覚的な判断をしがち」に見えて、む下は「最悪の場合」を前提にして考える傾向が強いので、「行動に移すのが困難」で、「直観的な判断をしがち」。で、一方の私は皆様に比べると、「現実的な判断」をするとは言えるねんけども、為に、出来る事「しか」しない上に無理の無い計画「しか」立てない傾向があって、結果「現状追認善後策」てな後手後手の行動が多くなってしまうのだった。

さて、キリスト教(≒一神教?)的な意味で「無神論者」な私だけども、それでも「祈る」気持ちはあるんだわ。だいたいが、自分にはもう何も出来ないけども、なんとか(ええ具合に)なって欲しい、てな思いがある時、祈るのね。

で、私は一体何に祈ってるんだろう?と考えたらば、私は「サイコロ」に祈ってるの。もしもそれを神と呼ぶなら、私は「確率の神様」にお祈りしてるんだわ。

ラッキーマンじゃないけども、結局は「運」だと思ってて、それでも、「6出ろ6出ろ」と念じつつサイコロを振る感覚が、私の「祈り」の感覚に最も近いな、とある時気がついて、以来私は(自称)「サイコロ教徒(=信者)」です。

サイコロ教徒は「運」も「努力」も両方認める。

「敢えて」なのかもしれないけども、あの手の論争(?)にずっと違和感持ってたのは、「運」と「努力」て対立してないのに、対立してるみたく見えるような表現があって、違うだろーと思ってた。

「人事を尽くして天命を待つ」て言うじゃない。人事を尽くしたからといって、必ずいい出目があるとは限らない。だけども、必ずいい出目とは限らないからと言って「人事を尽くす」のが無駄とは言えない。

何もしてないけども「運」が回ってくる事もあれば、あらゆる努力が裏目に出る事もある。

だから「結果」はサイコロに任せてしまって、私に出来る範囲だけを射程とする。


Fri 2008/05/16

映画マッハGoGoGoとか

だんなは、ここんとこは、パンドラTV(韓国版)でドラマ見てる事が多いねんけども、パンドラTVって途中途中にCFが入るじゃない。

で、「おいおいおい、これなんや思う?」と呼ばれてひょっと隣のモニターのぞいたら、あれっ?サンダーバード?!

く「さっき映ったの2号ぽかった」
だ「やろ、そうやろ」
く「おー、3号や!1号や!てか実写で出来たん?」
だ「みたいやなー」

プロモって感じの作りで、途中途中で出て来てうたってるのは、TOKIOなのかな?イマイチそっち系はよーわからんけども、この実写、ものすごい原作に忠実な作りになってて、大喜び。

く「なつかしー。私ねー3号のちっこい模型と羽根が開くようになってるブリキ(鉄?だったのかな?)の1号持ってた。やっちゃん(弟)は2号のプラモデル作ってたで」
だ「ワシも2号が良かったな。2号は色々乗せれるとこがええねん」
く「2号デザインがむっちゃかっこわりかったやんか。乗せれるって、そらカーゴやもん乗せれるやろよ。んでも一番好きやったんは、4号やな。かわいいし」

したら、今日は、おいこれマッハ号ちゃうか?と。

うおー、マッハ号や!実写や!公開されてるん?見たいみたい。

つー訳でちょっと当ってみたら、むむむ。日本公開は今年7月。見たいなー。

後、韓国映画のCFでもすごく面白そうなホラー映画があって、あのCF出るたびに見たいねー、てかタイトル何ってゆうんやろ。日本でも公開になるんかなー、とそわそわしてるやつがあって、あーゆーのはどうやって調べたらええんやろか?そもそも韓国語が読まれへん訳やけども、コピペ入力するにも、動画からじゃ無理やし、頑張って読んで(と言うよりは字の形を覚えるなりメモするなりして)も、韓国語の入力をできるようにせんとあかん訳やし。むむ。


思索受益者負担

何度も起きてる「匿名」「実名」論争を今回「も」ぼんやり眺めながら、ごちゃごちゃ考えてはまとまりつかないなーと思っていた。

私は、基本的には「匿名派」な訳ですが(参照)、一方で実害を最重視する(参照)てなスタンスとってまして、もしも、「言論の自由」と「生命財産(生活)の危機」のどっちか一方を選べと言われたならば、後者を採ります。

私が、「言論の自由派」とならば小倉先生の方を支持する理由もそれです。

私は、ネットの言論が自由であることを切望して止まないけれど、私の生活を賭してまでそれを守ろうとは思えない。

「匿名の卑怯者」てのは、「リスクを負うこと無く他者の生活を脅かす行為」だと考えるならば、それは(少なくとも、私の感覚では)何らかの「早急な対処」がなされるべき問題だと思える訳ですわ。

単に、その「方法」が「実名化」てのは違うだろーと思うだけで、対処は必要だと思っている訳です。

#個人的な、と言うか「私だけの」私利だけを問題にするならば、規制なんて「全て」いらないとも思ってるけども、それに「うちのこ」や「うちのみうち」や「友人」や、てな、至極狭い範囲を含めてしまうだけで、「全て」は怖いと思える。
#月謝で済む程度の被害(≒小額の金払って終わりになるような被害)ならば、笑い話にもなるけれど、流出してしまったプライバシーは元には戻せないし、追い続ける事も不可能だ。ましてや、明らかな悪意による犯罪に巻き込まれてしまった被害者を責めるのはあまりに酷だ。
#うちのこは「成りすまし」の被害を受けた事があるし、知人(てか子供の知人)には、2chで住所氏名を晒された結果、実家周辺で「張り紙」をされた上に、ちょっとしたストーカー被害にも遭っている。

それを「一部の人」と切り捨てて、「言論の自由」を謳うのは、違うだろー、と思っている。

ただ、私は、「言論の自由」てのは、はほんとにほんとに有り難い事だとも思っていて、何とかこれを「維持」したままで「生命財産の危機」を免れる術はないだろうか?と考えるのだ。

「実名」にだって弊害がある。私が最も大きいと思えるのは「名誉毀損」てやつで、社会的地位に紐つけされている「実名」だからこそ、それは発言者の問題になってしまう場合って少なくないじゃない。もしもその言説が、社会的地位から離れたものだったのならば、逆に「言説そのもの」だけを問題に出来る、てなメリットがあると思うねんな。

少なくとも、発言が発話者と分離する事で、その言説は「言説だけ」のものになって、受け手のリテラシの問題になる訳で、(それはそれで問題あるとは思うけど)そうすると、少なくとも「ガチガチの鉄板」みたいな言説「以外」の部分にも、私たちが触れる機会が得られるばかりじゃなしに、語る側も、踏み込んだ事が語れるようになる部分ってあるよね。てか、多くのブログを見ていれば、そのメリットを説明するまでもないような、わっかりやすいメリットが現にある訳よ。

だけども、差しあたっては「匿名支持者」の側から、

匿名性を維持したまま匿名の「犯人」をなんとかする方法
と言った具体的な方法や提案があまり出ていないように思えるんだわ。

私たち、匿名支持者が考えなくちゃいけない問題てのは、小倉先生を「叩く」事じゃなくて、「実名」に対抗できるような、具体的なアイディアを提出する事なんじゃないかと思う。


Tue 2008/05/20

おもちゃテキストエディタ

HPを始めたばかりの頃に、日記CGIを使っていたけど、とてもとてもめんどくさくて、だけども、当時の私は、日記と言うのは「毎日書くもの」で、HPと言うのは「更新しなければならないもの」だと思っていたので、それを使って毎日日記を更新していた。

ずっと昔の頃だけど、読んでた友人から、日記書くのつらそうだね、と言われて、うん。とてもつらい。仕事だと思ってやっている。と応えた。

編集するのにもいちいち送信したり、後、書いてる途中で保存できなかったり、ちょっとした誤字や接続詞や語順や語尾を変更しようとするだけで、サーバに送信しなきゃいけないのが、とてもいらだたしいと思っていたのよ。(だから、一方でオフラインで作業が出来てしまうメールを書くのは苦にならなかった)

で、ブログ。私は、取りっぱなしで(ほぼ)放置しているブログが(実は)幾つかあるんだわ。何度か、日記の部分をブログに変更しようと考えた事があるねんけども、どれも今使ってるテキストエディタよりもずっとずっと使いにくくて、どうしても移れない。

出来た資料を整理するのには、とても便利で楽だけれど、資料そのものを作成するには、かなり不便、てのが私の感覚やねんな。

で、整理の便利さと、日々の使い勝手のどっちを優先するかとなると、どうしても後者になってしまう訳だわ――しかも、なまじっか自分が使いやすいようにごちゃごちゃカスタマイズしてるから尚更離れられない――。

#これは、私が、最初からPC入手と同時にネットしてた人じゃなかったこともかなり影響してるんじゃないかと思うねんけども、オフラインのツールを既に多少は使えるような状態ではあったんで、どうしても使い勝手を比較してしまうてのがある。

この、今使ってるテキストエディタの使い勝手(私固有のカスタマイズやらマクロやらも込みで)をそのまま利用できるようなブログツールサービスがあればいいなと思う。

うちの親方のとこは、ブログツールの使用は禁止になっているので、ブログサービスと変更したけども、元々ツールを利用しようって気はあまりない。(2008/05/21 01:10:41)


メモ理解・共感

昔、む上が言ってた言葉で、ほほぉ。なるほどなー、と、すごく感心した台詞があってさ。

語彙が(相対的に)少ないと感じられる相手の言ってる事が上手く理解できないと思う時にね、色でも匂いでもいいから、その感じを言ってくれ、と思う。てさ。

ああ、そうだよね。と思って。上手く言葉にできないけども、何か伝えたい事があるんだと言うのが分る時ってあって、せっかちな私てば、そんな時についつい質問攻めにしちゃう傾向があるねんけども、絵とか音とかみたいな「言葉」を離れたアプローチも大切だよな。と。

尤も、「視覚」てのはものすごい曲者だから、挿絵的なメッセージが明らかな絵にはかなり注意が必要だとも思うけどね。


Sun 2008/05/25

思索消費行動

色んな事が勝手に結びついてしまって、どーにもこーにも考えがまとまらないんで、とりあえず、書き始めることにした。

きっかけになったのは、一部の人の間でちょっとした話題になっていた、id:umetenさんへのお返事 - Ohnoblog 2の中のkanimasterさんのコメントから発展した色んな話題についてやねんけども、私個人としては、ネガコメ云々には特に興味はない。

私が考えていたのは、kanimasterさんが書いた「 書評に対して著者が物申す行為は何の恥部だったのか」と言う言葉(の意味)についてやねんな。

私は、このコメントがつけられた元記事、id:umetenさんへのお返事を読んだ時に、微妙な違和感があって、だけどもそれは「恥部」って言うのとも違うんだけども、うーん。どっか納得できないなーと思っていたんだわ。

で、その違和感は確かに「書評に対して著者が物申す行為」の周辺にある事やねんけども、「書評に対して著者が物申すと言う行為」に対する違和感と言うよりは、この「文章のありよう」への違和感だったのね。

が、私がぼやぼや考えている間に事態はどんどん進んでしまって、当初の私の違和感とは全然関係のない方向に行ってしまった。

ちょっと遠回りぽくなるけども、元々まとまってない事をまとめてみようという試みなんで、差しあたっては、そのコメントそのもにに関してとりあえず書いてみる。


このkanimasterさんのコメントに対してohnosakikoさんは、「書評に返信するのが恥部という考えは何の恥部ですか?」と、返信している。実は、私は、最初このコメントの意味が全然分らなかった。

もしもこれが、「書評に返信するのが恥部という考えはどういう意味ですか?」とか、「書評に返信する事のどの部分が恥部と呼べるのでしょう?」なら分るんだけどなー、これじゃ意味不明だよ。と思っていた。

が、「書評に返信するのが恥部という考えは何の恥部ですか?」という文章の意味は、次のエントリ、回答の自由とネガコメ書き捨てのリスクCommentsAdd Starの中の「相手にとってネガが拡大される場合」のところにある以下の文章でやっと分った。

ブログ主の姿勢を批判気味にあげつらうこと自体は、まったく自由だ。そこで、「どういう根拠でそれを言うのか」という意味で、ブコメを書いた。あの「おうむ返し」の書き方には、「そんな考え方こそ恥ずかしいし失礼なのでは?」という皮肉と怒りを込めたつもりだが、それも通じなかったようで残念である。

私が分らなかったのは、まさにこの「おうむ返し」がついていたからだったのだ。そしてだからこの文章は意味不明だったのだ、とも思った。

「どういう根拠でそれを言うのか?」と言う問いと、「そんな考え方こそ恥ずかしい」は結び付かない。なぜなら、「どんな考え方」なのかはまだ示されていないのだから。と、私は考えたのだった。

又、「そんな考え方こそ恥ずかしい」と言うのが、「ブログ主の姿勢を批判する事」を示しているのならば、つまり「ブログ主の姿勢を批判する事は恥ずかしい事である」と言うのが、大野さんの仰りたい事ならば、ふつーに同意できない。書き手の姿勢を批判する事事態にはなんら問題が無い、と言うか、それはそれで重要な事だとも言えると思う。

#「批判気味にあげつらう」と言う表現は大袈裟に過ぎると思う。傷ついたと言う事を相手に伝えるのに必要なものとは思えない。もっと言うなら、ギャラリーに向けて書かれた印象操作のように見えて(私には)不快だ。

ただ、このエントリーの記事と、大野さんの書かれている記事やコメント欄を読んでみても、真摯なやりとりが為されている事はよく分るので、もしもkanimasterさんのコメントの意図が、大野さんが推察されたように、<著者の「姿勢」を「何の恥部だったのか」と軽い気持ちで揶揄する>というものだったのならば(と言う前提でこのエントリーは書かれていると思っています)、腹が立つのは分ります。真剣になっている事を揶揄されたら私はとてもむかつきます。

それはそうとして、皮肉と怒りを込めたのが通じたから、返事がなかったのだと思います。この文章は、既に読み手が回答(軽い気持ちで揶揄した)を持っている上での質問の形を取った非難ですよね。求めているのは答え(kanimasterさんの見解)じゃなくて謝罪だと考えて差し支えないかと私には思えます。ですので、この件に関しては、kanimasterさんは答える必要はないと思います。したかったらすればいいですが、もうとっくに話はここから離れています。


と、ここまでは、コメントのやり取りに関する私の見解で、私としては、これは、この2個のコメントのやり取りで、既に終わった話と思えた。以降のネガコメ書き捨て云々は揉め事としては面白いけども、自分にとって得る所があるとはあまり思えない話だった。

で、改めて、これとは切り離して、id:umetenさんへのお返事というエントリーに感じた違和感はなんだったんだろう?と考えてみる。

ぶっちゃけ、アートにもアーティスト症候群にもさしたる興味が無い私は、本書の潜在的な読み手ですらなく、書かれた書評の「内容」にも書かれた返信の「内容」にも、特に思うところはない。

ついでに言うなら、著者と読者がやり取りすると言う事に関してならば、むしろ望ましい事だとも思って居る。もしも私が何か本を読んで疑問を持った時に、著者がこのように応えてくれるのならば、むしろ嬉しいんじゃないかとも思う。殊に、私が本の内容よりも「著者自身」に興味を持っていたのならば、願ったり叶ったりで、大喜びで質問しまくるだろう。

が、このエントリーのあり様には、違和感があった。

で、何だろうなーと、考えるに、著者が、読者の書評への返信の為の解説の手段として、本書には書かれていないブログの過去ログを引いたのが、フェアじゃないように思えたてのがある。

で、ああそうか。これはあれだ、スタンドアロンのコンシューマゲームにオンラインゲームのルールを持って来ているように思えて、感じ悪いなと思ったんだな、と気がついた訳さ。

(ピンと来ない人の方が多いかもしれないなーと思いつつ)これは、あれだよ。アウトブレイク問題だわアウトブレイクFILE1の事

ここでも書いてるみたく、アウトブレイクFILE1では、エクストラモードてな、ある条件を解除しないと出せないモードの、解除キーとも言える条件が、オンラインでプレイしないと出せなくなってて、オンラインでプレイ出来ないユーザーから、ものごっついカプコン批判が出た訳よ。

もちろんこれは、書評で出された読者固有の疑問に応えるって本エントリーのあり様とは直接関係ないけれど、(現時点では)スタンドアローンでしかあり得ない「本」って媒体の特徴を考えると、インタラクティブにやりたいのなら、「答はwebで」にはしないで、「全てをwebで」にしないと、何だかずるいと言うか、私が本書を買って、こう言った形で、本文の補足説明みたいなやり取りがあるのを知ったら、微妙に「金返せ」て気分になりそうだなー、と思ったんだわ。

後、書き直す、みたいな事を書いているのを読んだ時にも、(「金返せ」に近いねんけども)β版を有償で公開して、デバッカーに文句言うってあり得ないよなー、てな感想も持ったりした。

こう考えてから、うわ、これってゲーム脳?と思ってから、消費者視点でもあるよなー、とは思ったけども、まぁ、だいたいこんなふうなひっかかりを、あのエントリーから受け取った次第だけども、潜在的な読者にもなり得ないからこそ、「損得」が最初に来たのかもしれないよな、とは思った。


で、その後興味深いなと思ったのが、「ネガコメ書き捨てのリスク」と言う言葉。

ネガコメ書き捨ての人と書かれている事に対して、人格批判では?みたいなやり取りがある訳やけども、私は、基本「ななしさん」に対して人格批判するのは不可能と言うか、やっても意味が無いと思ってる。単に私のツラの皮が厚いだけなのかもしれないけれど、人格批判に対しては「だから?」としか思えない。

匿名さんのネガコメ書き捨てにはリスク等ないし(ネガコメ書き捨ての人と言われた所で(場合によっちゃ)せいぜい本人が傷つく程度で、何か困る事が起きるわけじゃない)、匿名さん相手に人格批判なんてする事自体が無意味(せいぜい相手を傷つけたと勝手に思ってちょっとはすっきりするかもしれない程度)。むしろここでは、「実名」と「匿名」の非対称性が問題なんじゃないかなぁ、とか思っていた。

「ネガコメ書き捨て」てのは、匿名性の悪い点じゃなくて、むしろ匿名のメリットで、民主主義の根っこの部分なんじゃないかと思ってる。発言には必ず責任がくっついてしまうてのは基本的には好ましくない状態だと思う。

ネガコメも人格批判もただの言葉であるうちは、やっちゃっていいんじゃないの。匿名のあなた(私)が失うものがあるとしたら時間ぐらいだから。

が、一方の大野さんは、実名でもって、web上で(ある意味)営業活動をしている訳でして、好ましくない発言は、一種の「営業妨害」にもなってしまうじゃないですか。

今回の件で、(tomo-moonさんのみたいな)他のひどいコメントよりも、kanimasterさんのコメントに大いに反応したのも、このコメントが著者にだけ向けられたものじゃなくて、「書評に対して著者が物申す」と言う「書評者」が関わったからじゃないかと推察している。表現が適切じゃないかもしれないけども、「お客様に失礼がある」と言う感覚からの非難であったように思えるんだわ。

実は、こないだからずっと匿名と実名について考えてて、この非対称性が物事をいっそうややこしくしてるように思えて、「言論オンリーでやってく匿名圏」と「人やモノ(金)が介在する実名圏」をいっそ分けてしまったらどうだろう?とちょっと考えたけど、それもつまんない気がする上に、私にとっては最も好ましい状態てのを考えると、これじゃ色々不便そうにも思えたんで、これは却下したのだった。

美味しいトコ取りしたいんだよねー。私はw。


Tue 2008/05/27

日常プリンタ

昨日は、新しいPC買ったという友人のトコに接続関連の方で、手伝ってくれない?とか言われてたので、やれることがどのぐらいあるかは分らんけども、てな言い訳くっつけといて様子を見に行ってた。

私は、一般人のおばさんとしては(て、程度に)PCには詳しい人と周りからは見られてて、越してくる前にも、こっちに来てからも、時々そんな事があって、そんな時には、ちょいとしたおやつをご馳走になったりして、道楽の延長やのにから申し訳ありませんねぇ、とか言いながらも、図々しく頂いてしまったりしてる。

んで、今回買う事にしたらしい新しいPCてのは、DELLのやつで、値段調べてたらノートよかずっと安いのが気に入ってそれにしたけども、前はノートだったから色々繋ぐ事もなかったのが、今度はそうもいかないようだった、てのと、プリンタの接続がわからない〜、みたいな話で、むーん。プリンタと言われても、私ももうずっとそっちは使ってないしなーとか思いながらでかけた。

で、行ったはいいけどあんま自信がない。な訳で、開口一番、

く「でもねー、私ねー、プリンタたら、もう十年前にシリアル接続のやつを使って以来まるっきりやでー、USBやったらええんやけどねー。分らんかったらごめんやで」
ゆ「あー、かまへんかまへん。私らwin95のSCSI以来やし。後、ネット接続もみて欲しいんやけど」
く「うー。ネットはねー、どっちかで言うとプロバイダによるとこのが大きい思うから、あんまてつだえんと思う。PCの方もねー、メーカー毎に仕様が違うからねー。」

と、最初から言い訳ばっかしながらもおニューのPCを今初めて立ち上げると言う事で、電源入れてみたら、DELLのインストールガイドみたいのが始まって、画面が既にGUIで、おおっ!キーボードの種類を選んで下さい、以下がプルダウンメニューになってる。ひえ〜、メーカー仕様すげー。

ほぉ、と感心してたら、矢印クリックでどんどん次に進んで行って、このままインターネットの設定も出来るみたいな事が書いてる。こちらも、すごくシンプルに「市外局番」を入力とか書いてる。

ゆ「これでいけるんやろか?」
く「うーん??どうなんやろ?まぁ、あかんかったら後で変更は出来るんやから、やっといたら」

てな感じで、どうもこれがOSのインストールみたいな事らしく、一通り終わったところで、XPの画面が出て来て、おお、いけたみたいやねー、と一安心。

んじゃま、さっきのでホンマにできてるんかどうか分らんから、ネットしてみる?とIE立ち上げたら、あらら、繋がらんみたい。てかダイアルアップやねんな。

あー、あれってアクセスポイントとかそんなんあったけども…と、私が考えてるうちに、友人は即ケータイからサポートセンターにTEL入れてる。

ひえ〜、その発想はなかったわ。と思ってるうちに、電話で聞きながらネット接続に必要らしい(たぶん、サーバの)数字をどんどん入れていって、そっちの設定はできたぽい。

が、どうも繋がらない。てか、パスだかIDだかが一致しないと弾かれてるみたい。聞くと、何度か契約内容変更してて、入れたID(とパス)が昔のやったぽい。んで、最新のらしいのを探して入れたら、おお、無事繋がった。良かった良かった。

次にメールの設定で、メールサーバの方設定やねんけども、これもプロバイダ毎に違うからなー、うちは両方@マーク以下やったけど、とか言ってたら、前のPCに入ってる、て事で確認してみたら、違ってて、そいつを拾って入れてみたら、おk。

んで、いよいよプリンタに。おお、これはスキャナもついてる複合機だー。実家にもあったけども、あっちのは電気屋さんにやってもらった、てお話で、私は接続とかはやってない――ても、私が借りに行くまでは、一度もスキャナは使ってなかったと言う話で(つか、そんなのあるのは知らなかった、と言われた)、宝の持ち腐れと言うか、ぼったくりというかなんだかなーとは思っていた――。

梱包は解いてるけども、まだ全開には至ってないらしいプリンタの後ろ側を見たらば、れれ?ケーブルが見当たらない。うちの昔のプリンタにあったみたいなシリアル接続のポートもない。なんも出てないねー、とか言ってたら、これかな?と友人が出してきたのがUSBぽいケーブルで、見たらおっ。あったあった。ここみたい。と、繋いでみたら電源も入った。USBて楽やねー、とか言いながらプリンタのドライバインストールして、プリンタの設定に。

前面にパネルがついてて、説明が出るみたい。彼女がその説明読んで、私は紙に書いてる方の図解を見ながら、みたいな感じであれこれやってたら、おお、大丈夫やったぽい。パネルにOKが出て、お試し印刷が始まった。なんとそれが、約13分かかるとの事。

ゆ「前のプリンタの時はこんなんなかったでー」
く「いやぁ、これ見て思い出したけども、私の時はあった。あったけども、瞬殺やったで。なんか一列出て来ておしまいやった」

見てると、ものごっつ丁寧に細かい色調のやつが着々と印刷されてて、プリンタもすっげー進化してるんやねー、と感心した。

やれやれ、終わったね、と言って時計を見たら、なんやかんやで3時間近くかかってて、こんなんって結構ええ時間になってまうよねー、とか話した。見せてもらったスペックは、なかなか素晴らしくて、PCてばほんとお安くなったよなぁ、後、経済的な理由からは自作のメリットて殆どないよなぁ、と実感した(けど、きっと次も作るだろうなと思う)。

もしかしたら、パラレルポートだったかな?と後で思ったけども、今となっちゃ殆ど死語とも言えるようにも思えるんで、調べる事も訂正する事もしません。すまんのぉ。(2008/05/29 01:54:58)


epsexe170

ゲームVアップ

と言う事なんで、ePSXeの最新版を早速DLして、古いバージョン(160の方)のに上書きしたら起動できなくて、まずいまずいと古い方も再びDLしてもう一回上書きして元に戻した。

んで、改めて新しいバージョンの方(170)にプラグインとbiosコピーして、それからエラーメッセージに出てたzlib1.dllを探してDLして170の本体が入ってるフォルダに入れたら起動出来た。

続けてプラグイン、CD-ROM、コントローラの設定やって、ドライブに丁度wiz7が入っているから試しに選んだらちゃんと動いた。

差しあたってはめでたしめでたしやけども、古いバージョンに上書きしても大丈夫なのか?とか、メモリーカードそのまま移しても大丈夫なのか?とか、録画録音も同じように出来るのか?みたいのは、まだ試してない。

前に、緒戦で勝ったとたんに止まってしまったダビスタにもリトライしときたいな、とか思ってる。


Sat 2008/05/31

web検索エンジン

なぜ日本ではGoogleよりYahoo!がよく使われるかて、エントリーを読んで、(実は)今でも日本ではYahoo!のが多く使われてるんだ、と知ったりした私は世間知らずですが――らんどのアクセス解析だと、Yahoo!経由よりはGoogleの方が心もち多くて、それよりもっと多いのはゲーム系ポータルからだったりするのだ。なもんで、使われてる検索エンジンのシェアってass[]@(たぬ乱入)も、Yahoo!が多い、てな実感はなかったのよ。ゲーム系てのは、もしかすると、少し世間とはズレてるのかもしれない。――、それよりもっと面白かったのが、レスにあった以下の一文。

PC 出荷時の default の検索エンジン、Yahoo! のほう

いやさ、99'に自作して以来ずっと自作機使ってると、「デフォルトの検索エンジン」みたいのに出会う機会も無い訳やけども、丁度こないだ友人のおニューのPC立ち上げ(て、言うのかな?)に立ち合わせてもらった時に、ほおおおお!とびっくりした事があったのを思い出してさ。

なんと、彼女のIEには最初からGoogleツールバーがインストールされてて、デフォルトの検索エンジンもGoogleになってて、しかもしかも、まだ何もやってないうちから(ネット接続もやってないうちから!)Googleデスクトップのインストールをやたらとプッシュされてて、DellとGoogleってそんな関係やったん?!と、勝手に感心していたのだ。

うちんちが最初にネットしたPC(ZAKU。2台目のPCにあたる)、IBMのアプティバでは、デフォルトの検索エンジンみたいのはなくて、取り説に書いてあった、Yahoo!JAPANのURLを直接入力してやっと検索エンジンに辿りついていたのからは、隔世の感。

尤も、シェアの最大の要因が、ほんまにデフォルトの検索エンジンであるかどうかやったりすると、結局メーカー抱え込んだもん勝ちなのかよーみたいな感じで、何だか納得できない気もするけども、一方で、これからは、ケータイでどのぐらい使い易いか?みたいなのも問題になるのかもしれないよな、とも思ってる。

うちんちのケータイはソフトバンクなんで、ケータイからネットしようとすると、デフォルトの検索エンジンはYahoo!になる訳やねんけども、機種が古いから――ボーダフォンの頃の機種で、ソフトバンクに変わってから、ウェブの方の状態が変わって感心した。――、フルブラウザがついてなくて、そんなケータイにとっちゃGoogleモバイルの方が親切やねんけども――何らかの形で(一応)みれるようにしてくれる――、あれって、(今の所は)まだ表示がちょっとおかしいねん。

いやさ、他はどうか分らんけども、うちのケータイコンテンツであるところの、ボーダフォン版のwiz#1が、(私の古いケータイからやと)ふつーにアクセスしたら見れるのに、Googleモバイルからやったら、表示がおかしくなってしまうねんな。

#あれは、私のケータイからでも見れるようにしようと、一旦PC版を作ってから、ケータイ版を作り直して、みなさまはどうかは分らんけども、ダンナがプレイする際にはそれなりに役に立ったらしい。まぁ、同じ機種なんで、完璧に最適化してた、てのが大きいだろうなーとはおもうけどねw

なんて事考えてたら、もしかしたら、(日本)国内シェアを上げる最大の近道はdocomoを抱き込むって事なんかもしれんなー、とか、部外者の私はぼんやり考えたりした訳やけども、とっくににその戦いって始まってるのかもしれないよなーとも思う。



end

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