October

Fri 2008/08/01

日常きゅうりpart.3

で、再びきゅうりに戻るけども、とうとうASNの掲示板に繋がらなくなって、いよいよ終わりなんだなぁと思ってしまった。

掲示板の付け替え以前の問題として、ログの問題がある訳やけども、サービス終了の告知があった時に、とりあえずはメインの掲示板まんまDLしてて、そっちを前の時みたくHTML化しようと思ってはいるけども、実は、全然そういった作業は進んでない。

相互リンクしてもらっている皆様への移転報告は、そんな作業が一通り終わってから、と思ってまだまだやってない訳やけども、もうちょっと色んな意味で楽に使えるサイトに替えるか替えないかも、まだ決めてなくて――この機会にリニューアルとか考えたけども、しんどい気分が先に立ってて、後、無駄にやりかけのゲームが多いと言うのに、思うところがあって、FC版のDQ2も今少し進めてて、しかもダンナが(やっと)就職して、そっち関連の生活の見直し、と言うか、新しい生活パターンを試行錯誤しながら作ろうと思っていたりもして、それはそれは無駄に忙しいのよ(ゲームをしないという選択肢は却下)。――、とか思ってるうちにとうとう8月が来てしまって、微妙に焦ってる。

が、きゅうり。小さな事からコツコツと(by西川きよし)。

高菜が終わった、てとこまで書いてたんやな、と、日記を確認した。

高菜は、お隣から分けてもらった訳やけども、頂いてしばらく経っていよいよ食べられそうな頃合に育ったぐらいの時期に、お隣の奥さんから、アクが強いから、アク抜きして、油揚げと一緒に炊くといいよ。と教わって、当然それもやってみて美味しかった訳やけども、前に書いたみたく他にも色々と使えたのは、高菜がとてもよく育って、冬の間に度々採れたからで、ものすごいお得感があったんで、来年も植えようかと思ってる。

が、春になると、冬の間は葉っぱだけを茂らせてた高菜も、葉っぱをあんまり増やす事もなく何とか冬越しはクリアしましたー、て感じだったつまみ菜も、どっちもどんどん背を伸ばし始めたんだわ。

ダンナは当初は「野菜」にはあんまり興味持ってなくて、それでも(私と違って)園芸の方は面白いと思ったみたいで、色々花を植えてたのね。

種にも球根にも苗にも手を出してて、幸いすごく近所にホームセンターがあるもんで、度々でかけては苗やら肥料やらをマメに買っては、結構マメに世話してたのよ。


来たばっかりの時は、殆ど荒地やったうちの前の狭い庭やったけども――お隣の奥さんから聞いたところによると、前に住んでいらしたのは老夫婦の方で、私達が戻る事になって、お願いして越して頂いた。元々「そのつもり」の家ではあったけども、事が急になったんで、直ぐには入れないと思っていたのが(家賃も敷金礼金も安いので、場合によっちゃ空くまでは、こっちで間借りするか、実家で同居するか、みたいな事も考えていた)、思いの外すんなり入れた訳やけども、元々が荒地だった訳じゃなくて、出る時に、「元に戻す」必要があると考えて、植えていたものなんかも全部抜いてしまった為に、逆に荒地同然になってしまったみたい。――まずは、埋められてた瓶カン掘り出して、次に物干しの場所を確保する為に、ちょっとした土木作業(土のままだと洗濯物が落ちた時に汚れるんで、コンクリートブロックと石を埋め込んだ)をして、それから、残った場所に何か植えよう、て事になったのね。

が、その作業の途中で、朝顔の双葉を発見。後、種が飛んできたらしい山芋の葉っぱもあって、残すか?抜くか?と、私が考えてる間に、ダンナがとっとと抜いてしまって、え〜っ!?と思ったら、次の瞬間ダンナがしもた!と叫んだ。

掘り起こしてみたら、まだちっちゃいけども、いっちょ前に芋が出来てて、一瞬、もういっぺん埋め直す?みたいな気分で顔を見合わせたけども、真っ二つに切れた細い山芋をもう一回植えてもねー、と、破棄決定。

それよか、ちょっと出遅れたぽい朝顔の双葉の方が何だかいじらしいように思えて気になって、育たんかもしれんけども、おいとこ。伸びてきた時の為に添え木も要るよねー。がんばれよ。

みたいな事してたら、お隣の奥さんとかダンナさんも丁度出て来て、そんなこんなで肥料も分けてもらえて、キャベツが植えられたりしたのが去年の引っ越し直後の事。


Sun 2008/08/03

ウェブだよなぁ。

てエントリーを読んで、だよなぁ。そんな傾向あるよなぁと思って。

納税と勤労が国民の義務ならば、教育てのは国民の権利のはずなのに、権利を義務と履き違えてるような事って結構あるよなぁと思ってさ――選挙の投票とかも、権利を行使するて方向よりは、投票しないとはケシカランみたいな方向に行ってしまうみたいな――。

で、ひょいと思うに、「義務教育」て言葉がまずかったんじゃないのかなぁ、と。この「義務」って言葉が「しょうがなしに勉強させられる」みたいな受け止められ方を助長してる部分ってあるかもしれない。

私の貧しい記憶によると、義務教育の「義務」は、保護者に向けて、子供が教育を受ける権利を守る為に課せられた「義務」てな意味だったと思う。

それに「教育」て言葉も「狭義の学習」を離れて、やたらと射程が広い言葉だから、一層事がややこしくなるような。

もっと教育内容に即して、「基礎学習」みたいな名前にした方が、子供にも保護者にも、目的が分り易くて、且つ、必要性が認識されやすいかもしれないなぁとか思った。

単なる言い換えに過ぎないのかもしれないけども、「教育改革」と名付けて色んな事をやったり止めたりしてるのは、目的が曖昧だからって部分もあるように思えるねんけども、どうなんだろ?


Mon 2008/08/04

日常夏ばて

休日の翌日の仕事が一番キツイと感じるのは、特に珍しい事でもないと思ってるけども、今日は仕事の途中でため息ついてるのを見た同僚から、どうしたの?と聞かれて初めて、自分がため息ついてるのに気がついて、アカンなぁと思ったところ。

疲れやストレスを自覚し難い部分があって、こないだ書いた突発性難聴もそうやけども、なんしか症状が出てからやっと、自分が疲れてたりストレスがあったりしたのかもしれない、と、考えるような事が時々あって、そこら辺にもうちょっと敏感になれないと、結果的には自分も周りも苦しめてしまうよなぁ、とは「頭」では思っている訳やけども、それをどうやって自覚したらいいのかが分らなくて――少なくとも、自分で「こらアカン」と思った時には、ちゃんと休養も取るし、決して無理はしないのだ――、何とかせんとなぁ、とは思ってる。

いやさ、結局は「規則正しい生活」とか「不摂生を避ける」みたいな常識的な事に収束しちゃうんだろうなー、とは思ってるけども、規則正しくしてたり、不摂生を避けてたりすると、今度は「お楽しみ」が阻害されたりもするじゃない。いやさ、するのよ。少なくとも私の場合は。

そこら辺のバランス感覚とか程度を、うまい事見極められたら、(たぶん、やけども)貧乏生活をかなり快適に送れるんじゃないかなー?てな気持ちがあって――少なくとも、私の知る(日本の)現状理解だと、健康でさえあれば、生きて行けるんじゃないかと考えているのと、時間さえ持てれば、「お楽しみ」は自給自足出来るって(根拠のない)自信を持っているのだ――、それなりに大きな課題ではあるねんな。

「お楽しみ」が生きていく上で必要不可欠なのか?て考えると、結構微妙だよなぁ、とは思うけど、「物語」が苦手な私が、それでもあんまり悩まずにやって来れたのは「お楽しみ」――具体的に言ってしまうとゲームよ、ゲームw――があったから、て部分は外せないと思ってて、パンだけじゃなしに、ケーキも要ると言うか、3食を2食にしてもいいからケーキが欲しい、てのは、既にケーキの味を知ってしまった後では、ある意味必然と言いますか、まぁ、そんな感じ。

な訳で、健康の為、もう一本飲みたいビールを控えますわw


Wed 2008/08/06

ゲームと言うか動画と言うか

で、そんなこんなでもゲームの方は相変わらずあれこれやってて、とりあえずwiz7#7クリアして、てな予定やったんやけども、腕が上がらなくなって長くお休みしてたhelo3もぼちぼち再開しつつも、(追記)東方とかグラU(AC版)もやってるねんけども、PCでやっている時に(追記終わり)、どうもコントローラがそろそろダメになったぽくて、交わすのが微妙に失敗してしまう時があって――前は避けれたのがあかんくなってて、反射神経なのかなぁ、コントローラなのかなぁ、と思ってたところに連休でむ下がやって来て、このコントローラやばいで、と言われたんで、やっぱりねー、と(なぜか)安心したのだった――、なんとなくおざなりになってたりしてるうちに、そーや、いっちょ上海Vのワンコインたらゆうのを目指そうと思い立って、一日ワンコインてなプレイを何日か続けてたのが、やっと昨日果たせて、再びMAMEに戻ったついでに、ダメモトでグラUのワンコインにもトライしようと(大胆にも)思い至って、2面中盤で迂闊に死んで――私の場合、技術的に「復活」は果たせないんで、パワーアップ状態が維持できないと残機があってもそこで終わりなのだ。復活パターンみたいのも色々開発されてるみたいやけども、いっぺん死んだら正直急激に萎えてしまうのだった。――、先は長いけども、ぼちぼち楽しみたいと思ってる。

にしても、コントローラ何とかせんとアカン事には違いなく、今使ってるのは、HORIのPS用のコントローラをコンバータで繋いでやねんけども、今度はどうするかはまだ決めてなくて、つかさ、PS2用のコントローラを使うよりは、PC用のパッドを使う方が安上がりやったりするねんけども、それはそれで、ボタンに勝手に機能がついてたりすると、思ったような使い勝手に出来なかったりするし、慣れの問題もあったりして、使い易さから考えると、PS(と2)用を使える方が楽で、だけども、これって結局「消耗品」なんで、中古にはあんまり魅力がなくて、あー、そうだそうだ、PSのコントローラの在庫開放みたいなセールがあったらええんかもしれん。ちょっと調べてみよ。

でで、何でゲームと動画がいっしょになるのかと言うと、今回はリプレイの話じゃなくて、ゲーム音楽関連よ。

ほれ、ビデオカードが壊れながらも、夏影の動画作ったじゃないのさ。

あれは、自分じゃ結構気に入った出来で、そーだそーだ、この際だからビアの曲の勝手アルバム用意しよう、とか思い立って、youtubeでピアノ検索した訳さ。

例の夏影もAIRの曲で、「弾いてみた」の仲間のやつで、同じ演奏者さんが他にも色々弾いてるし、それ以外にも沢山あって、おー上手いなぁ、楽しいなぁ、と、幾つか拾って、最初はMP3化して、ピアノ曲集楽しんでたけども、やっぱ少々物足りなくなって、適当に絵なり写真なり動画なりがつけたくなって――.flvファイルのままで再生しますと、大抵演奏者さんが演奏している動画がついてて、「テーマ」が「弾いてみた」だから当然ちゃ当然やけども、おうちでだらだら流してるには、ちょいと画面的に不満もあって、他のやつも夏影のみたく、適当に絵をつけた方が楽しいよなーと思って、作っていますに、大好きだったDQ2の「ラブソング探して」をピアノで演奏してるのがあって、この曲にDQ2のストーリーの流れに沿った動画をつけたくなって、んで、やっぱこの曲たら、あのながいながい「ふっかつのじゅもん」はハズせんよなぁと思って、FC版のDQ2をプレイしつつ、(自分で)ここぞ!と思った所を録画して、一昨日クリアしたんで、昨日はその動画をエンコードして編集して、「ラブソング探してで綴るDQ2」(今てきとーにタイトルつけた)が出来上がった、てな具合。

私が頂いたのはこちらの方の演奏のやつです。どうもありがとうございました。

#動画レスポンスとしてUPとかしてもいいのかな?した方がいいのか、しない方がいいのかが、既によく分らないな。

ウェブメモ@xreaが落ちた

らんどのウィズの記述がかなりいいかげんである事をエルアキブログさんのところで指摘されているのをアクセス解析から知って、んじゃま訂正しなくちゃなーと思ってたら、xreaのサーバ落ちててFTPもメールも通らない。

正直昔の記述を訂正するのもめんどいちゃめんどいねんけども、そこはそれ、気がついてるのに無視するだけの度胸もないし、何より、掲示板が機能してないんで、ご指摘が受け難い状態になっていまして、こうなると、リンク貼って指摘してもらえるてのも助かるちゃ助かる。

もうこれは、最初に作ったソロモンの鍵の頃からそうで、ご指摘頂いて訂正したり、追記したりは当然と言うか、むしろ助かると思ってる。それに、公開したからこそ得られた情報は、ほんとに沢山あって、それはそれは楽しかったりもしたんやけども、一方で、スパムへの対処に疲れたり、後、うちでダメなら他でどうぞ、みたいな気持ちも持ってて(だから、関連サイトへのリンクは欠かせない)、長くやるってのは、面の皮が厚くなるって事と同義なのかもしらんなぁ、と、少し反省した。

記憶だけで書いたから、間違い思い違いは当然あると思ってて、そうやったんかー、と訂正しようとしたんやけども、ちょっと調べたら少し微妙やねん。

マスターレベルに関しては、「正式には」ってタイプの話でもないみたいで、「ユーザーの通説」て雰囲気なんだよね。一方でむちゃくちゃ移植が多いから、ある作品に関しては、マスターレベルは13である、が通説じゃなくて、正式なものなのかもしれなくて、まさ、私ゃ全てのウィズをやってるようなプレイヤじゃないから、そこら辺はなんとも。なんだよな。

で、細かいとこは色々あるから、不審な点があったら、勝手にぐぐってね〜、てなエクスキューズ入れようかとも思ったけども、それもやっぱ不親切だよな、とも思ってどう言う風に書いたらいいのかな。

ウィズのマスターレベルに関しては、前にもビショップの呪文について、相互先の方からご指摘頂いて訂正したんやけども、ビショップが全ての呪文を覚えるのがLV28てのも、実際のプレイの結果とありようと比べると結構微妙で、Lv7の呪文の習得に達するのは確かにLv28だけども、実際に全ての呪文を覚えるのは、Lv29前後だったりするんだわ、ランダム要素の影響で。

後ね、頂いたご指摘が必ずしも正しいとも限らないのが困ったところで、ほれ、ちょっと前のyoutubeの楽曲の部分でも、そのアーティスト名は違ってる。てなご指摘頂いて、えっ?そうだっけ?と調べてみるに、あの指摘が正しい、とも言い切れないと言うか、場合によっちゃ間違った指摘だったりする可能性もあったりして、もちろん、それが故意か過失かは問わないけども、焦って訂正、て訳にもいかないんだよね。

これって、両方のアーティストが同じ曲を演奏してるライブ映像があったら、それで分るのになーと思って調べたけども、どっちのもなくて、何より曲調がすごく似てるもんだから、そっち系にものすごく詳しい人でもない限り、たぶん分らないんじゃないのかなぁ。

後、FC版ゼルダの動画についてたコメントのオカリナとフルートの関係も、国内版だけじゃ分らない部分で、手を広げると、問題も拡大しますわ。


Sun 2008/08/10

メモ属性

これは、違うと思う。同じ属性を持っていても、叩かれる場合と叩かれない場合がある。

私の実感から言うならば、叩き易いと感じると、叩いてしまうと言う「属性」を持った人が叩いて居るように思える。

だから、むしろ(私個人は)叩き易いと感じたら叩いてしまう側の事に興味がある。

私は、叩かれた事はないけれども――自覚的には叩かれた事は無いように、思っている。場合によっちゃ、叩いている(≒批判or非難)にも関わらず、私がそれと気がついていない事もあるのかもしれないんで、簡単に断定は出来ないけども――、反論が出来ないような人――能力的に難しい場合もあれば(極端な例を引くならば、口が利けないとか、外国人で、その国の言語に明るくない為に、言っている内容は理解できるけれども、相手に伝わる形で反論するのが困難って場合も少なくないんじゃないかと思える)、反論する事自体に何らかの躊躇いを持つ人も居るように思える――、ここで示された三つの要素って、特に珍しい事とは思えないし、こういった行為をやった事が全然無い人はまるで叩かれていないとも思えない。

な訳で、繰り返しになるけども、叩かれやすい人てのは、ここで示されている属性で叩かれていると言うよりは、叩き返され難い状態にあると、叩く事に躊躇が無くなってしまうという「属性」の人が作り出しているんじゃないかなぁ、と思っている。

日常きゅうりpart.4

そして、きゅうりに戻る。

きゃべつは、暑さと虫に負けてダメになったけども、あさがおは一本だけがいじらしくよたよた伸びてたのが、ある時ダンナがうっかり先端を折ってしまった辺りから、逆に力強く伸び始めて、折れた先が二股に分かれて伸び始めて、最初に立てたつっかい棒じゃ足りなくなって、物干しの方と、追加でくっつけたロープの2方向に伸びて、ずんずん茂って、一度は台風で折れたと思ったら、そこから又二股に伸びて、たった一本のあさがおとは思えないぐらい広がって、植物ってすごいよな、ととても感心したのだった。

さて、話が花壇に行ってしまったのは、仏壇に供える切花として植えた菜の花(これは、種から)が、春になるとどんどん茂ってきて、おお、春らしいねー、やっぱうれしいもんやねー、とか言ってたら、畑の方の高菜も菜の花と一緒にどんどん伸びて、こっちにも、菜の花そっくりな花が咲いたもんだから、花壇も畑も菜の花ばっかや〜、とか言ってたら、遅れて伸び始めたサニーレタスにも菜の花が咲いて――てか、失敗してしまったキャベツも、ダメはダメなりに置いといて花咲かせへん?と、持ちかけたけども、ダンナが先が長すぎて勿体無いから、と結局抜いて閉まった訳やけども、これも置いといたら菜の花が咲いたんじゃないかと思う。――、そっかー、菜っ葉の仲間は全部菜の花が咲くねんなー、と、実物を見て、改めて感心した事を書こうと思ってたら、無駄に話がどんどん遡ってしまった、と言う訳でした。

果たして、高菜もサニーレタスも終わった頃合に苗で植えてたブロッコリーも大きくなって来て、たぶんこいつも花を咲かせたら菜の花なんやと思うけど、こいつは、その花になる部分を食べるんで、ブロッコリーの花は見ていない。

ブロッコリーは3株植えてて、てっぺんに立派なブロッコリーが出来た部分を切って、食べて、花になってしまっても勿体無いからと、お隣に持って行ったら、奥さんが、そうそう、これって、切った先からも脇芽が出て来て、そっちの方が柔らかくて美味しいぐらいなのよー、と教えてくれた時には既にダンナが一本抜いてしまってて、うわー、知らんかったー、くっそー、んでも全部抜いてしまう前に教えてもらえてよかったー、と、うれしくやしな結末。

で、いよいよ夏野菜にトライしよう、て事になって――とは言っても、全てダンナが一人で決めて一人で手をかけている訳で、私は草引きぐらいしかやってない。後、取り入れ。ご飯の支度する時に庭を見るw――、なすときゅうりとピーマンを植えた。

中で一番よく育ったのが、きゅうりで、同じようにつるを作るもんでも、きゅうりのつるは、朝顔のつるとは比べ物にならんぐらいものすごく太くて、葉っぱもものすごく大きくて、野菜ぶら下げる為には、このぐらいのパワーがいるんやー、と、これまたびっくり。

きゅうりは、なすよりも成長が早くて、実も沢山なって、収穫が食べるのに食べるのが収穫に全然おいつかんので、他所にお分けしようと思ったけども、「どこでも」植えていたんで、引き取り手が無かった、てのは、中々田舎ならでは、て気がする。

な訳で、具がきゅうりだけの冷やし中華とか、漬物とか、冷たいスープと、一時はきゅうり尽くしやったけども、あんなにもりもり育ってたきゅうりやったけども、暑さが増した先月半ばに、日当たりが強すぎるとこの一本が、枯れて、枯れてない一本も、もう実をつけなくなって、代りに、きゅうりほど取れなかった茄子の方は、コンスタントに収穫。

いやさ、私は全然何もやってないけども、収穫具合から、何を何本ぐらいどの辺りに植えるか、て事に関しては、来年はもうちょっと計画性を持とうかなー、とか思ったのだった。

てか、奥の荒地を畑にして玉ねぎ植えたいけども、今の所は、具体化してない。

なんかさ、花よりも野菜の方がむずいように思えるねんな。菜の花にモンシロチョウが飛んで来た時、「敵」認定したのは、キャベツの害虫に往生したからで、なんつーか、蚊とかハエとかゴキブリよりも、蝶にあっち行け感を持ったのは、結構大きな変化かもしれない。

だけども一方で、アゲハの幼虫を育ててみたくて、ちっちゃい柑橘系の木を一本ぐらい植えたいと思ってるんやけども、果物は、野菜以上にむずそうにも思えるのと、土地柄から、柑橘系のやつは、どこからともやくやって来るんで、イマイチわざわざ植える意味が見出せなかったりするんだよね。

あー、後、写真を撮りたいと思いつつ、撮ってないのは、ケータイが古くなり過ぎて、電池が直ぐに切れてしまうからで、ダンナのお給料が入ったら、今度こそ買い替えの予定。

#あー、後、今になって思ったけども、わざわざアゲハみたいなもん飼育したりしたら、(市内なんで、近所にはいないけど)みかん農家の人に嫌がられそうだよな、とも思う。


Mon 2008/08/11

ウェブセキュリティ?

ちまたで話題のGoogleストリートビュー。遊んでみたら中々楽しいけども、映ってる地域が少ないんで(青い道路のとこしか通れなくて、入ってみたいとこに入れなかった)、プライバシーに関する部分じゃ、「気持ち悪さ」みたいのは実感出来なかったけども、人物が写るのは、肖像権的に問題あるんじゃないのかな、とは思う。

ただ、防犯に関しては、空き巣への懸念よりも、テロへの懸念の方がなんとなく大きい。大部分の空き巣は命までは奪わないだろうし、空き巣に限らず、あれを利用して犯罪計画を立てるとは、あんまり思えないんだわ。

なんつーか、もしも何らかの犯罪の計画を立てたとして、そこへ実際に行くことが可能ならば、きっと実際に行くんじゃないかと思うのよ。少なくとも、私が何らかのそれなりにやばい犯罪計画を立てて実行に移そうとするならば、実地で下見するだろうし、逃走ルートも実際に利用してみてから、計画を行動に移すと思う。

だからむしろ、そこに実際に行くのが困難な場合にこそあのストリートビューが、犯罪に利用されるんじゃなかろうか?とか考えると、海外からかなぁ、みたいな感じに思えて、あるとしたらテロ?みたいな(短絡)。

これは、GoogleEarthが出た時にも最初に思った事で、あれって、確かNASAが写真提供してたじゃない。

これまでならば、資金力がないと得られなかった情報が、ネットに接続できるPCさえあれば誰にでも入手出来るようになったらば、貧者であるところのテロリストが利用しない手はないんじゃないか、とか思ったのと、兵器の破壊力よりも配置(or配備?)の方が情報としてでかいよなー、とか思ったから。

もっとも、そっちに関しては、確か、出た頃にも問題にもなってたし、軍事拠点みたいのは、写さないようにしているんじゃないのかとも思うけども、今世紀の戦争の大部分が局地戦でかつ対テロ戦みたいな事になるとしたら、路地や空き地や空き家を網羅した地図ってば、色んな利用法が出て来るかもしれないなーとか思う。

まさ、これってば、そんな事考えるのが好きな私の妄想やし、実際にうちらの暮らしがどのぐらい監視されているのか、てのも分ってない訳やけども、プライバシーとセキュリティはトレード・オフって部分はあるから、妥当な「程度」て、よー分らんな。

いっそ、全てを24時間監視したら、セキュリティは万全になるかもしれないけども、公開されるされない以前に、そうなっている状態の方が私には何だか「気持ち悪い」なぁ。

お安いSFみたく、私達は気がついていないだけで既にそうなっていた。みたいなオチは勘弁してほしいかも。

あー、そうそう、引っ越す前の家の周辺は通れたんで、うろうろしてみたけども、結構古い写真だったみたい(震災以降だけど)。あれって撮影時期は何時頃だったんだろ?


Tue 2008/08/12

ウェブブラックジャック・手塚治虫

とても面白かった。

重要なのは、経過なんだよなーと思った。「なぜ」描かなくなったかの、「なぜ」が明かされる事に意義のあるエントリー(?)なんじゃないかと思った。

表現の自由と言うけれど、「描かない自由」てのもある訳で、だけども表現されないと、ついつい「なかった事」にされてしまう。

そうすると、迂闊なうち(ら?)は、やっぱりついついそんな葛藤は無かったと思ってしまう。

だから、時にはこうやって、描かない(≒書かない)理由(あるいは「敢えて」描く(≒書く)理由)を表明する必要もあるんじゃないかと、そう思った。


思索かわいそう

で、折角なんで、(自分的には)結構関係あるんじゃないかと思える、「かわいそう」と思う事について、覚書程度に書いておこうかと思い立った。

「かわいそう」には結構複雑な思いがある。

小さい頃伯母の家に預けられていた私は、他称「かわいそうな子」だったのだ。(同じような意味で、母子家庭だったダンナも、かわいそうな子だったんじゃないかと思う)

あんなに小さいのに実の両親と一緒に暮らしていないなんて可哀想だ、と言って、涙ぐむ人居たらしい――伯母から、○○さんがあこちゃんの話を聞いて泣いていた、みたいな話を時々聞かされていて、子供心に不快だったのだ――。

あの頃の私は、そんな話を聞くのが嫌いで、言葉に出来たのはもうちょっと大きくなってからだけども、それを言葉にしてみるならば、単にその人を嫌ったり憎んだりするのを通り越して、そんなヤツは「騙してもいい大人」だと思って見下していた。

#この「騙してもいい大人」と「そうじゃない大人」と言う分類法は、結構長い間私の密かな大人観に影響してて、今になって考えると、怖ろしく傲慢な分類だなぁとは思うけれど、一方で、子供はそんな目で大人を見ているって形で、私の強い戒めにもなっていて、(それの是非はともかく)「キレイゴト」への忌避感の元にもなっている。

私が妙にマセていたり、醒めていたりする部分のある子供だったのは、「両親と一緒に暮らしていない子供は可哀想」と言う価値判断への抵抗って部分は少なくない。

私が、価値判断に鈍感だと思える言説をひどく嫌うのも、ここら辺に根っこがあるのかもしれないな、と思う時もある。少なくとも、私には「可哀想な子供」と言うラベリングが、ひどく私を侮辱している事のように思えたのだ。

だけども、ある時、単純に「かわいそう」と言う感情を持つ事を、優越感の「せい」にするのは、ひどく「失礼」な気がして来たのだった。私を見て泣いたおばさんは、自分の幸せを確認しようとして、泣いた訳じゃない。

当時の私は、結構自分の状態に満足していたからこそ、それを「侮辱」と捉えたけれど――自慢になるけど、私は、ずっと愛されて育った。これに関しては断言出来る。理解されない苦しさはあったけれど、愛されない苦しさは(たぶん)未経験だ。――、親と一緒に暮らせない事が、そのまま、明らかな不幸になる状態てのは、決して少なくないのかもしれないし、逆に、親と一緒である事が、明らかに不幸な状態てのもあるよなー、みたいな事に思い至って、やっと、かわいそうだと思われる事は、少なくとも私にとっては、もしかしたら、そんなに重要な事じゃないのかもしれないと思うようになれたのよ。

ただ、これはものすごく難しい問題やと思うねん。

「かわいそう」だと思う人が、不要に「かわいそうな人」を作るって側面てのは、決して小さくなくて、それだけならいいけども、下手をすると「かわいそうだと思ってやっているのにそれを当然のように受け取るとはケシカラン」みたいな方向に簡単に進んでしまうねんな。

とても残念やけども、時々そういった話を耳にする事があるし、ネットでも、ニートや生活保護受給者や障害者が叩かれる事って、決して少なくはないように見える。

ただね、一方で、「かわいそう」って感情はとても大切やないかとも思うねんな。お気の毒と思う感情を持たないとか、持つのは好ましくない、とは、思えないのよ。

それは、どう考えても、ないよりはあった方がいいと思える感情やねん。

私は、私をかわいそがった人を、一時期軽蔑した訳やけども、今になって考えると、とても「不当」な軽蔑やったと思うねん。だけども、一方では、それを容認する気にはなれないんだわ。

私が(いまだに)抱えているような複雑な思いてのが、事情を聞いて「かわいそうな子」と思ったあの人にもあったのだろうか。私には、それが気になる。

過ぎた事だし、知りようもないけれど、出された結果よりも、その経過こそが重要な事じゃないかと、やっぱり思う。


妄想プライバシー

何年ぐらい前になるんだろ?神戸に居た頃、ダンナとハーバーにお出かけして、 さて、そろそろ帰りましょ、て頃合に、神戸駅の方に向かってクルマで進んでた時の事。信号待ちで停まってて、変わったから発進、て、瞬間に、横断歩道でもないとこで、信号待ち停車してたクルマの間から、じいちゃん歩行者が急に出て来て、ひえっ!とびっくり停車して、あっぶないなー、と冷や汗かいて、それからダンナと話したんだわ。

く「あーびっくりしたー」
だ「全く、年寄りは全部おらが道やから」
く「まぁ、あのじいちゃんが若かった頃はこ〜んに世の中がクルマだらけやなかったわけやし」
だ「そらそうかもしれんけど、ひいたらこっちの責任やからなー」
く「まぁ、そらそうや。歩行者の安全確保はドライバーの努めやし。んでも、怖いよね」
だ「おお、全然見えんとこから、急にやからなー」
く「あっ、そうや!年寄りにセンサー埋め込んで、クルマに分るようにしたらええんちゃう?」
だ「いや、むしろワシのクルマにセンサー埋め込んで他のもんが避ける方が都合がええかもしれん」
く「うわー。それ楽そうやけど、やってる事まるばれやでー。あーそうや!プライバシー皆無になる代わり、あらゆる責任から自由になれるんやったら、それでもええかも♪」

いやさ、将来的にそんなんアリになるんかどうかも分らんけども、クルマにセンサーは、ある程度実用化してるみたいやけども(てか、車庫入れとか縦列駐車でかなり使えそうに思える)人間にセンサーてのは、結構抵抗ありそうに思えるな。

んだから、逆に、被験者になります、その報酬として、ですね、金銭じゃなくて、道交法フリーパスみたいのがあったら、場合によっちゃ手を挙げてもいいかなーとか、一瞬考えた訳ですよ。ええ。

んで、同じ流れで、ストリートビューで、問題になってるプライバシーだけども、色んな事がフリーパスになるのなら、ライフログの被験者になるのも悪くないよな、とか考えたのよ。

やったらどうなるのか?――どんな不便や不都合や便利があるのか――てのを、知りたい人が多いかもしれない一方で、自分がやるのは嫌、て人も多いのならば、「今」が、「被験者」になるチャンスかも、みたいな。

いやね、「正しい事しかやれないようにする」為の監視だったら嫌だけども、そっち方面では「さして」問題ないのならば、プライバシーが少々もれたって、結局は慣れなんじゃないのかとも思うわけよ。

我ながら、モラルひく〜。


Sat 2008/08/16

日常休み〜〜!♪

5勤明けの今日(16日)明日がやっと連休。

うれし〜。いやぁ、長かった。てか、都会(笑)に住んでた頃も、盆・正月って大抵出勤やった訳やけども、この時期って割と暇だったのが、こっちに来たらば、帰省して来た人で、一時的に人が多くなるらしく、とてもとても忙しくて、嵐のような5勤になってて、本日はとうとううちら(≒深夜品出し)が担当になってるところの3便は、トラック2台のいつもの倍からの入荷で、うわーえらいこっちゃと思ってたけども、当初の思惑よりも仕事は進んで、ええ感じに残業も出来て、とりあえずめでたしめでたし。

実家の方には、盆明けに休みになる、と伝えたら、うちの盆は一日延長にしよう、てな話になってるんで、明日(正確には今日16日)にご先祖様を送りに行く予定。

だけども、5勤開けの「自分打ち上げ」の方をもっと優先して、発泡酒2本目を今開けた。

あ〜しあわせ〜♪


妄想オリンピック!

うわー。いいなぁ。これ。

飛行船も飛ばさなきゃ。オリンピックの垂れ幕流してさ。その飛行船には、「夢」のある絵が描かれてて(雲とか虹とか風船とかあって、その間をアスリートが飛んだり跳ねたりしてるみたいの)、だけども、競技場の上空通過中に、色つきのガス(5色ぐらいあったら派手で言いと思う)が噴射されて、えっ?何あれ?と思っていたら、ガスマスクつけた自衛隊の人がどどどっ!と入って来て、ガスマスクを配布したりして。

だけども、この色つきガスは実は笑気ガスで、そっちは無害で、一方で、配布されたガスマスクには、ヘリウムガスが仕込まれてて、タネ明かしされた時にはみんなあひる声での会話になってる、みたいな。たのしそーじゃん。参加者全員「笑い男」。

ふつーにありえねーけども、コメディ映画ぽくね。



end

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