August

2005.8.1(月)

おもちゃドラゴンボールZジグソーpart.2

こういうのは、part何々、とは書かんのやろなぁ、と思いつつ、今日も楽しくパズル。

♪掴もうぜ!ドラゴンボール!♪とか歌いながらやってたら、む上に、ゴキゲンやな〜と からかわれた。みやもやって来て見てるんで、注意した。

く「ふん。猫には無理やね」
く「いっくら考えたって無駄無駄」
く「百年経ってもムリ〜〜」
と、意地悪言ってたら、みやがアッチに行ってしまったんで
く「それでも一緒に考えるぐらいやったら考えてもええで」
と、横柄に泣き入れてたら、む上から
む上「おって欲しかったんや」
と、突っ込まれた。

只今うちんちの猫ブームは「蝉狩り」で、ジグソー覗きにやって来たリ、器に入れてる ピースいじろうとしたりはするけども、それよか蝉の方がずっとずっと面白いみたいで、 ぷーの時よか楽やけども、ちょびっと物足りなかったりもする。


2005.8.2(火)

ウェブアルバムタイトル

で、折角なんで、ジグソーパズラーとでも呼べるようなマニアな人のページでも ないかなぁと思って「ジグソーパズル」で(1) ぐぐったらば、最初のページは通販とメーカーが殆どで、次のページになって、ようやく ちょぼちょぼ個人ページが出て来たんやけども、それが、どれもこれも、「ジグソーパズル そのもの」じゃなしに、アルバムのタイトルが「ジグソーパズル」ってのに ついて書いてるやつばっかで、つか、ソニンさんとか全然知らんし、 つかアルバムのレビューとか興味無いし(←目的のものに当れなかったのでちょっとムカ ついている)。

まぁさ、世の中音楽が好きな人はものすごく多いし、ポップ音楽てのはものごっつい メジャーなジャンルやし、しゃあないのかもしれんよなぁ、と思いつつも、イライラした。

んでも、ジグソーパズルのユーザーとポップス音楽のユーザー比べたらば、勝負にならん のは分りきってるちゃ分りきってるけども、そのものズバリの名前で実物よかポップスの アルバムタイトルが来てしまうねんな〜とか思ったら、ネットユーザーの若さを実感しましたわ。

つかさ、ジグソーパズルに関しては、ヘビィユーザーみたいな人のページてのはないんかな。

あ〜もしかしたらば、ジグソーパズルのヘビィユーザーの人は、新しいジグソーパズルを解くのに忙しくて ジグソーパズルのページを作ったりはせんのかもしれんな。

(1)ぐぐる
googleを使って調べた場合のみ、ぐぐる、と呼ぶ事にしようかと思っている

2005.8.3(水)

六甲@超新記録part.4

んで、明るくなってきたし、ものごっつい記録も出たし、今日はほんまにすごかったねー、 とか言いながら裏下りたとこで、そのまま高速に出ないで一旦ターン。

ほうほう、裏ももっぺん行くんか、とか思いながらストップウオッチ・オン。

裏は、序盤でこそ、そこそこの高速コーナーがあるんやけども、後半はずっとタイトなコーナー が続いて、なんつーか曲がりっぱなしなコースで、スリリングではあるけども、そのぶん表よか チェンジは暇で、ず〜〜〜っと2速でもって、(1)一生懸命曲がって 曲がって曲がって曲がって、最後の180°ターン抜けた先のバックストレート(←勝手 ネーミング)で全開、てな、変化の少ないコースなだけに、時計縮めるのは、いかに早く曲がる かにかかって来る訳で、表よりも根性勝負な傾向が強いねんけども、 本日はほれ、エンジンが変わったやろ。

こんなに回ると思ってなかった来たばっかの時は、けっこうおっかなびっくりやったにも 関わらず、時計の方はそこそこやったやんか。

んで、表で多少は掴んだ状態でのトライになるから、結構イケるんやないかなー、とは思ってた 訳やけども、2度目は、最初の時みたいな危なっかしい雰囲気がすっかりなくなって、 どんどん行くのね。おお、ええやんかええやんか、と思いつつゴール!したらば、いやびっくりびっくり ちゃんと時計も出まして、今回なんと裏はイッキに5秒縮まったのでした。

ステアリングとオーバーホールでこんなにも違って来るんかぁと、ほんまにびっくりした。

何と言うかMR2ってものすごい正直なクルマやなぁと、つくづく思ったよ。 なが〜く付き合って行きたいな。

(1)一生懸命曲がって曲がって…
ダンナはどーゆー風に捉えてるんかは分らんのやけども、私は、裏の後半のコーナーが 続くとこは、ヒダリッ!みぎみぎみぎヒダリッ!みぎみぎみぎなコースやと感じてる
これは、左コーナーは崖側で見通しがいい上に角度が急で、右コーナーは山側で出口が 見難い上に大きいって印象があるから
クルマなんで、曲がる時に カメッ と叫んだりはしないけども、代わりになるような適切で気合いが入り易い掛け声が あったらいいなぁと、ちょっと思う

2005.8.4(木)

おもちゃジグソー完成!

完成品@手前にあるのはキャビンマイルド

で、今日(ても今(01:10 2005/08/05 +0900)や昨日になるけど)の休みを利用して、 ジグソーパズル完成させた。

誰にも(猫は含まない)邪魔されず、誰の邪魔にもならない時間てことで深夜にしか 作れんかったけども、細かい絵柄やったんで、当初思ってたよか早く完成した。

んでも、完成してみると、フレーム込みで5000円ちょいのお値段は、高かったなぁとも 思う。

1000ピースのパズルは、サイズが結構あるんで、作るための場所と、それから、 やらない時に置いておく場所の2ヶ所をキープしとかないと、不幸な事故に対応出来ない訳で、 作る場所は、うちんちやと茶の間の机しか置ける広さがある台がないんで、深夜って時間で 対応して、作らない時に置いておく場所は、押し入れって形で対応した。

心配してたのは、ピースで、チキンラーメンどんぶり2個と、小鉢3個と、ジグソーケース に分けて入れてたけども、私の目が届いてないうちに、猫に引っ掻き回されたらアウトやよな〜、 とか思いつつ、物陰にひっそり重ねて置いてた。

最後の1個

猫は、蝉のお陰でかなり注意をそらせる事が出来たけども、それでも時々やって来ては チャチャ入れてきた。んでもそれは、乗ってきたら怒って下ろすのをなんべんかやったらば、 あんまり登らなくなったけども、見てるとどーにも気になるみたいで、作ってる側でピース掻きまわしたり もしたんで、出来あがるまではずっと、2、3個ぐらいは足りなくなっててもしょうがない かもしれんなぁとか思ってた。

したらさ、途中で、どーにもこーにも 絶対にここにピッタリのピースは無いに違いないて場所が出て来て、 んでも、やってみるまではハッキリせんから、兎に角他を全部完成させて、それで やっぱしなかったらば、押し入れとか机の周りとか改めて探そうと思って作ったらば、 やっぱしその場所が空いてしまった。

やっぱしな〜、差し当って一番最近のアクシデントたら、さっきみけがピース入れてる 小鉢ひっくり返した事だよな〜、と、その辺りを探ったらば、座布団の下から最後の 1個が出て来て、よかったよかった思いながらそれはめて、それから、テレビの後に 置いておいたカバーかけて、うーん、よしよし、と思いながら記念撮影したのでした。


2005.8.5(金)

思索?後どのぐらい?

だんだん年とって来るにつれて、死ぬリスクよか永らえるリスクの方がどっちかで 言うと重く感じるようになって来てて、これは、年金問題とか、子供(ても、もう大きいけど) の将来とか、先の事考えるとあんまり楽しい予感がせんからってのもあるからや ろけど、果して私は後どのぐらい生きてしまうんかなぁ、とか思って、軽く調べてた。

したらば、丁度よく分るページに当ったんで、ほうほうなるほどなるほどと思いながら 見てた。

見てたのは、厚生労働省のHPの中にあるらしい 第19回 生命表ってやつで、「死力」とか、「寿命中位数」とか、面白いなぁと思った。

つっても当初私が調べたかったのは、私の年齢での平均余命と、死亡率で、これは、 第19回生命表(女)って表に載ってた。

生きてるか死んでるかの「状態」だけで考えたならば、五分五分やけども、明日生きてるか とか、来年生きてるかみたいな時間的なもんで考えたならば、私の年齢やとまだまだずっと 生きてる確率は高くて、つか、これからいったら私ぐらいの年齢の死ぬ確率は0.1%前後で、 これが1%に達するのが70歳前後。

やっぱし死ぬ心配するよか長く生きる事を前提に考えんとあかんよなぁとか思うと、 結構しんどいよなぁと思ってしまった。


2005.8.6(土)

六甲@MR2が変?!

ものすごく写りが悪いけども鉢巻展望台からの
夜景

んで、(1)休みが揃った昨日の早朝六甲行ったんやけども、裏登った時からちょっと変。

後ろ姿

心当たりは、こないだのアレや。

ダンナが仕事から帰った時に、すぐに上がって来ないんで、 何か(クルマに)あったんやろか?と下りて行って見たら、クルマの後に回って、トランクの 辺りを上から押して揺すってる。

く「どしたん?こないだ車検あったばっかやのにどっか変になったん?どっかおかしなったん やったら、早い目にゆうた方がええんちゃう?」
だ「いや、車検とは関係無い。ショックがな」
く「え〜、そうなん。ショックって消耗してくもんなん?」
だ「おお。へたってきとるみたいや」
く「そうなん。でもショックって、買おた後で(2)一回替えてるよね」
だ「うむ。んでもタイヤこれだけ替えるぐらい走っとるから、ショックもへたるわ」

シフトノブ

うーん。そおかぁ、んでもスプリング替えるんでも結構ブツが無くて時間かかったのに、 又ショック探さんとアカンのかぁ。いや、その前に(3)お金がなぁ。 てか、折角記録もぐぐっと縮んだのに、また足踏みしてまうなぁ、みたいな経緯があったのよ。

裏登ってる時から、どうも滑り過ぎるてよりは、不審な挙動で、うーん?おかしいなぁ と思ってたら、シフトミスがあった訳でもないのに、ガガガガガと車体が揺れた。

どしたん?むちゃくちゃ変な揺れ方したやん?ショックやな。こりゃ無茶できん。

タイヤ

夏場なんで多いとは思ってたけども、その予想以上にクルマも多くて、押さえがちに走ってて、 時計は、まぁこんなもんやろて雰囲気やったけども、それでも何とも妙な感触。

とりあえず下りてみようか、と、表下りて、登り始めた。

こんな状態なんで、押さえがちな走りにも関わらず、堪えられそうなとこでもってかれて、 しかも立て直すべきとこで妙にふらつく。時計はそれでも、こないだ出した記録よか3秒 遅いそこそこタイムやったけども、もうこれ以上の無理はきかへんイッパイイッパイな雰囲気。 おかしいよ。挙動不審やな。とりあえず休も。と、鉢巻展望台。

ハンドル

く「おっかしいね〜、つかこれ危ないで」
だ「おお。あかんな」
く「この状態で無理してもな〜んもええことない思うなぁ。ショックって高いん?」
だ「いや、ほんまやったら、昨日か今日には連絡あるはずやってん」
く「そーなんや。それやったら尚更今日は大事にしとかんとあかんよね」
だ「おお、ショックだけやなしに、他のとこまでアカンようになるからな」

そんな訳で、今日は走れんとなると俄かに退屈になって来て、展望台に出て写真撮って遊んだ。

その後、クルマの中でラジオ聞いて、それから、あと1本だけ表走って(前回と同タイム)、 素直にかつ安全に帰って来てたよ。

(1)休みが揃った
私の休みがシフト制になってるのと、ダンナの方が休みが少ない代わりに日時の自由度が 高いのとで、大抵はダンナが合わせてくれる
この頃は、ダンナの方が私の休みに詳しいぐらいで、シフトが出る前に予想を立てて、 当ったりするんで、びっくりしてたら、私が無頓着過ぎると言われた
(2)一回替えてる
ダンナは1年ぐらい前って言ってて、そんなもんやったかな〜とか思いつつ、 ちょっと(自分の日記(これ)を)調べてみた
ショック MR2 site:strangeworld.cc
いやぁ、Google偉い!ても日記1ヶ月単位なんで、そっから見るのがまためんどいから、 キャッシュの方利用したらば、そーか、買ったのが一昨年夏で、ショック替えたのが去年の夏で、 と、具合がよく分った
(3)お金がなぁ
クルマの改造、修理関係は、キホン的にはダンナ持ち
が、大抵の場合援助を申し出るので、100%ダンナが持つと言う事は皆無 と言っていいんじゃないかと思う

おもちゃガンダムいろいろ

で、すごい安全運転で、この良い子運転をポリに見せたいね〜とか言いながら、うちに 戻る途中でコンビニに寄った。

ここは、六甲の帰りに割とよく寄るコンビニで、てのは、アルコールが置いてあるコンビニ な訳で、休みの日の早朝におうちに戻って、ビール飲みながら感想戦やって、それから 寝ると言う、極楽ドライブの締めの為には必須のお店やねんけども、ビールとつまみ選んで、 それから食玩あれこれ見ながらレジに行ったら、 ガンダム切手シート が飾られてるじゃないの。

おおっ、これは前の タイムボカン切手の続きなんやろか?タイムボカンのは近所のコンビニで買ったけども、 これってシリーズなんやろか?つか、ほうほう、初代が4枚に、Zが2枚に、Wが2枚に、 seedが2枚の豪華取り合わせ。という訳で又買った。

んで、今日(今が、01:52 2005/08/07 +0900なんで、正確には昨日)は、ちょっと前までSDガンダム 関係について調べてた。

  1. Wikipedia: SDガンダム
  2. はてな: SDガンダム

てのはさ、前に子供とあのBB戦士のプラモの箱についてたマンガが面白かったよねー、 あれって、本になってたりせんのかなー、みたいな話してて、Zが映画化されるし、 切手も出たしなんで、あれってどうなってるんかなぁな気分が高まって来て、 いんたーねっとって便利だよなー、と思いつつ見てたのよ。

SDシリーズの始まりは、雑誌に投稿されたイラストが元で、そのままプロになった人らしくて、 つか、SDガンダムの作者の人のインタビュー記事を、昔なんかの雑誌で読んだ覚えがあるねん けども、肝心の作者名が分らん事には、手掛かりもへったくれもないよなぁ、 てのは大昔の話でありまして、みつかったよ。

SDガンダムの産みの親は、 横井孝二 さんとおっしゃるそうです。つか、SD北斗の拳なんてのもあったの?ひえ〜。

んで、問題の書籍についてなんやけども、 紀伊国屋では、入手不可能、つか、これって、あのプラモの箱にあったマンガなんやろか?

アレックスとMkUとRX78の3バカトリオの子供っぽい掛け合いマンガが好きやったんやけどなー。

後さ、BB戦士シリーズはむ下がすごく好きでよく買ってたんやけども、まだ小さい(幼稚園 行くか行かんかぐらい)のむ下が苦戦しながら一生懸命作ってると、む上がやって来て 「もっとカッコよくしてやる」と言っては、勝手にパーツを繋ぎさがして、 いらいちゃんこにした上に放り出して、挙げ句にはパーツが足りなくなってノーマルすら 再現できなくなって、弟が大泣きするってのは、よくある事なのかどうか、似たような経験 持ってる人の話を聞いてみたいな。

#ああ、でも、よそんちのJIジョーをいらいちゃんこにして、放り出して逃げたうちら と、弟のプラモをいらいちゃんこにして放り出したむ上とやったらば、どっちのがマズいんかなぁ
#んでも、私は姉やったけども、弟のもんって、どっかにオマエのものはオレ ワタシのもの、って気分あるよな、いやさ、私はそうよ
#それでも、ワタシのものは兄のもの、とは絶対に思わんなぁ


2005.8.7(日)

多忙さっき起きた

なんかくたびれてて、横になったら寝てて、さっき起きた。

うとうとしながら、ぐらぐらしてて、熟睡出来ない感じで、これは少々夏ばてなのかな。


おもちゃショック購入

ショック入れた、と、ダンナが言って、よかったね〜、と言ったら、もうまるっきり 底抜け状態やった、とか言いながら、前のはいつ頃やった?と聞いてくるんで、 これ(この日記)に書いてあったよ、去年の秋の始め頃や思うで。替えてすぐの頃は ショックの調整ばっかやってたやろ。みたいな話してたら、へ〜結構便利やな、 と言うんで、おお、何時事故ったか、とか、何時免停になったか、みたいのかって 検索エンジン経由でか〜んたんに調べれるようになってんで、と言ったら、そんなん まで書いてるんか、と慌てて、何人ぐらい見てるねん?と聞いて来たんで、だいたい 1日5000人ぐらいかな、と大嘘ついたら、ひどく焦ってたんで面白かった。

んでも、この日記の記録はなかなか気に入ったみたいで、それで分るんやったら、 タイヤ替えたのも分るか?とか聞いて来るんで、調べてみたらば、今年の3月と去年の 10月とに替えてるのが分って、うーん。だいたい半年ってとこかな。

で、こりゃ結構便利やなぁ、つって、今日(ほんまは昨日)買ったショックに ついても書いといて、との事。

ものは、カバヤ クライムギアで、 Rにだけ入れた。

前のショックは調整できたけどもこれは出来なくて、んでも性能はこっちのがいい 上に、お値段もお安い優れもの。でも、まだ乗ってないけど、ダンナが言うには かなり堅いんやって。


2005.8.8(月)

多忙昨日の日記

昨夜は、む下とうだうだ話してて、そのまま疲れて寝てしまった。

80'の音楽とか、郵政民営化とか、オレに足りてないのは彼女と学歴だ、とか、悩み多き10代は 大変そう。


2005.8.9(火)

ブログから購入

ブログ辿って読んだ(ても、どうやら有名な人みたいやけども)田島正樹氏 のブログ、ララビアータ が、むっちゃ面白くて、この人の書いた本を読んでみたいと思って、著書を調べてみたらば、結構難しそうな本 が一杯で、手始めによさそうなんはどれやろか?と当ってみて、多少は手におえそうな雰囲気のある、 魂の美と幸い―哲学形式としてのエセー(←エセーってきっとエッセイの事やろなー、つか ブログでもエセーと表現してた。なんしか比較的短くて軽い目の読み物なんやろな、てな 予想を立てた)やったらば、よさげやと思ったけども、お値段がすごくお高くて、んでも、 ものすごく読んでみたかったのと、簡単に古本が手に入らなさそうな趣があったんで(部数が少ないから こんなものすごい値段なんやろな〜と思ったから)、えいやっ!と、買ったのが先月。

やっぱ、ものすごく面白くて、エキサイティングで、終るのが惜しいから、ちょっと読んでは 今日はここまで、て感じで惜しみつつ読んでたんやけども、こないだついに読み終わってしまった。

理屈っぽいねんけども、(なぜか)ひどく映像的で、映画だかお芝居だかを見てるみたいに 言葉が入って来て、文章じゃなしに、情景を反芻しながらゆっくり読んだ。

充分に理解したとはあんまり思うえんけども、不思議な希望が涌いて来て、他の著書も 読んでみたいと思ってる。


2005.8.10(水)

日常入院

風呂沸かす間にぼ〜んやりフリーセルやってたら、こんな時間になってしまった。

今日、一緒の部署のパートさんが、退院になって初日。

3ヶ月ぐらい前に他の部署からうちに替わって(職場でのキャリアは私よりずっと長い)、 1ヶ月ぐらい経った頃に聞かれた。

河合(仮名)さん「何だかむくみが酷くてねー、そんな事無い?」
く「うーん。私は元々むくみ易いから、疲れがたまったかなーと思ったらな〜んにもしないで ごろごろして、それでダメなら漢方薬かなー」
河合「そうなん。試してみようかな」
く「んでも、今までむくんだりしたん?」
河合「いーや。こんなの初めてよ」
く「それやったら、いっぺん医者に行った方がええんとちゃう?」

みたいな話した翌日。仕事行って河合さん見てびっくり。

く「どしたん?大丈夫?昨日の今日やのに、むちゃくちゃ顔腫れてるやん。顔が腫れるように なったらかなりやで。すぐ病院行った方がええで」
河合「そう?薬のみ始めたんやけど」
く「いや、早い方がええと思うで」

と言ったその翌日、「検査入院が決まったけど、病室が空かない」な話。その1週間後 ぐらいに、本格的な入院が決まって、今日初出勤。

歳も一緒ぐらいやし、職場も一緒。前日まで一緒に働いてたのが、急に入院みたいな 事になって、ほんとにびっくりした。

やっと戻って来て、ほっとしたけども、全体どこがどーに悪かったのか、すごく 気になったんで(心配したのもあるけども、どっちかで言うと好奇心と、他人事じゃないよな〜 な気分のが大きい)、どうやったん?と聞いたらば、元々腎臓関係が弱かった訳じゃないけども、 コレステロール値が、この冬の健康診断の時に危険域に入ってたのに放置してて、 そこに、職場が替わったストレスと冷え、それから多少の更年期、と、幾つかの良くない 条件が重なったのが悪かったみたい、て話。

なるほどなぁ、と感心しつつ、健康診断もバカにしたもんじゃないよなぁ、と、 再認識。


2005.8.11(木)

時事解散総選挙

郵政民営化、否決が決まった日の事。

仕事に行ったら、時々やって来る マネキンさんが 私を見とめてイソイソやって来た。

このマネキンさんは、うちの店には1ヶ月に1回ぐらいやって来る人で、新製品の 販促なんかは若い女性のバイトが多いねんけども、定期的にやって来るような人は、 大抵ベテランマネキンさんで、(たぶん)私より年長。所謂おかあちゃんタイプの、 話好きの愛想が良い人で、扱ってる商品がうちの課のものってのもあって、天気の話とか 景気の話ぐらいはするような間柄。

それでも売り場に出たとたんに話にやって来るってのは珍しい事で、あらら、何かあったん かいな?と思ってたら、意外な話題が出た。

マネキンさん「ちょっとちょっと、郵政民営化、否決になったんやで」
く「へー、そうなったんや。どんでん返しやねぇ」
マ「よかったわぁ。絶対に無理やと思ってたもん」
く「そうやねー。解散て話も出てたから、通ってしまう思ってたわ」
マ「うちの息子が郵便局でね。もう局はみんなで反対しててね。子供はあかんとかゆうてたけど、 民営化したら大変やもんねー。ほんとにほっとしたわ」
く「そりゃ、安心しましたよね」
マ「賛成した人の中では自殺した人も出たでしょ」
く「そんなんで自殺するような事になるって、悲しいですよね」
マ「妙な事しようとするからそうなるのよ」
く「賛成か反対かで、死んだりするようなのっておかしいですよね」
マ「プロレスラーやった大仁田もがっくりしてたで」
く「はぁ?」
マ「そうよ。民営化したりしたら、郵便物だって、ちゃんと届かんようになるし」

てところで、そこまではてきとーに話合わせてた私は (1)プチ切れた

く「今のままでも全然ちゃんと届いてませんけどね。私出した手紙が着かなかった事が 2回あるんですよ」
マ「あらまぁ、ポストにくっついていて取れなかったのかしら」
く「そーかもしれませんね。同じポストから出して、2回も着か なかったんですからね(宅急便は確実に翌日着きますけどね)」

と言ったら、マネキンさんは、ひっそり私から離れて行って、しばらく経ったら、 全然違う話題で話しかけて来た。

まさ、息子の将来がかかった大勝負に勝った(とも限らんと思うけど)嬉しさに 浮かれてしまって少々鈍感な行動に走ったのはしょうがない事やし、ちょっと反撃したらば あっさりしょんぼりするような善良さもキュートやし、何より私個人としましては、 マネキンさんへのむかつきはマネキンさんにキッチリ返して、貸し借り無しの状態やねんけども、 話聞いてて、改めて、この問題って、民営化で明らかに損すると分ってる人 以外にとっては、殆ど(実質的な)利害の絡まない問題なんだよなー、と実感した。

んで、その夜、ビール飲みのみだらだらむ下と話した訳だわ。

話て分ったけども、うちらはどっちも民営化に関しては、既得権益でぐだぐだになってる 制度をどうにかする為にも、とりあえずは手始めにやってみろよ、な気分が先ずあるって部分で一致。

く「それでも、まともな説得無しに解散をチラつかせるってやり方はどうなんやろねー、 ちょい汚いんちゃうのん」
む下「んでも、民主党も結局はなんでもかんでも反対ばっかやんか。 イマイチ力ない感あるよなー」
く「うん。確かに任せたいって気になりきらんってのはあるな。それに中がぐちゃぐちゃな イメージあるしね。そやけど、アンタみたいな10代の子供が、 こうやって政治に関心持つようになったんは、 不景気と小泉のお陰よねー」
む下「確かになー。オレらなりに関心はあるもんな」
く「それに、解散は解散でおもろいかもしれんしね」
む下「そやけど、民営化通して失敗してしまった後の方が、色んな事が具体的に出来るようになるし、 民主党もやり易いんちゃうん?」
く「まあな、失敗した後ってのが一番モノゴト進め易いかも しれんってのは分る。今更惜しいもんがそんなにあるとも思えんしね」

まぁ、只今政界がものすごくエキサイティング、てのは間違いない気はする。

(1)プチ切れた
ふに゛( 濁点)じゃなくて、ふに゜( 半濁点)。ちょいと軽く切れる事。今作ったけども、もしかしたら既に流通してる?
つか、あの字にくっつく○を゜(=半濁点)と呼ぶのを知らないか、忘れてたかして、 「濁点」で調べたらちゃんとセットで紹介されてて、辞書の魅力って、こういった関連用語とか、 反対語、類義語にもあるよなー、と思った。

2005.8.12(金)

おもちゃ?タイヤ交換

Rタイヤのカドが殆ど無くなって来てて、溝はまだ残ってるけども、そろそろ交換かなぁ、 まだもつかなぁ、と言ってた訳やけども、その前にFがあかんくなった。

Fのが後から替えたんやけども、GVが生産中止になってしまって、Rタイヤ苦労して探した んがこの春頃やろ( 今確認したらば3月始め)。

その次の月ぐらいにFを 替えたんやけども、コッチはもうダンナの判断で、ブリジストンの新製品、 プライズ(注意:重くてうるさいです) を入れてたのよ。

GVに比べると、グリップに少々不満ありてな感想(私個人としましては、 その癖減りが早いようにも思えた)やったんやけども、なんかさ、 ダンナが言うには、タイヤの中の部分がバーストしてるみたくなってしまってて、買ってそんなにも 経ってないのにこんな状態になってしまって大丈夫やろか?な疑問もあったんで、 タイヤ屋さんに、行ったらしいのね。

したらさ、タイヤの状態が良くないとか、減り方がおかしいとかで、何だか皆さんが 集まって来てしまって、それでも最終的には、な〜〜んと、無料で の交換になったのよ、しかもしかもものは ポテンザRE-01R!!!

く「え〜、そんなんしてもらってええん?」
だ「いやなぁ、ワシもまさかそこまでやってくれるとは思てなかったもんやからな、 それやったら、てんで、後の方は買いますわ、ゆうて来てしもてん」
く「げっ、後もポテンザのええ方のやつにしたん?」
だ「いや、サイズがなかったから、ただのRE-01の方や」
く「それでもそんなん買うよーな余裕ないで」
だ「いや、そやから月賦にしてもろた」

間違い無くラッキーやねんけども(タイヤの状態見に来たメーカーの偉いさんの ツルの一声でポテンザに決まったらしい。新製品やから、ちょいと注目やったんかな?)、 車検、ショック、に続けてタイヤてのは、ちょい(かなり)厳しいな。折角なんで ものごっついありがたく使わせてもらいますけども。はい。

ちなみに、プライズに関してやけども、横からの力にはあんまし強くないみたい やったけども(後から替えたにも関わらずRと同じぐらい角がなくなってしまってた)、 街乗りには全然問題無い、つか、直進性はものすごく良くて、決して悪いタイヤじゃ ない、て事です。


2005.8.13(土)

ウェブ同属嫌悪?!

おれはおまえのパパじゃないさんの、 ユリイカを読んだってエントリー見たらば、渋谷洋一とか出てて、あーなつかしー、 おーおー、そーやったそーやったそんなんあったよなぁ。

#しかし、ファミ通で渋谷洋一って読んだ時、最初、えっ、ロッキンオン?と思った ような(1)おばさん読者は、今から考えると、あんまりおらんかった のかな?それとも、そんなネタってファミ通にあったっけ?
#いんたーねっとするようになるまで、ファミ通がこんなに影響力のある雑誌だとは 思ってなかった、つか、ネットユーザーの偏りから、ファミ通には影響力がある ように見えるんやろか??

んでも、あの頃って、まだスト2以前やったような気ぃするし、ゲーム≒オタクみたいな イメージはまだそんなになくて、どっちかで言うと、子供にとっちゃ、どうやってファミコン やらせてもらうか、とか、どうやって新作ソフトを買ってもらうか、あたりが最大の関心事 やったように思うし、アーケードは、テーブル筐体じゃないタイプの筐体が出始めた時期な 気ぃするなぁ。それにあの頃はゲーセンでオタクぽい人見た事ないような気ぃするけど、 行った先によるんかな?

時期が正確やないんかもしれんけども、渋谷洋一とファミ通たら、アフターバーナー (アーケード)とウィザードリィ(ファミコン版)の頃のイメージあって、あの頃の私は、 おうちではコツコツRPGやって、何だか腐る事(仕事で嫌な事があるとか、 ダンナとケンカするとか)があった時には、スカッとする為にゲーセンに行くってパターンで ゲームを遊んでた。

とか、当時の事思い出しながら、そこら辺ってどーなってるんかなー、と、 トラックバック先とか、リンク元とか色々読んで、ふむふむ。ほうほうと感心してたら、 (私にとっては)面白い記事発見。

世界のはてさんの、 エクストリーム系オタはむしろDQNだと思うの記事ね。

いやさ、ここで、

具体的には、「パチプロ」「走り屋」といった、「DQN系オトコ趣味」 (造語)寄りの人間で*2、外見も、オタクというよりはDQNに近い。

てあるじゃん。実際「走り屋」には(ファッションとか話し方とか雰囲気が)DQNタイプ の人は多いねんけども、そうじゃ無い人も当然おって、それよかもっと面白いのは、 (ファッションとか話し方とか雰囲気が)オタクタイプの人もやっぱし結構居るねん。

いやさ、実際接触のあった、と言うか見かけた人ばかりじゃなしに、その手の雑誌とかに 載ってる人とかでも、どっち(DQNとオタク)も結構の数がおんねんな。

んで、ダンナは、ヤンキー型のタイプが結構嫌いで、あんなんとは絶対 一緒にすなー、の気分がどっかにあって、見かけたらおわいかけまわしたくなるとかゆうてる 訳よ(流石にええとしなんで実際にはやらんけど)。

だけどさ、(多分)一般人の人から見たら、絶対どっちもどっちか、区別つかへんかの どっちかやないかと(私は)思うねんな。

#つか、例えば六甲山周辺に住んでる人にしてみれば、一見ノーマルであろうが、 派手なエアロパーツつけていようが、夜中に何往復もかっ飛ばしてるクルマは全部一緒 (に迷惑)やと思うし
#つるんで走って、ポリが来たら自分の(大事な)クルマ置いて逃げるような暴走族 「なんか」とは絶対一緒にすなー、と、ダンナは思ってるみたいやけども、 うるささに関しては、もしかしたら、うちのクルマの重低音のが迷惑かもしれんなー、 とも思う(社宅から全然見えなくても、音でどこらへんまで帰って来たか分る)

いやさ、ここでは、オタクの中の分類か、オタクVS.DQNか、てな感じになってるけども、 ここでDQN側になってる側の中でも、ダンナ分類にしてみたらば大違いで、カッコだけ (ヤンキー仕様・ぼーやん)のヤツとか、ただの金持ち(外車・高性能の新車(ランエボとか インプレッサとか))、(←どっちに対しても、結構な偏見やなぁ、とは思うけども、 まぁ、言ってる通りやなぁと思う時もある)なんかとは一線を引いてるつもりみたいに 見えるし、ドリフターズとタイムアタッカーもベツモンになってたりしてて、結局、 ジャンルは違えど、言ってる事ってかわんねーなー、つか、こういうのって、 ジャンルで分けるよりは、スキル至上主義とか、そーゆー指向性ってのが、 どの(色んな?)ジャンルにもあるって事なんかもしれんなぁ、とか思ったのでした。

(1)おばさん
あの頃はまだ20代やったけども、それでも当時のファミ通の読者層は10代が大部分 やったんやないかと思う
今考えると、私は、作ってる側の人と年齢が近いてのもあって、ファミ通に同世代のセンスを 感じて面白いと思ってたけども、あの頃のファミ通の読者の人は、私が10代の頃に団塊(の文化とか) に憧れたみたいな気分でファミ通(のセンス)を楽しんだんかもしれんなぁと、今更思った
もっとも、当時まだヒトケタの年齢やったうちの子ぐらいになると、当たり前みたいに 身近にゲームもファミ通もあったんで、また違ってるのかもしれんな
む上はゲーセンでカツアゲされた事もあるみたいやけども、む下になると、ゲーセンで ヤンキーを見かけた事がないらしい

2005.8.14(日)

多忙早寝

昨夜は、ビール飲んだらむっちゃ眠くなってしまって、明日六甲行くからなー、 てあたりを言い訳に、更新しないで寝てしまったんで、これは、昨日の日記。


2005.8.15(月)

ウェブメモ@スポーツカースレッド

一昨日書いたやつ 「走り屋」にはオタクぽい人が結構多いように思う、を裏付ける(?)スレッド発見。

スポーツカー乗りはオタ、デブ多い件について Part3 です。

しかも話が見事にモテ、非モテ話になってるし。


日常(もしかしてウェブ?)早寝の理由

昨夜早々に寝てしまったのは、六甲行くからってよりは、その前日に殆ど寝てないから ってのがあるのよ。

てのは、ここんとこ、被害の少ないウィルスにうちのPCがやられてて、 被害が少ないもんやから、根本的な対処しないで、来たら(ソフト( AVG)が警告出したら)削除 するってな、ものすごい応急処置と言うか、場当たり的な対応しつつ、今度の休み辺りには 根本的な対処しようかな〜、でもちょっとめんどいな〜、とか思いつつ、やり過ごしてたん やけども、いいかげん何とかしようかな〜、と思って、ちゃんと調べようと思ったけども、 名前から探してどーこーするってのもめんどいな〜と思って、こっちのが手っ取り早いような 気がして(根拠は無い) ウィルスバスターのオンラインスキャン (件のページに直接飛ぶのでうっかりクリックすると多少めんどい事にるから、注意)やろうか な、とか考えて、やってたらば、止せばいいのに、待ってる間退屈だからとフリーセルやってた のがあかんかったんか、途中で、PCが固まってしまって、デスクトップに消えない窓が 一杯残って、その下の方にダイアログが出てる状態になって、それを読もうとしても、 マウスが動かなくなってて、あーもうめんどいなぁ、と、関係なさそうなプログラム終了できそうな キーを適当に押してたらば、なんか元気にファイルを捨て初めて、えっ?何捨ててるん?と、 ファイル名を見てると、どうもさ、む下の(貯め込み専用)フォルダを捨ててるみたいやねん。

そっかー、私のファイル捨ててる訳やないんやー、ちょっと安心、んでも、む下はがっかり するやろな〜、と思いつつ、捨てたファイルはふつーゴミ箱に行くやろ、とりあえず終らせてしまお。

と、再起動したらば、なぜかゴミ箱は最初からからっぽ。えっ?そんなんやったっけ? あー、でももうたいがいねむたいから寝よ、と、横になってしばらく経ったらむ下が戻って来た 気配。

く「すまん。なんかさー、よー分らんけどもあんたフォルダ捨ててしまったみたいやねん」
む下「えー。どういうこと?!」
く「うーん。ウィルススキャンしてたら固まって、ダイアログが出てるけどもよーみえんくて 、てきとーに押してたらファイル捨て初めて、後でゴミ箱から戻しとこおもたら、ゴミ箱空でさ。 しゃあないやんか。諦めてくれ。どーせてきとーに拾ったファイルばっかやろ」
む下「え〜〜」
く「つかさ、焼いてなかったん?」
む下「焼こおもてたけども、ソフトが、つかドライブ認識せんとか出て」
く「へっ?そうなってたん?カードかなぁ」

とか、ものすごいおざなりに謝ってたら、む下はため息つきながらしょんぼり寝てしまった。

まぁ、ものがものやから、無理も言えんしなー、とか思いながらうとうとしてたんやけども、 ひょっこり思いついて起き出してウェブ検索。

したらさ、あってん。間違ってゴミ箱から捨ててしまった(ても私の場合、後で分ったけども ゴミ箱に一旦捨てずに直接削除してしまったみたいやねんけども(シフト+Delete)ファイルを 復元するフリーソフト。

その名もズバリ、 復元です。

いやさ、どうもフォルダまるごと捨てたみたいで、捨てたファイル名も分らんのやけども、 拡張子(今回は.mp3)からでも復元出来てしまって、数が多かった(600超)にも 関わらず、大部分のファイルが復元出来てしまったのでした。感動したよ。

#数もやけども、大きさもかなりやったんで、調べるのにも、Dドライブに空き作るのにも、 復元するのにも、ものすご〜く時間がかかったし、100%てんでも ないんで、これはやっぱ非常事態専用のソフトやなぁとは思う。


六甲@クライムギア初体験

という訳で、タイヤはまだ来てないけども(ショップがお盆休みらしい)、ショックは 替わっての初ドライブ。

前回は、どーにもこーにも挙動不審で、今日は止そうで意見が一致して早々に帰って来て、 ほんのり不完全燃焼な気持ちが残るドライブになってしまった訳やけども、 今回は、ショックも中々面白そうなやつに替わって、どーに変わるんかな〜の新たな 期待の中、夜中の2時前ぐらいにダンナに起こされた。

このクライムギアは、かなり堅くて乗り心地が悪いって話やったけども、昨日迎えに 来てもらった時の感じでは、そんなに揺れないし、それでも曲がり方はシャープになった印象。

六甲行く道では、周りの山には霧がかかってて、今日も霧やったらがっかりやね、とか 言ってたけども、裏六甲入った時は、こないだみたいな深い霧じゃなくて、だけども、夜半に 雨が降ったのか、道が所々濡れてて、うーん。とりあえず流して行こか。

山頂まで登ったら霧は殆ど無くて、道も裏ほどは濡れてなくて、表は大丈夫そうかも しれんな〜とか思いながら表下りた。

ショック替えたばっかの1本目はやや抑えた走りやったけども、それでも前回の時と 同じ時計で、前はもうあれがイッパイです、な感じやったんが、今回はかなりの余裕。

タイヤは変わってないけども、止まり具合がすごく良くなって、動きがキビキビした 感じ。

く「すごいキビキビしたええ感じやんか」
だ「うーん。ワシはもっとこう、突き上げてくるんやないかと思ってたんやけどな」
く「ああ、確かにトレノの時はもっと揺れたかなぁ。んでも、動きはすごいええ感じに なったと思うで」
だ「あれのショックは競技用やったからな。むちゃくちゃ乗り心地がわりなるゆわれた から、そんなんか思てたんやけどな」
く「そうなん。ええ感じに止まるし、ええ感じに曲がってると思うけどねぇ。あっ、 もっとヤンチャな方が良かったんや」
だ「おお。挑戦したる、って気になるようなんを期待してたんや」
く「色々めんどくさいねぇ」

ま、何にしても、ものすごく気持ち良く曲がったり止まったり出来る雰囲気は抜群で、 こらいけるで、と思った2本目で、ベスト記録を1秒更新。

く「ひえ〜ショックで1秒やったらば、こら01来たらまだまだ行けるやんか。はよ来ん かな〜」
だ「おお。まだまだ余裕あるで」
く「そやね。ここ失敗ってはっきり分るトコがあってのこの記録やもんね」
だ「それにショック替えたばっかで多少は抑えてるしな」
く「んでも、かなりテンション上がってるで。久々に (1)おとーさん臭がするもんね」
だ「そおか」

展望台で一休みして、タイヤ冷ましてもう1本走って同タイム。雨が降ってきそう なのと、他のクルマが結構入って来たのと、ダンナの気が多少済んだみたいのとで、 今回はこのぐらいで帰って来た。


2005.8.16(火)

ウェブメモ@サバ落ち

おやかたのとこが、 大変な事になってしまってて、 スーパーが開けられそうじゃないんで、とりあえず、xreaに(雑に)避難した。

どうも復旧の見通しは暗そうやけども、今後はどうするかはまだハッキリ決まって ないんで、こっちのディレクトリ入れ替えて、らんどの下にスーパー置いた。

掲示板もあやしいの方のはダメぽいけども、前からxreaにあった、 黒い掲示板は 生きてます。


2005.8.17(水)

ウェブメモ@応急処置

で、今日はリンク先とか多少訂正した。後、ウィルス(てもニンジャツールの類) の方もちょいと調べてもちっとだけ丁寧に対応した。今後の事はまだ決めてない。

ああめんどくさい。


あの頃怖い天災

今度は宮城で地震があって、でも震度の割には大きな被害はなかったみたいで(そう 丁寧にチェックはしてないけども、ニュースで見た限りではそう見えた)、不幸中の幸いよね、 とか思ってた。

ちょっと前に、海に雷が落ちたニュースやってて、雷って怖いねんで、てな話をしてた。

古い言葉やけども、「地震、雷、火事、おやじ」てのがあるやんか。私はこの中で雷が 一番怖い。子供の頃は、外を歩いてて雷の音が聞こえると、反射的に傘を投げ捨てるぐらい 怖かった。

雷が怖いのは、雷で死んだ人の話を何度も聞いた事があって、雷が落ちたらばほぼ100% 即死らしいのと(地震も火事も即死する事はあんまりなさそうに思う)、雷は「個人」 にイキナリやって来てしまうってのが、他の天災に比べて、ものすごく「ついてない感」 が大きい雰囲気が嫌やったのよ。

悪運が強いって言葉があって、ロクな事やってない癖に不運から器用に逃れられる強運 の事らしいけども、私の場合は、ロクな事やってない癖に運が良い傾向があると思ってて、 これは、悪運が強いてのとはちょっとニュアンス違うけども、抽選とかジャンケンとか くじ引きみたいな、まるっきり運次第のやつが、周りの友人よりも(割と、て程度に)良い 結果出す事が多くて、根が小心なのと、タダでさえロクな事やってないってのの自覚だけは あるんで――今の今まで、すごくマジメな人だった事がないからやども、ものすごい悪い事を したって程でもない――、他の、私よかもっとずっとマジメな子よか微妙に運がいいのが、 ソフトな後ろめたさになってて、漠然と自分は「みんな」より雷に当る確率が高いような 気がしてたのよ。

それに比べたら、地震は近くにいる人全部が被害者やし、火事はその建物に居る人全部 が被害者やから、仲間がおるぶん、雷に当るよりはずっとマシやなぁ、と思ってたのね。

さて、どこの地域でもそんな事があるんかどうかは分らんのやけども、私が中学の頃、 うちの田舎全域に、○月○日ここで大地震が起きる、ってデマが流れたのよ。

どっからそんな話が出たのかは分らんのやけども、大人も子供も知っている、かなり 大規模なデマで、私が今まで生きて来た中では、あんな風に町中が一つの話題に覆われるのは、 オイルショックの時の「トイレットペーパーがなくなる」以来で、「まさかね〜、デマだよ」 と言った話が誰の口からも出るぐらい市内全域にこの話は広がってた。

中学入ったぐらいのうちらも、上流のダムが全部決壊したら市内全域が水浸しになるから 逃げ場はなくなるみたいやで、と言った(中学生にしては)かなり具体的な話して みたりしながら、怖いよねー、とか、嘘やろ、こんなんとか、地震になってしもたらどうせ 逃げれんのやから、とかとか言い合ってたらば、洋子(仮名)が決然と言い放ったのよ。

洋子「ほんまにもぉ。私、地震って大っ嫌い!ほんまに一番キライや!

一瞬、これって好き嫌いの話か?!と、すごくびっくりしたけども、ものすごく 恐れているもんに対しては理性を失ってしまうねんなぁ、て形で理解し直した。

だけども、どうして地震がそんなにも大嫌いなのかは聴きそびれてしまったのよ。

何だか、私が雷が怖いみたいな、個人的な何かがあるんかもしれんなぁ、とか思うけども、 私が雷に対して持ってる怖さから類推出来る、「地割れが起きたら真っ先に自分が 落ちるに違いない」風の恐怖は、(たぶん)私の資質や経験から来る怖さやないかと思うから、 かなり見当違いの可能性も大きいよな。

おお、そうそう、その後、高校に入って(なぜか)地学の授業の時に、あの地震デマ の時の市内の様子を先生がビデオに撮ってて、それを見せてもらった。

ええ大人もかなりマジに地震について語ってて、結構笑えたけども、実はさ、 この予想があった当日には、実際に震度3程度の地震が起きたのでした。


2005.8.18(木)

思索インフラ

伯父と伯母はどっちも大正生まれで、伯父は戦争から戻ってから伯母と一緒になった。

当時の結婚は、年頃になると(どこからともなく)縁談がやって来て、「どうだい?」 と聞かれたらば、「いいわよ」or「嫌よ」みたいな感じで何気に決まって行くもんやった みたいで、伯母が年頃になった頃には、ふたつの縁談が持ち上がって、当初伯母は、 伯父じゃない方の郵便局勤めの人が良いと思ったらしいんやけども、祖母が、 より健康だと思われる伯父を押して、伯母はそれに従って伯父と結婚した(らしい)。

私が伯母の家に居た頃には、もう伯父は製紙工場で働いてて、最終的にはそこで 定年まで勤め上げた。

定年退職後は伯母と一緒に内職したり、元々器用な人だったので、ちょっとした手伝い何か をして小遣いを作っては、パチンコと園芸にいそしんで、長生きとは言えないけども、 早過ぎるって程でもない年齢で亡くなった。

何時、どんな状況で誰から聞いたのかも思い出せないけども、伯父夫婦が最初に所帯を 持った場所は母の郷里で、戦争が終った慌しい時期、まだ安定した勤め先と言えるような ものも無かった頃、伯父は郷里に道路や鉄道を引くための「隧道掘り」をやっていたと聞いた。

と言うか、この頃は、「お金」になりそうな仕事ならば、何処へでも行って、何でもやる てのは、自分の農地を持たない地方の庶民――貧乏人やったからか、敗戦国やったからかはよー 分らん。両方やったからかもしれんし、終戦後はどこもこんな具合やったんかもしれん―― にとってはかなり当たり前の事やったみたいで、伯父だけやなしに、母の長男もやっぱり 同じように土方をやって日銭を稼いだと(母から)聞いた。

私は子供の頃、母の郷里の漁村に行く為に汽車――都会に出てくるまで、私は鉄道を走る 乗り物はこう呼んでた。機関車には、ディーゼル機関車と蒸気機関車があって、 私達が乗っているのはディーゼル機関車だ、と言う図鑑から得た知識に御満悦だった。―― に乗るのが大好きで、外の景色を見るのも楽しかったし、トンネルに入った時の突風も わくわくどきどきしたし、ひとりで連結器の所に立って踏ん張っているのも好きだったし( ←ものすごく困った子供やなぁ、と今なら思う)、鉄橋を渡る時の音と揺れ方もすごく 面白いと思っていた。

三重県のリアス式海岸は、ほんとにトンネルが多くて、さっきまで海岸を走って いたと思ったら、山の中だったりもするし、入り組んだ入り江には 小島が浮かんでいたりもしたし、その一方で長い海岸線もあったりして、それがトンネルを 抜ける度にまるで新しい場所に出るみたいな多彩さでもって現れて、トンネルを抜ける のがすごく楽しかったんやけども、伯父がトンネルを掘った話を聞いてからは、 この鉄道も、このトンネルも伯父みたいな人が作ったんやと思うようになって、 それ以降は、見える景色ばかりじゃなしに、トンネルそのものも、線路そのものも、 もっともっと嬉しいものになった。

そんな大好きな紀勢線が全通したのは、昭和34年やったんやと、今日初めて知った。

くろしおのホームページ さんとこの、 紀勢線全通を伝えた当時(昭和34年7月15日)の新聞(夕刊) です。新聞の切り抜きに、 パンフレットと交通案内。着工以来40年たら、戦前、戦後を通してやっと開通したのね。ふ〜。

と、40年の歳月を経て(ても、40年もかかってたと知ったのはさっきやけども)、うちらの 田舎にも鉄道インフラが整った(んでも、未だに単線のとこのが多いし、西側は電化してなかったり するけども)のが、私が生まれるちょっと前。

その後、おばんちに居る頃にTV放送が始まって、私が小学生の頃にうちに家電(話)が やって来て、そうこうするうちに私も大人になった。(つづく)


2005.8.19(金)

思索インフラpart.2

そして時は流れてむ下が生まれた頃、うちらは神戸の北区の市営住宅に住んでた。

お義母さんが亡くなった2ヶ月後にむ下は生まれて、49日をするのに、狭いうちんちに 親戚の人がやって来た。ても、これはほんとに内々の行事で、来た人も至極近しい人ばっか やったし、大袈裟な事も殆ど無く、お坊さんが帰ったところでお開きになったんやけども、 埼玉からやって来たダンナの従兄の人は、日帰りするのは難しくて、うちに泊まった。

その時に誘われたのが元で、うちらは埼玉に引っ越したのね。

電話工事の仕事をしているというその従兄の人は、自衛隊で整備関係の仕事の 経験があるダンナに、多少なりとも電気関係の現場経験があるんならどうだ? 後20年は間違い無く仕事があるから来ないか?と、呼ばれたのよ。

果して、埼玉でダンナがやったのが、光ファイバー網の基幹回線を作るって工事で ありまして、銀行や官公庁や大学と言った公共の施設は、(この時期から既に)ぶっとい ネットワークで繋がるようになってると、ダンナから聞いた。

鉄道みたく目で見る事はできないし、何よりそれはまだ一般人が個人的に 使えるようなものじゃなかったけども、ぼんやりと、セラミックのキラキラ光る太い線が 銀行の地下とかに走ってるんかなぁ、みたいなどっかSFちっくなイメージを思い浮かべた。

それがとうとう一般家庭にまでやって来るような時代に(は)なった。無線ネットワーク も出来た。

PCがなければ使えなかったインターネットはケータイからもアクセス出来るように なったし、ネットカフェも見かけるようになった。私がネットするようになった頃には 時々(度々?)見かけた、「課金」の問題も、ほぼクリアしてしまって、ようやく誰でも 基本料金さえ払えば自由にネットが使える時代が来たんやなぁ、とか思う。

#パソコン通信と言うのをやったら、「フリーゲーム」と言うものが出来るらしいと知って、 ダンナに話したら、死ぬほど電話代がかかるから無理と言われた。
#その後、やっと私にも手が出るぐらいのPCが現れたけども、モデムは標準装備に なってなくて、しかもそのモデムは40000円ぐらいもして、うちんちの経済状態では、 「フリーゲーム」と言うものを遊ぶのは死ぬほど高いハードルだった。

この20年ってのは、新しいタイプの通信インフラが出来上がった時代なんやなぁと思う。 んで、まだそれは(うちら下々にとっては)生まれたてのものやねんな、とも思う。

これが鉄道や道路のような必要不可欠なインフラなのかどうかは、私にはまだよく 分らない。今の私にとっては、これらは、まだおもちゃの域を出ないものやなぁとも思う。

だけども、私はものすごく遊ぶのが好きなんで、まだまだネットを続けるんや ないかと思う。もしかしたら、遊ぶのが大好きな人にとっては、この通信インフラは 必要不可欠なものかもしれない。


2005.8.20(土)

ゲームフリーセル@normal突破!

8001面

ず〜〜〜〜〜っとチマチマ続けてたフリーセルが、とうとう25%突破して、いよいよ hard面に突入(するような設定になってるんじゃないかと思ってる)。

いやぁ、長かったなぁ。これが惜しいから、只今のPCに多少の不具合があっても、 (1)ついついいじれなくなってしまってる、てな部分があるねんけども、 これで一応normalはクリアしたばっかりの状態になったから、今なら、ちょっとした アクシデントがあっても、へこたれ方がちょいと軽くなりそう。

(1)いじれなくなってしまっている
技術的に未熟だから、て、部分が大きいと思うけども、前みたくうっかりクリアログが消えて しまったらつらいんで、どうも重くなってたり、固まりやすくなってたりしても、スカッと アレコレ消してしまえない
ほんとは、ここんとこHDDが以前よりもずっと五月蝿くなって来たんで、ええ機会やから ここらで総替えなり、PC新調なりしたい気分もあるねんけども、まだだめ

2005.8.21(日)

多忙むっちゃ寝

夜勤に行くダンナを起こそうとして、それがなかなか起きなくて、 困ったなぁと思っているうちにこっちがうとうとして来て、そのまま寝てしまった。 と言うのが、昨日の日記。


2005.8.22(月)

日常結構忙しげな近況

と言う事で、又仕事変ります。つか、勤め先が閉鎖になるんで、転職するしかないねんけども、 今度は既に次がある状態なんで、マシちゃマシ。

で、今日昨日はそこの入社式たら言うのに行って来た。

入社式と言えば聞えはええけども、今度もやっぱりパートやねんけども、新規立ち上げの 募集やったんで、同期で入る人もいっぱいおるし、新人教育もやってもらえるし、めんどくさい内部事情もないしで、「明日から来て下さい」 に応えて一人で出向くよりはずっと気楽。

#とは言え、勤め先がなくなってしまうのはこれで2回目やけども、閉鎖が近づいて来る 感じはなんとも言えない物寂しいものがあるな。
#もっとも、次が決まってるからのんびり寂しがってられる、て部分もあるかも。

まさ、本業の方は事前に休み取った上での、この二日のイベント参加やった訳やけども、 初日は、偉い人の話と入社諸手続き、それから同じ部署の人との顔合わせって 感じで終って、2日目の今日は新人研修ぽい事をやったんやけども、最後にあった「カスタマーサービス」の研修で、 講師(?て言うのかな、たぶん採用教育担当の人)の人が、我が社の経営理念について 話すに当って、参考の為に持って来たらしい本にすっげー興味が行って、あれってネットでゲット したり出来るんやろか?と思ってちょっと当ったけども、今のところはみつかってない。

その本てのは、サイズはA4ぐらいかな。紺色の無地の表紙に黄色で「GUEST」って 書いてある、厚さは4mmぐらいの小冊子で、内容は「ゲストからTDLキャストへの感謝の手紙」 をまとめたもので、非売品なんやって。

この本に、(サービス)業界では有名らしいお話が載ってるって事で、今日のCS( カスタマーサービス)のお話は、この手紙のお話から入った。つかさ、このTDLに 届いた有名な手紙の内容の方は、ネットでも(幾つか)みつかったから、そっちへの リンクは貼っとくね。

まさ、これが他の業種にそのまま応用出来るとは私はあんまり思わんけども、 意図する所はものすごくよく分かったし、心構えについての話てのは、だいたいこんな もんやろな、とは思う。


2005.8.25(木)

多忙ダブルヘッダー

更新できなかったのは、何より何だかめんどくさいなぁと思っているうちに寝て しまったからやけども、只今、今度の職場の為の研修と、今の職場と両方行かなきゃ ならない日が二日ほど続いて、しかも研修先が結構遠かったりしたんで、バタバタなのよ。

まぁ、こんな事せんとアカンのは、実質1周間ぐらいの事やねんけども、 ピンポイントでむっちゃ慌しいのよ。


初体験?!

が、忙しいと言いつつ、今晩からちょいとおでかけ。

予定地は 岡山国際サーキット(旧TIサーキット英田)で、 サーキット走行てのを体験してみようよ、てな話。

んだけども、今回うちが参加しようとしてる、 TIウイークリィパワーズてのは、ドライバーしか乗れへんって事で、私は 見るだけやねん。ものすごい残念。

練習、つか下見走行では、乗れるらしいねんけども、つまらんなー。

んでも、ここは、一般車両がそのままで、ライセンスも取らないで、お値打ち価格で サーキット走行が出来ちゃうものすごい良心的なサーキットで、噂―― (イキナリ行って、そのまま走れるサーキットが岡山にあるらしい、てな噂―― を聞いて問い合わせたらば、予約も易々やったし、ほんまに言ってる通りで、すごいびっくりした。


2005.8.27(土)

岡山国際サーキット

ホームストレート

で、当初は一泊の予定やったけども、その日(26日)のうちに帰って来て、今日は、 のんびりだらだら休みを過ごして、やっと今から、初走行会レポートに取りかかる事に した。

++++++++++++++++++

出発は25日のうちにしてしまおうって予定で、帰りは迎えに来てもらって、家に戻ったら そのままお出かけ準備にかかる。準備が出来たら起こしてくれって事で11時前ぐらいにだいたい出来たんで、 起こそうかな〜と思って様子見たらば、大いびきかいて寝てるんで、もう起こすのは (勝手に)止める事に決めて、私も寝た。

果して、26日早朝3時前にダンナが慌てた様子で私を起こした。ても、出かける用意は 既に出来てるんで、かな〜り不機嫌に(←常に寝起きは不機嫌)だらだら起きて、 私はすぐにでも行けるで、後はアンタだけやで、とか言ったら、むすっとしながら、 自分の支度にかかったよ。

それでも、お互い手心が(やっと、多少は)分ってるんで、家を出るぐらいには、どっちも ある程度のとこまでは機嫌を直して、山陽道に向った。

アクセスマップで見てみたらば、中国道と山陽道の中間ぐらいの場所に、 今回の目的地の岡山国際サーキットはあるみたいで、ダンナにこんな感じやねんけど、 どっちから行く?と相談したけども、ダンナは地図とか見たりするんがあんまり 好きじゃなくて、任せるわ、て事で、私の、行って戻るんはシャクだと言う趣味から、 山陽道備前ICで下りるってコースに決めた。

(旧)TIサーキットの アクセスマップ見て、簡単なメモと地図を用意し(プリントアウトするんは めんどいと思ったから)、備前IC下りて一番近い(JR) 駅から登って行ったらええねんな、と言う形でルートを大雑把に把握してた私は、 備前インター下りるところで既に戸惑ってしまった。

先ずさ、道路的には一旦東に戻らんとアカンとこを、目的地がもっと西側やから ってんで、岡山方面と言ってしまって、あ、しもた。反対やから、どっかで 戻って、と言った訳やけども、(今となっちゃ)都会人の甘えと言うか、 マップ見た時に勝手に神戸走ってるR2のような状態を想定してた私は、 どこからでも戻れるもんやと(勝手に)思ってたのね。

がしかし、ここら辺のR2は、脇道と言えるようなもんがまるっきりなくて、 つか、民家らしいもんも殆どなくて、なんつーか他に何もないって感じの見事な一本道で、 それだけにトラックとかの交通量がすごく多くて、簡単に方向転換出来ない状態で、 反対車線に入るのにそれはそれは往生してしまいまして、同じ2号線でも、 こんなに勝手が違うねんなー、と感心した。

感心ばっかしてたらば、目的地にはつかれへん訳で、まぁ兎に角多少戻ったトコで 県道96号線に乗ったらええねん、とは言ったものの、そんな標識は見当たらへんねん。

つかさ、ものすごい山奥で、市街地みたく何本も道路が走ってる訳じゃないし、 さっきのミスもあったやろ。こりゃ道1本間違えたら、まるっきり違う場所に出てしまかもしれん、 てな不安がもくもく涌いて来てるのに、求める標識がないねんな。

んー、県道の標識が見当たらんのやったらば、次の目標「吉永駅」への看板なり 標識なりを探そうと思った訳やけども、これ又、「至吉永駅」みたいな事を大々的に 書いてるような大きな看板はなくて、←と吉永とだけ書いた小さな看板が細い脇道みたいな 場所に立ってるのを一つみつけただけ。

あれって、駅に向うんかなぁ、つか、こんな細い道が駅のあるようなトコへ通じてるん やろか?と、イマイチ曲がるんも躊躇われて、もうちょい進んだ先にもっと広い 右への道があったんやけども、今度はもう地名が違ってて、やっぱ吉永ってあるんは あそこだけやったから、アッチに賭けようか。鉄道が見えたらば、 駅にも着くんちゃう。

と、恐る恐るその細い一本道に入ったら、ほんっとに山の中で、周りは山ばっかりで、 ほんまに(1)この先に駅のある町があるんやろか?といっそう不安になった。

が、しばらくその山の中の道を走ってたら、田んぼや畑の間には民家が点在してるし、 何だか「石」を扱ってるぽい由緒ありげな工場みたいな作業所みたいな、 古くて大きな建物もある、小さな町って雰囲気の場所に出て、おお、ここが 吉永町かもしれん、 とか言いながら道なりに進むと、鉄道もある。

だけども、この辺りには、標識も看板も何も無い。うーん?どうかなぁ、と、 そのまま道なりに進んで鉄橋の下をくぐって、鉄道の向こうに抜けてみたらば、鉄道に添って 進みたかったのに、どんどん鉄道から離れて行くんで、こりゃちょいマズいんちゃうやろか? さっきのとこらまで戻って、とりあえず線路沿いに走ってみよ。道さえあったら、いずれ 駅に着くやろ。

と、鉄道沿いの道を進んでたら、最初の頃の田園風景よりももうちょっと家が多くなって来て、 うんうん。町の中心に近づいてるぽい。これやったらそのうち駅にも出るやろ。

とか言ってると、吉永駅への看板。おお駅や。マップじゃ、この駅のとこに、 サーキットへの看板があるって事になってたで。と言う訳で、早朝の吉永駅の前に 停めて、看板を探そうとクルマから降りた。(つづく)

(1)この先に駅のある町があるんやろか?
私もダンナも海辺の町で育ったせいか、JRは、基本的には海沿いを走っているという イメージを持っている
もっと言うと、山の中を走っているのは、その地方特有の私鉄だと言う(随分偏見の 強い)イメージもある
だけども、よくよく考えると海の無い県って少なくない訳で、海の無い県にはJRは ない、ってむちゃくちゃ乱暴なイメージだよな、とは思うけども、生活感覚から身に着けた イメージは、なかなか強く無意識を支配してしまってるみたいで、どうにも 不安になってしまうのよ

2005.8.28(日)

岡山国際サーキットpart.2

吉永駅は、こじんまりした素朴な雰囲気の駅で――うちの田舎の方には、こんな駅が 沢山あるねんけども――、駅前には、5、6台車が停められるかな?て程度の小さい 駐車場があった。

クルマから降りて、サーキットに向う看板を探したんやけども、あったのは町の観光地 を示したタイプの絵地図だけで、しかもこの地図の中には、 (1)TIサーキットは載ってなかった。だけども、途中にあるらしい 八塔寺ダムは描かれてて、この辺から登って行ったらよさそうやね。 じゃ、駅でどこから登ったらええんか尋ねてみよか。

木造の駅舎には、壁に添ってやっぱり木造の長椅子があって、線路に向って 左手に窓口がひとつ。

まだ時間も早い(6時ぐらい)けども、誰かおるやろか?と、窓口から声を かけたら、中から駅員さんがやって来て、あー、そういや鉄道利用する訳でも ないのに、道尋ねてもええやろか?と、一瞬思ったけども、他に聞けるようなとこもなし、 て事で、

く「済みません、TIサーキットに行きたいんですけど」
と言ったらば、おおびっくり、はいはいと、手書きで色鉛筆で色をつけた駅周辺 の地図をさくっと出して来てくれまして、
駅員さん「走りに行くんですか。ここが駅で、こっちが西。この川沿いにずーーっと登って 行ったらいいんですよ。こっちの町を通る道と、まっすぐ川に出る道がありますから」

用意の良さに驚きつつ、やっぱここで聞く人が多いねんな〜、と(何故か)ちょっと ほっとしつつ、お礼を言って駅から出て、川に当ったところから右折。

一本道やし川も見えてるし大丈夫やろ、とは思ったけども、何だか飛び飛びに民家が あるぐらいで、お店みたいなんは見当たらんし、みるみる山の中に入っていくしで、 あ〜、こりゃ間違ったかもしれんと思ても、聞く人がおらんよねー、つか聞けそうな 場所まで戻ろおもたら、かなり戻らんとあかんで、おーダムがあるダムがある。やっぱ 大丈夫そうやんか。おい、分かれ道やぞ。一本道ちごたんか。

と、止まったのが、ダムも抜けた先のあたりで、道沿いに小さいGSがある場所。 店には人気はないけども、駐車場には、すごく太った三毛猫が座ってる。

やってるんかどうかも分らんけども、やっとったらここでガソリン入れて、どっち側へ 行くんか聞いてみよ、と降りて、店先にある呼び鈴を鳴らしたら、 少し経ってから、杖をついた小さいおばあさんが、店の奥に見えてる自宅らしい所から 「ばあちゃんは、足が悪いですまんのお」みたいな事を言いながら、よろよろ 出て来た。

道を聞いたら、走りに行くのか。それならあっち側と、分かれ道の左を示す。 ダンナは、ハイオク満タンと言って、それから、自分でガソリンを入れてた。 私は、猫を抱いてて、田舎の猫はでかいよなーとか思ってたら、おばあさんが、 「かわいいか。気に入ったか」と聞いて来たんで、「はいすごく」と応えたりしてたら、 準備も出来たみたいやったんで、このGSを後にした。

こっからは、ほんまに一本道で、途中にはTIサーキットの(何だか場違いなぐらい) (2)COOLな看板もあって、順調にサーキットに着いた。

けども、着いたのが早すぎて、うーん。どうする?何か買うんやったら、 駅前あたりまで戻らんと、途中にはな〜〜んもなかったで。ちょっと寝るかな。 まぁ入り口の方まで行って見よか。(つづく)

(1)TIサーキット
正式名称は、今年から 岡山国際サーキット、 て事になったらしいねんけども、ゴロがいいから、結局TIサーキットと呼んでいる
つか、知ってる人は大抵TIサーキットと呼んでるぽい
(2)COOLな看板
TI CIRCUITとだけ書いた看板で、デザインはカッコよかったけども、 地図としての機能が全くなくて、「この先」とか「○○m」みたいな情報を求めてたうちらの 期待にはあんまり応えてくれない看板だった

岡山国際サーキットpart.3

#明日休み(ても、教習と言う名前の仕事(≒軽作業)みたいなのはあるけど)なんで、 中々目的地につかへんのもナンやなぁ、とか思って続きを書く事にした。

で、入り口のゲートみたいなトコに向う坂道を少しだけ登ったら、そこには ナンバー無しのトレノを積んだトラックが1台。

く「おわっ。搬入や。ごっつホンキやんか。これも走行会に参加するんやろか?」
だ「えらいのが来とるんやなぁ。こんなんアリか?」
く「まぁ、サーキットやねんから、どんなんもアリやろけどさ」

なこと言ってたら、トレノ積んだトラックが入場チケット売り場の方に進み出した。あれっ、もう 入れるんやろか?と思いながらも後ついていったら、チケット売り場のとこにはもう 職員の人がおる。

ダンナがクルマの窓から声かける。

だ「初めてなんですけど、えーと、ういーく…」
く「ウィークリーパワーズ」
だ「そうそう、ウイクリーパワーズ…」
とかとかむにょむにょ言ってたらば、職員の人が後を取ってくれて
職員さん「ウィークリーパワーズですね。はい。入場料金は600円になります。 折角早くこられたんですから、いい場所取っといたら如何ですか」

げな事言いながら、入場チケットの半券と一緒に、サーキットの施設を書いたマップと、 ピット利用場所を書いた小さい紙と、それから、近く開催されるらしいバイクレースの 広告ビラを渡してくれつつ、この先にありますよ、と簡単な案内をしてくれた。

時間が早かったにも関わらず、既に1組の先客さんがおって、それがやっぱし、 ナンバー無しで派手なカラーリングに広告くっつけた、チームだかショップだかの 雰囲気のトレノ。

86二台

クルマの整備してる人もおれば、タイヤもいっぱい持って来てて、いやん。 何か怖い。んでも、ナンバーアリ車両が気軽に参加するんがウィークデーパワーズの ハズやねんから、そのうちふつーにナンバー付けたクルマも来るやろ。やったら ええけどなぁ。こんなんばっかやったらワシかなわん。

とか言いながら、もらったピットの図を見ながら、クルマを停めたら、すぐ後ぐらいに やって来た人が、うちに声かけた。「隣、ふたつ使わせてもらってもいいですかね」。

いいですかも悪いですかもよーわからんし、なんしか隣使うような予定はないし。 はぁ、とか生返事してたらば、ピットに向う道の方から、トラックぽい音。

え〜〜、又搬入さん。ここはふつーの乗用車はおらんのやろか?と、見てたらば、 やっぱしトラックがレビン積んで来た。

なんなんよ、これ、とか言ってるうちに今度は車両運搬車までが、レビトレ各2台 積んで入って来て、ダンナは結構焦ってるし、そーゆー私もうちらってもしかして 場違い?な気分になって来つつ、まぁ、まだまだ(むっちゃ)時間はあるねんから、と、 サーキットの中をうろつく事にした。

ても、(実は)まだ7時にもなってなくて、受付け開始が10時なんで、後3時間も あるのに、ここにあるらしいどの施設も開いてなくて、かなり時間を潰すのは ムズそうやったけども、とりあえずはホームストレートの向こう側にある観覧席に行ってみた。

上のピンぼけの86は、この観覧席から、 ケータイカメラのズーム機能を使って撮ってみたやつやねんけども、台風一過のものすごい 晴天のおかげで、カメラの写り具合があまりよく見えなくて、カタチさえわかりゃいいかなー、 の気分で取ったらば、まんまカタチしかわからないような写真に仕上がった。

その後も搬入86がやって来て、ナンバー付き車両はこの時点じゃうちと、ちょっと 後からやって来たS2000だけ。

赤と白のやつ

ぴっかぴかの金持ちらしいS2000と、ホンキ度200%ぐらいのチームで やって来てるナンバー無し86ばっかの状態で、あれって絶対「会員」やで。 まさかまさかうちらが参加する予定の走行会が、そんなんばっかって事は ないやろ。

でもさー、全然関係無いけどさー、チームぽい人って、ブタと坊主が標準装備 やねんなぁ。ほれみてみ。各チームにそれぞれ一人ずつ居るで。つか、うちらだけたった 二人でなんか寂しい。今度来る時はチームの人みたく、ブタと坊主用意しようよ。

何てこと行ってたらば、86軍団とS2000が走り始めた。

そっかー、そうやったんかー。あの人らやっぱし走行会に来たんやなしに、 会員の人が会員枠で走ってたんや。あーよかった。

と、安心したとこで、俄かにあの86とS2000のサーキット走行てのがものごっつい 気になりだして、先ずはホームストレートで見学。

これは早いなぁ、アレはイマイチやなぁ、これはさっきまではトバしてたけども、 今は抑えてるねぇ、やっぱりグリップやねんな。こんに広いんやもん、その方が早いやろ。

S2000はやっぱ、ちょいキツ目かな。んでもよーやってるんちゃうん。こんなメンバーやし。 おっ、あきちゃんや。あきちゃんって?ほれ、あの黄色の。ああ、あれ、何であきちゃん?

の答を聞く前になんであきちゃんなのか分ったよ。あきちゃんトレノは後部の窓 のところに、でかでかと「あき」と書いているのでした。

あきちゃんに出資してもろたんやねぇ。んでもあきちゃん、ごっつ攻めてるねぇ。

あきちゃんは、他の86が調整やら、クールダウンやらで抑えたり、ピットに入ったり してるのに、走行時間内はず〜〜〜っと攻めっぱなしで、そのシャカリキな走りっぷりで イッパツでうちらの人気者になってしまった。

その後になって、うちらが行った翌々日、8月28日にはここで86のワンメイクレース、 「OKAYAMAチャレンジカップ第6戦・AE86フェスティバル」てのが開かれるのを知って、 86軍団が腑に落ちたのでした。そら早朝から搬入もするわなー。つかあきちゃんが どうなったんか知りたいな。


2005.8.29(月)

岡山国際サーキットpart.4

さて、レビトレの走行が終ったぐらいで、受付け時間になったんやけども、ここでちょっと、 今回のサーキット走行前の具合を少々。

/名前
F RE01R その溝の具合
R RE01 その溝の具合

上が、こないだの出来事の お陰ですっかり新しくなったタイヤ近影。

行くちょっと前にタイヤがやって来て、おー。新しいうちに記念撮影 やっとこと思ってて、なんしか折角やからRE01のロゴが入るようにしようと 撮ってから、そやそや、何かの証拠になるかもしれんから、 殆ど減ってない状態の綺麗な溝もついでに撮っとこ、て訳で、出かける前日に FとRそれぞれロゴと溝を撮った。

うちんちのMR2――関西圏で、この手の方向に趣味がある若い人はエムツー って呼ぶけども、これは年齢的なもんなのかな、地方色なのかな?――は、峠向きの 仕様になってて、足回りは色々やってるけども、エンジンの方はノーマルで (むにゃむにゃ解除はアレやけど)今回行くTIサーキットにはあんまり向かん ように思える。

#それを言うなら、ミッドシップは峠に向かん、てのもあるけど、場所に合わせて クルマを代えるクルマ好きはおらんと思う。
#(たぶん)誰もが、憧れるクルマとか好きなクルマは色々とあるにせよ、今乗ってる オレのクルマは特別の存在なんやないかと思う。

それでも、車検通したばっかやし、ショックも替えたし、タイヤも新しくなったし、 ブレーキパットも交換したし、エンジンのオーバーホールもしたし、で、 只今ってのは、色んなもんがリニュしたばっか(に近い)の、うちんちなりの、 ええ状態やねんな。

それに、ドライバーさんの方も、ようやっとこのクルマが「手に入った」感が 出て来て、怖くもあるけど、腕試しがやってみたい、な気分も涌いてる訳よ。

#ほんちょっと前までは、クルマを把握するんが大変やったし、若い頃みたいに 走ったリはできんやろからなぁ、な気分も多少はあったみたい。
#ても、ダンナは「走り屋」「走り屋」したストリート派やった訳じゃなしに、 元はラリー屋でして、あの頃のラリーは今みたく四駆オンリーじゃなかった。

そんなこんなで、こいつで広々したサーキット走るんはどんな具合なんやろなー、 な期待(と不安)を持ちつつ、とりあえずの走行前撮影になった訳。 いやさ、ほれ、タイヤって他の部分と違って、変化が見ただけで分るしさ。


2005.8.30(火)

多忙ばったり

旅行から帰った翌々日からダブルヘッダーの日が続いて、さすがにくたびれて しまってて、昨夜は家に帰ったらそのまま朝までぐっすり寝てしまってた (てのが昨日の日記)。

で、これ↑を昨日の日記として上げてしまって、それから移動して、改めて 今日(31日)の日記にとりかかる(予定)。


2005.8.31(水)

ウェブアカウント仮復旧?

もうだめぽいな〜、と思ってた 親方のとこが、復活してた。 どのぐらい復活してるのかのアナウンスがないかと思って 掲示板の方覗いたら、

大規模障害復旧のお知らせ  

投稿者:(´_`)y-~~  投稿日:2005/08/29(月)03時13分40秒  ■  ★ 
このたびはHDD障害による長期間にわたるサービス停止が発生してしまい
大変ご迷惑をおかけいたしました。深くお詫び申し上げます。

障害の発生したディスクからのデータサルベージは可能な限り行いましたが
おそらく半分以上のデータが消失しているものと思われます。
基本的にバックアップはございません。消失したデータに関しては
なにとぞご容赦賜りますようお願いいたします。

今後については追ってトップページ等でご連絡いたします。
現段階では2005/01まで予定通りサービスを続行する所存です。

との事。おお復旧したんや。お疲れ様やったなぁ、がんばってくれたんやなぁ、と 思いつつ、うちのURL見てみたら、 「ページが見つかりません」 になってて、そっか〜、半分ぐらいはなくなった、て書いてたからあかんかってんなぁ、 とか思いつつ、んじゃまとりあえず、FTP接続でもやってみっか、と繋いだらば、 懐かしい(?)ココスのnaokeフォルダがちゃんとあるじゃないの(中身はからっぽ やったけども)。

わーいわーい。私フォルダがあるー、んじゃま、一応index.htmlでも上げてみよ、 と思ってUPしたらば、ちゃんとUPもできて、そっかそっか、そーやったんか、これで 一応は元の巣に戻れるかなぁとhttp://strangeworld.cc/~naoke/に行って見ても やっぱし「ページが見つかりません」状態のままで、もうちょいと復旧への道は 遠いみたい。


end

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