April

2005.4.1(金)

思索縁談・花嫁修行

内田 樹の研究室で、 こないだから扱われてる、「希望格差社会」とか「階層化」とかについて書かれた文章 読みながら、最初に思い出したのは、ちょっと前に読んだ「不平等社会日本」 。今確認するとブックオフ価格100円で、2、3年前に買って読んだんやと思う。

#ブログの流行のおかげ(?!)で、大手サイトにリンクを貼るのに躊躇するようになった。
#うちは、ブログ作成ツールを使ってないんで、トラックバックみたいな事はできへんのやけども、 それでも、予想外(≒自分が予想するキャパ以上)に人が来てしまったりしたらば、どうやって 対応するかなんてのを全然考えていないのと、こんな人とは、全然話はできん よなぁ、と思える(←主観)言説に出会う事も少なくない(つか結構ある) 昨今のウェブ事情を考えると、「関わりたくない」気分の方が、何がどうなるとこんな 風な考え方や感じ方に至るんだろう?を知りたいと思う好奇心をずっと上回ってしまうんだわ。
#でもそれは一つには、掲示板でのおしゃべり読むだけじゃ見えなかった、個人の意見なり感想なりが、 ブログって形になる事で、ある程度まとまった文章になるもんだから、敢えて質問してみたり、 調べてみるまでもなくなっているから、てのもあるとは思う。

この本が出版されたのが、2000年で、出版時の帯の文句が「さよなら総中流社会」。この本で書かれた時 から5年たって、ここで言われているような状況が「悪化」した結果「希望格差社会」なり 「階層化」が進んだ、とも言えるかもしれんのやけども、私が以前にこの本を読んだ時に感じた 感想から行くと、いっそう「顕在化」しただけなんかもしれんな、とも思う。

で、「顕在化」してしまったから、ものすごく困った状況なのか?て考えると、 「顕在化」はしたけども、既に誰でも薄々(又はハッキリ)感じてた事を、改めて文章に しただけやないやろか、てのが最初にあって、状況はもしかしたら、ものすごく大きく変わった 訳でもないんかもしれんな、とも思うねん。

うちの給料も、上がらないどころか下がった。んでも、だから生活に困っているか? て事になると、そーでもない。うちは、不動産は退職後に田舎の方で(多少親を当てにして) ナンとかしようと思ってて、それまでは、居られる限りは社宅で粘るつもりなんで、 収入は少ないけども、生活は出来るし、すごくささやかやけども、遊んだりする余裕もある。 何が怖いかと言うと、仕事が無くなる老後の保障と、病気や怪我ぐらいで、 只今のところは不便や不満はあるけども、「生き死に」に関わるような大問題は差し当って ないねんな。

で、「勝ち組み」言われる少数の人を除いては、大部分は「多少の不便や不満はあるけども、 「生き死に」に関わるような大問題は抱えていない」状態なんは、2000年も今年も、そんなに も変わってないようにも思えるねんな。

つかさ、「失われた10年」とは言うけども、バブルが弾ける以前、うちらが 埼玉に引っ越す前に神戸の北区の市営住宅におった頃てのは、「鉄鋼不況」てのがあって、 市営住宅の近くにあった、「川崎重工」の社宅に住んでる人は、全然仕事が無くて、 だから殆ど給料も無い状態で、ものすごく困ってる、みたいな話をしてた。

それにバブル以前てのは、給与も時給もバブル以降に比べるとずっと少なくて、にも 関わらず、物価そのものは、あの頃の方が高かったものが少なくなくて、少なくとも、 うちら「下層階級」の生活そのものは、給与は上がらんけどもモノは安くなったんで、 楽にはなってないけども、苦しくもなってない、て部分はある。

一方、キツくなったと思えるのは、「労働条件」で、同じだけの給与をもらう為に求められる ものが(時間、内容共に)かつてよりも、かなり増えてるように思える。

まさ、こうやって変わったもんも変わらんもんもあるよなぁ、と思いつつ、リンク先の記事 読みながら、おお、もしかしたらば一番大きく変わったんは、女性の結婚事情と就業事情 なんかもしれんなぁ、とか思ったのね。

私が子供の頃は、「女の子には勉強は要らん」て考え方は、ポピュラーとは言えないまでも、 ごく普通にあって(田舎やったからかもしれんけども)、とは言え、もうこの頃は将来は 「およめさん」になりたい、何てこと言うような女の子は居なかった。

が、当時としては珍しい、専門職の母は、私の手に職をつける事にはあんまり熱心じゃなくて、 どっちかで言うと「どこへ出しても恥ずかしく無い娘」に育って欲しいと思ってたフシがあるねんな。

父は、これからは、女の子も経済力を持つべきだ、って考え方やったけども、経済力を 持つ女性やった母は、娘は「ええとこ」の嫁になって欲しいと考えてたみたいで、どっちも娘の 「しあわせ」を思ってたのは、(たぶん)間違いないねんけども、方向性は、かなり違ってた。

で、こんなのdddd4ンgtfffffffffffffffffffffbbbbbbbbbb(みや乱入)が当時では平凡な考え方やったんかどうかは、子供やった私には分からんかった んやけども、子供が幼稚園に通うようになって、他のお母さん達の大部分が、 「そこそこの学歴」と「生業になり得ないような習い事」を幾つかやってたのを知って (つか、こうやって今パートに出てても、年齢の近い人には、そんな感じの人が少なくない)、 おお、これぞ「花嫁修行」なんや、と、ええ大人になってから改めて思ってさ。

で、私ぐらいの年齢前後(つか上かな?)の人やと、見合い結婚も少なくないねん。 んで、こんなうちらの世界観では、勉強が出来て偉い人になるのは、元々少数派で、大部分の ただの人の現実的なものさしは、マジメに堅実にやってたらば、平凡やけども、それなりの 暮しが出来たら及第で、勉強は出来るに越した事ないけども、むしろ出来の良し悪しよりは、 きちんと課題がこなせるか(提出物が提出日に出せるか、とか忘れ物がないか、とかそんなん)、 てあたりにウェイトがあったように思う。

んで、それで充足してるか、て言われると、そうでもなくて、それ以外の「楽しみ」もあって 、果して、誰もが上昇志向を持って努力した時代があったのか?とか考えると、もしかしたらば、 今も昔も、少々の不便と不満を抱えながら、ささやかな楽しみと一緒に日々を送っている みたいなのが、一番多いんかもしれんなぁ、とか思う。


2005.4.2(土)

思索職業

タイトル違うけども昨日の続きみたいなもん。だらだら考えてる。

そんなこんなで、偉くなる為に勉強を頑張るって価値観は、少なくとも、うちの田舎じゃ一般的 じゃなかった。だけども、一方で、勉強よりも大切なものがあるんだ、みたいな考え方もなかった。

両親は、私の成績が良かったら喜んだし、悪かったら怒ったりもした。友達の家もだいたい 似たような感じで、通信簿をもらう時は、ちょっと怖いと思ったし、上がった、下がった、と 騒いだりもした。

私達は、偉くなりたいとは(あまり)思ってなかったけども、それでも勉強は大切な事だとは 思っていたし、何にも知らないよりは、知ってる方がより良いとも思っていた。

このシンプルな考え方が揺らいだ事は(私には)なかったけども、それだけに、より多く 学びたいと言う強い欲求もあまり起きなかった。何時でも自分の興味と必要に従って 学んだり学ばなかったりてな気まぐれがものすごく多かったけども、反面、「最低線」みたいのは、 どっかに設けてあって、「全く何もしない」と言う事もなかった。

将来の生活設計ても、結婚すればいいから、とは考えてなかったけども、エリートとか専門職 につきたいとも思ってなくて、どう考えてたかと言いますと、職業の「より好み」さえしなければ、 自分を食べさせる事は出来るって言う(根拠の無い)自信を持ってて、且つ、やらせてもらえる 仕事があったら機嫌よく働けるって言う(やっぱり根拠の無い)自信があったのよ。

#そしてそれは、ある程度は当ってたようにも思う。私は、単純に「労働」と言う行為そのものが好きだ。
#仕事をしたらお金が貰える、その事自体が好きなのね。これってもしかして、奴隷根性って言うの?!

だから、職業と勉強(も、趣味も)を 繋げて考える事はあまりなかった。つか、今でもあまりそう言う風には考えられない。

○○になりたいから勉強をする、の○○を熱望した事がない。と言うか、それ以前に、 ○○をみつけなければならないのか?てのの答えも未だに分からないし、それよりももっと以前に、 ちゃんと分かっていない事に対して、無理やりこじつけた答えを出してしまう事の方に恐れを 感じている。

#こう言う感じ方は、もしかすると、(当時では)あまり一般的じゃなかったのかもしれないし、 逆に今では、そう少なくないのかもしれない。
#そして、答えを出さない大人に苛立つ若い人が増えているから、極端な言説が流行るのかも しれないな、とも思う。

私は、結構早い時期から「大きくなったら何になるの?」と問われるのが嫌いだった。 「世に出る」為には何物かにならないとダメで、しかもそれを早いうちから決めろと せっつかれているような気になった。

私は、人に(不用意に)迷惑をかけず、自分で自分を食べさせて、私に出来る援助があるよう な場合には気軽にそれをするような、自分の至極近くに居る、尊敬できる大人みたいになれたなら、 それで及第だと思っていたし、一方で、「世に出る」事が素晴らしいと言う考え方そのものが、 私が尊敬する人達を少々侮辱しているみたいに思えて何だか不快だったのね。

それに、子供の頃の私は、ナイーブに「ノーブレスオブリージュ」を信じていて、 だからこそ、自分は(そのプラス面もマイナス面も込みで)あんまり偉くなっちゃいけないな、 とも思っていた。


思索階層化との出会い

#日付が変になってしまうけども、だらだら長くなりそうなのと、「サブタイトル」が 既にpart.○○じゃなくなって、まるっきり続きぽくないけども、丁度、すごく気になってた 事とも被るんで、この機会に色々書いてみようと思う。
#まとまったものを書くんじゃなくて、考えた「経過」を文章にしてみて、それを自分で 改めて読んでみて、多少なりとも、自分の考えてる事や、望むものが具体化したら いいなぁと思う。

「階層化」は、起きている、と言うか、私がそれを最初に思ったのは、大学受験の頃 の事だ。

私は、新人類と呼ばれるカテゴリーに入る年齢で、「共通一時試験」の世代にあたる。

ただ、最初から国公立は特に視野には入れていなかったし、それ以前に当初は進学の意思は なかった。

田舎モンの私は、進学の時期がやって来て初めて「付属」というものが世の中にあって、 そこに入学した人は、その上に大学に優先的に進学出来るという事を知った。

元々高い志を抱いていた訳じゃない私だったけれども、まるっきり別世界やんか、とは思った。 都会の進学校に行っている人と、田舎でのんびりやってるうちらじゃ、まるっきり学習環境や 意識の持ち方が違うなぁ、とも思った。

「不平等社会日本」のあとがきには、著者の佐藤 俊樹氏も、私が感じたような 違和感を感じたというような事が書かれている。統計資料を駆使して書かれた本書の、 統計資料の「読み方」には、異論も色々あるようだけど、こういった「体験」を「世に問う」 為に、ここまでしてくれたと言う、その事自体に何より私は頭が下がる思いがしたし、 氏の研究者として姿勢に「世間に対する誠意」を感じた。

兎に角、ここで私は「教育の階層化」を感じた。

次に私が「階層化」を実感したのは、社会人になった頃で、地方では、「公務員の子」は 「公務員」に、「教師の子」は「教師」になり易いといった、コネのあるなしが、 結局最も大きく就業に影響したという事実がある。

ここに至って、世の中の大部分の事には、既得権益の「囲い込み」があって、私達の 競争てのは、その囲い込まれた幾つかの世界の中でその世界のルールに従って行われているんだな、 と思うようになった。

もっとも、この「囲い込み」そのものが悪いものなのかどうかは、私には分からない。 大部分の「囲い込み」には、「相互扶助」の側面があったし、そうやって私達は昨日よりも 豊かになっていったのは間違いないし、自分の限られた範囲の中で「それなりの」努力をして ささやかな楽しみを持つに至った人の「しあわせ」を批判する理由はどこにもない。

多くの矛盾や不公平は孕んでいるけれど、大部分の人が今日の暮しにあくせくする状態から 抜け出したのだから、それはそれでええんかもしれんなぁ、と、私は考えていた。

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が、私が「階層化」を感じて(知って?)からもう20年以上。「不平等社会日本」からは5年経った。

あの頃私が感じた「階層化」の問題と、内田先生のサイトから派生していった、 ウェブでよく聞く「階層化」の問題とでは、少々ニュアンスが違うなぁと、私は感じている。

#ウェブを得たことによる、(私にとって)もしかしたら最大の効果は、同じものが、 ある人にとっては「既知」(←この件に関しては、私はここに含まれます)で、 ある人にとっては「発見」で、ある人にとっては「事実誤認」で、 またある人にとっては「本の要約」は紹介された本の作者ではなく紹介したブロガーの「断定」 に見えているようだし(リテラリシーの問題なのか、コンプレックスの問題なのか、あるいはその ブロガーに対する期待がそうさせたのかは、かなり微妙な線じゃないかと思う)、 私が「パーツ」と感じた部分を「主題」と感じる人も居るって事を知ることが出来たって事 なのかもしれない。

#内田先生は、「階層化」をリアル(現実)とした上で、この事についての考察を進めて いたけれど、これを「発見」とした人と、「既知」とした人とでは、受け止め方も、問題意識の 持ち所も全然違うし、ましてや「事実誤認」とした人ならば、最初っからちゃんちゃら可笑しい 戯言にしか見えないだろう。

ウェブ上の意見を読んでいると、自分の立ち位置を明確にしないで、言葉尻を拾っているタイプ が幾つかあって、それらは、「発見派」と考えてもええんやないかと思う。乱暴やとは思うけども、 あまりそういった事は意識する事がなかった為に、こういった見解に触れて、 思わず、気色ばんだって雰囲気があるねんな。

私が属する「既知派」は、比較的若い人(とは言え、中高生がこの事について 書いているのを私はまだ見た事がない。だから20代ぐらいの人)と私ぐらいの年齢(中年) になってるかなぁ。若い人は、「薄々感じていました」って感じで、年長者は「昔から そうだったじゃん」て感じ。

とかとかで、「教育の階層化」については、まだ「前提」が一致を見てない状態なんで、 これについて討論みたいな事をするような状態にはなってないんやないかと思うし、 もしか前提が一致したとしても、「教育の階層化自体」を問題にするのか、 「教育の階層化への対処法」を問題にするのかも、よく分からないし、色んな意見があるけど、 どれも内田先生が書いてる本文とは直接関係無さそうやし、大部分が、私と同様、 言えば気が済むって類のもんみたいにも思えるんで、色々あるよね、て事で、 私は私の考えを続けてしまいますわ。

#今の所は、内田先生のサイトでは、本の要約が一通り終わって、それから、昔の哲学者の言葉を引いて、 ようやく先生の意見なり見解なりが出て来るのかと思ってたら、肩透かしを食らった形になった
#こうなってみると、あのエントリーは、もしかしたら、こういった多彩な意見を炙り出す為の 先生の老獪な罠やったんかもしれんなぁ、とか思う。

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私は「教育の階層化」は「アル」の前提で考えてて、それへの対処の方向性としては、 「だけど」じゃなくて、「だから」と続ける派。「現状追認善処派」なのかな。

で、現状をどう捉えているかと言うと、「ハード」の方は良くなったけれど、 「ソフト」の方は、やや(すごく?ちょっぴり?)悪化していると考えてる。

みたいな事書いてたらば、丁度、NHKで 格差社会 てのをやってて、おお、やっぱしみんなかなり興味持ってる事なんやなぁ、とか思いつつ、 さっきまで見てた。

状況と立場によって、切実度も考え方も違ってて、私らやっぱし、「所得の少ない現場」の 人に一番近しい感じを持ってて、んでも、フリーターの問題も、うちんちの状況とまるっきり 被ってて、だよなー、困ったもんだよなー、ああ、だけども、あそこには、国の代表みたいな 人とか、大企業の役員の人とかはおらんよなー、おったら、袋になってるんかなー。とかとか 思いながら、やっぱし、20年前と、5年前と、今とじゃ、大きく変わってるよな、と、改めて思った。


2005.4.3(日)

思索私が知る(程度の)現状

んで、「ハード」と「ソフト」について書いてみる。

私の身近での見聞だけを元に書くんで、ごく狭い範囲で起きてる事になります。 神戸のケースのひとつ、と捉えてください。他の地方の事は、私にはよく分からないけども、 若い人のブログを拾ったら結構あるんじゃないかと思う。つか、幾つか読んだけども、 どれもあんまり明るい話はなかった。不満があるからこそ書くって部分があるのかもしれんし、 逆に、忙しくて充実してる人は、そんな事やってる暇がないのかもしれないし、後、 やたらと景気のいい話てのは、どうしても「怪しい」匂いがするんで、ちゃんと読まない、 て部分もあるな。

昨日は、すごく乱暴に「ハード」と「ソフト」って書いたけども、私の気分としては、 「ハード」は「仕組み」で、「ソフト」は「運用(方)」って感じ。

ハードの方は、20年前に比べたらば、そりゃもう充実したと思う。「雇用機会均等法」も 出来たし、ドロップアウトしちゃった子への支援も増えた。少なくとも、私が若かった頃に 比べたならば、選択肢はずっと増えたと思うし、それに関しては、すごくよかったと 思ってる。この仕組みが女性や若者を「つけ上がらせる」ようになったとは全然思っていない。 それに、昔に比べたら障害者の雇用機会もずっと増えたように見える。

#私が結婚して間もない頃、広島の擁護学校で働く友人がうちの子の顔を見がてら、 って感じで遊びに来た事があって、その帰りの事。北区に住んでたうちんちから、 新幹線に乗る為に新神戸駅に向かうのに、神戸電鉄を利用したのね。
#私は、全然気がつかなかったけども、駅の改札抜けた時に彼女が言ったんだわ。 「あの改札で切符切ってた子、手が悪かったよね。都会はいいなぁ。 うちの子が鉄道会社で働く何て考えられない」。
#今の神戸では、障害を持った人が普通の企業で働くのは珍しくない。義務化され、決まった 割り当てがあるから当然と言えばそうやけども、ここらへんは、進んできた部分やと思う。

で、やっぱ最初は雇用について。

利潤を出すのが難しくなってる現状は、新規採用を手控える方向にずっと進んでて、 パートとバイトの割合を増やすと同時に、その雇用契約も短期型が殆どで、これが中小企業 や個人経営やと雇用契約らしきものも、あって無いような状態になってる。

昔、パートが主婦メインやった頃は、個人事業で働いて「税金逃れ」みたいな事も 結構あったんで、その頃は、それはそれでお互いの利害は一致してたりしたんやけども、 これは、個人事業が儲かっていた頃の話で、只今は個人事業では、安くて悪い条件でも働くしか 無いような人(借金背負っててパートの掛け持ちしてるとか、年齢枠が厳しくて他には 行けそうもないような人とか)を何とか拾って、それでも、その事業主は事業主で切羽詰まって たりしてる。

私がパートに行った先でも、10年ぐらい前ならば、学生バイトが、おこずかいを稼ぐ為に やって来てて、卒業して就職が決まったら辞める、てのが多かったんやけども、この頃は、 就職が決まるまでずっとバイトみたいな子が随分増えた。

む上がバイトに行ってる先は「工場の下請け」みたいなとこで、職種で言うなら 「期間工」。ここは、契約期間中は大抵の保障はつくねんけども、仕事がある間のスパンが 短くて、何より仕事先の工場そのものは、もう何年も新規採用を取ってないんで、 社員さんは、全員かなりの高齢らしい。

な感じで、「仕組み」に上手く乗れたならば、ちゃんとした保障はあるねんけども、 乗る前の段階で足切りされてるって部分が相当増えてるんやないかと、私には思えるねんな。

んで次は、リターンマッチのし易さについて。

うちらの頃は、終身雇用が普通やったから、いい大学>いい会社、てなルートはある程度 確立してて、そのぶん、ドロップアウトしちゃった場合の出直しは困難で、それが一つの プレッシャーになってたように思うねん。だから反面、ドロップアウト組は、その事を逆に バネにして、突っ張ってた、て部分もあったように思う。

んでも今は、「大検」て仕組みが定着して、ドロップアウトのリスクは昔よりも小さく なってるとは思うねんな。それに各種専門学校がものすごく多彩になって、(見かけの?) 選択肢は増えたみたいにも思える。

だけどさ、高いお金と入り易さがウリの専門学校は、その専門性がどのぐらい就職に 直結してるかと考えると、私はかなり???を持ってる。つかさ、仕事はあるかもしれんけど、 お金になるかは又別で、それで食って行けるかはもっと別やないかなぁ、とも思ってる。

兎に角「教育」には、お金がかかるけども、そのかいが誰にでも同じように戻って来るとは あんまり思えんねん。

うちの子の場合は、チャラチャラしたもん選んだから、親の私は、多少開き直って、 仕事や技術よりも「人脈」掴むつもりで行ったらば、とは思ったけども (期間も短いし、ここでお金を出さんかったら後悔しそうな気がしたし)、 ほんとにマトモに子供の頃からちゃんと家庭教師をつけて音大出した娘さんが、 どうにも職がないって聞いた時には、正直むかっ腹が立った。取りっぱなしやんか、とも思った。

もっと実務的な、資格を取るってやつもかなり似たり寄ったりな部分があるみたいに見える。 図書館の書士になるには、その専門学校を出て(高い)、かつコネがないとまず入れない、 なんて話も聞いた(聞いた話だから、御注意を)。

うちの父は「資格」を取るのが趣味で、結構色々持ってるけども、それは全然収入には 結びついていない。本人、カネになりそうだと思って取ったみたいな部分もあるみたいに 見えたけども、「資格」てのは、「金棒」であって、「鬼」が持たないと意味が無いんじゃないかと 思ってる。

結局儲かってるのは「教育産業」だけで、その利用者の利益の方はかなり怪しい気がしてる。 入り口はいっぱいあるけども、出口はものすごく狭い、てのが、選択肢が増えたの実情 やと思う。

そして、夢追い人。

バンドやってる子の間じゃ、多少常識化したみたいやけども、 青田刈りみたいのが、あってさ、売れそうなジャンルの売れそうなバンドには、レーベルから 声がかかって、うっかり「契約」しちゃうと、デビューは出来ない、活動は出来ない、 の飼い殺しみたいな状態になるってのがあんねん。これからは、こんな手口に引っかかる子は 減って行くかもしれんけども、(わずかの)チャンスに飛びつきたい子の射幸心を煽る、 ものすごい嫌らしいオトナの手口やと思う。

#どうしても夢を追いたいのならば、狡猾であれ、と思う。手を汚す覚悟が無いのならば、 堅実であれ、とも思う。
#子供には、経済的に自立してもらうのが私の望みだと伝えているけども、うちの子に限らず、 誰でも、若いうちは、多少のモラトリアム期間を持たせられるような社会であって欲しいとも思ってる。

と、不平不満をぶちまけてみたりしたけども、どの程度の「危機感」でこれに臨んで、 どんな形で対処するのがええんかは、私にはイマイチよーわからん。

それに、国内だけで何とかなる話なのかどうかにも疑問を持ってる。む上のバイト先の 工場には、色んな国の外国人労働者が居たらしい。彼らの時給が、うちの子達と一緒やったんか どうかは私には分からんけども、少なくとも、新しい設備投資をするよりは、人を雇った 方が安いからこそ、そうなってるんや、てのは分かる。

又、神戸には大きな工場があって、定期的にではあるけど必ず仕事があるけども、 地方となると又話は違うと思う。こないだ田舎に帰った時に、従兄の子供(うちの子より少し上) が、大学を出て、田舎で就職しようと戻ったけども、なにも無いので、今は姫路の方で 友達と暮してる、みたいな話を聞いた。

私も子供に、こうやって路上ライブなんてのが出来るのは、都会に自宅(正確には社宅) があるからで、地方から出てきた子やったらば、バイト代は家賃で飛んでしまうねんから、 あんたは恵まれてるてのをちゃんと自覚せーよ、とは言った(どのぐらい自覚したかどうかは 謎)。

と、暗い話を書いたけども、日本の未来がどーのこーのは、分からんけども、短期的には、 ちょっとだけ明るい見通しも持ってる。もうちょっと経ったら、団塊の世代の人が一斉に退職 になるやろ。そしたらば、就業人口が減って、嫌でも雇用は増えると思うねん。

それにさ、人生80年の今やったらば、退職した団塊の世代の人の「財布」から、 色んなニーズは生まれてくるんやないかとも思うねんな。

働いたら損をするって思ってる人はもうしょうがないけども、働きたいと思ってるのならば、 もうちょっとの辛抱だよ、とも思ってる。

#だから私は健康で居たいな。


2005.4.5(火)

春六甲

昨夜は早くに寝て、明け方に起きて六甲行った。

タイヤ替えてからは2回目やねんけども、前回は、流石に雪はなかったけども、 なぜか道に水が出てたり、道が凍ったりしてる部分もあったりで、 hgp;vgfb54qaとてもじゃないけど、タイヤの限界を試すとか、 タイムアタックやってみる、げな事するような余裕はなかったのよ。

んで、休みを揃えた今日、心配してた天気も問題無く、今日こそは大丈夫やろね〜、と ドキドキしながら、裏六甲。

道の様子も分からん最初の1本目は流して行こうよ、と登っていったらば、今回は 問題無し。裏でこれやったら表は大丈夫やね、と、安心して表を下りる。今日は平日早朝で、 元気な若者ももちろんやけども、走ってるクルマそのものがむっちゃ少なくて(つか、 流石に平日早朝は殆どクルマは居ない)、道ヨシ、クルマヨシ、天気ヨシの、ええ状態。

果して、新六甲トンネルの料金所脇の駐車場でクルマを回して、料金所脇のトンネル抜けた 所からストップウォッチ・オン。

むむむむ。結構よさげやけども、深いコーナーがあかん。どうにも前が持っていかれて、 立ち上がりがものごっつ不安定。んでも、普通のコーナーはかなりええ感じで曲がれるし、 ストレートも相当踏めてる。

時計の方は、去年の最速には及ばんかったけども、そこそこ。

く「前やね〜。深いとこの立ちあがりがどーにもぐにゃぐにゃになってまうもんねー。 あっこさえ何とかなったら、5秒から違うんちゃう?Fも替えたら良かったよね」
だ「おお。もつかな〜思とったら、急に来るからワシ必死やで」
く「まぁ、よー戻せるよな〜、とは思うけども、戻せるってだけやったら早ならんしねー。 ず〜〜っとGがかかってるおっきいトコが鬼門やよね」

なのよ。前のタイヤがもうあかんねん。やから、バイカーやったら大喜びしそうな 大きくて深いコーナーやけども(こんなコーナー曲がる時って、バイクやと、 一体感みたいのが凄いんやないかと、勝手に想像してる)、荷重がずっとかかり続けて、 「ある時点」で前が滑り出すクルマやと、こんなコーナーは、Rタイヤ替えて ノンスリ入れたらば、ずっとクリアしやすくなる他のコーナーとは違うむずさ(と面白さ)が あって、Fがダメダメやとその限界がむっちゃ下がってしまうもんで、立ち上がりが そらもうむちゃくちゃになるんですわ。

く「やけどさ、あーゆーとこってば、結局はどう転んでもGかかり続けるねんから、 どっちかで言うとアクセルワークで逃がすみたいな走り方した方が着実なんちゃう? まぁ、慣性ドリフトで抜けてまうんが最速やないかとは思うけどもさ。それって、 闇雲に突っ込んだらええってもんとはちゃうやろ」
だ「突っ込んでくのが好きやねん。タイヤがこらえんでどうする」
く「好き嫌いの問題なん?」
だ「ワシそやけど必死やったで。急にずるずるゆうから」
く「いや、ものごっつ頑張るなぁとは思ってた。半分スピンみたいなとこもあったしね」

とかとか言いながらも、数ヶ月ぶりにしたら、結構ええ時計で、特に裏は、表みたいな 大きいコーナーないもんやから、すっごいええ感じで、危なっかしかったタック・インも ものごっつ安定してきて、これからが楽しみですわ。

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思い出したんで追記。

MR2は、Rタイヤ替えた後、今度こそブレーキやね、と言ってた矢先に、ブレーキが危険に なって、ブレーキパッドを交換した。次は、後がちびってしまう前に、Fタイヤ交換したいねんけども、 アドバンが復活して、 サイズもいけるかもしれんので、今度はこれもちょっと狙ってるねんけども、その前に、 シフトノブが割れはじめたんで、こっちが先の予定。んで、タイヤの後は、そろそろファンベルト。

貧乏暇無し。


2005.4.8(金)

忌引き

葬式があったんで、実家の方に戻ってて、さっき帰った。

思うところは色々あるけども、まだ、全然消化できてないし、それ以上にこうやって 公開する気にもイマイチなれんのやけども、出来事として、記録しておきたいって気分も あるんで、取りあえずのメモ。


2005.4.9(土)

あの頃おにいと居た家

死んだのは、おにいで(こうやって書いても、全然実感が涌かない)、今から考えると、 おにいと一緒に生活していたのは、たった4年やったんやな。

あの頃、私達が居たのは、宮さん(仮名)とこからから貸してもらってた借家で、何度か書いた事が あるけど、夏みかん畑のある家で、伯父は、製紙工場に勤める傍ら、時期がやって来ると、 みんながかり(私はリヤカーに乗ってたり、花とか虫取ったりするだけやったけど)で夏みかん を取り入れて、市場に出していたし、ちょっと遠くにある、 (やっぱり)宮さんちの田んぼの世話とか、ナンバ畑の世話とかもやってて、これも 市場に出してた。(田んぼの米の方は、どうやってたのか分からん。他のは、リヤカーに 積んだ時に私も一緒に乗ってた)

家は平屋で、東向きの玄関から入った所に6畳間。その奥に襖を隔ててもう一つ6畳間。 このふた部屋は、そのまま続いてるんじゃなくて、半間ずれてて、ずれた南側の半間の狭い廊下 のような縁側のような所の先がトイレになってる。

玄関入ってすぐのこの6畳は、今から考えると、「客間」ってニュアンスがあって、 普段は使わない部屋で、奥の部屋に通じる襖の上の壁に、セザンヌの「青い瓶のある静物」 「青い花瓶」のレプリカ(とも言えないようなやつやと思うけども)が、ちゃっちい額縁に収まって 飾ってあった。

#この絵が、そんな名前のそんな作家の絵だったと知ったのは、もうちょっと大きくなって、 やっぱりちゃっちい美術全集を見てからやねんけども、これが刷り込みになったんかどうか、 私は今では、一番好きな画家はセザンヌです
#小学生ぐらいの頃は、小学生らしくダリが好きやった

この部屋の北側には4畳半があって、そこは茶の間で、テレビを置いてた。 ても、何時の間にかテレビがやって来たて感じで、すごく小さい頃の記憶では、テレビがやって 来る前は、伯母は、ラジオを流してて、私は、ラジオで、漫才や落語を聞いていたような気もする。

#小さい頃のすごくいい加減な記憶やねんけども、「てなもんや三度笠」とか「8マン」 とか「素浪人月影兵庫」とかは、映像で思い出せるのに、「若井はんじけんじの漫才」とか 「米朝の落語」とかは映像が出て来ないんで、あの頃てのは、テレビとラジオが並存してた 時代なのかな、と、今は思っている
#全然関係無いけども、「林屋三平」と「立川談志」は、TVではよく見たけども、落語は あんまりやらなくて、TVで聞いた「立川談志」の落語はものすごくつまらなくて (私にはそう思えた)、「林屋三平」は、度々TVで見たけど結局落語は一度も聞いた事が なかったみたいに思う
#もしかすると、関西のラジオで上方落語や漫才を頻繁にやってたんかもしれんなぁ、と、 今になって思うけども、どうなんかな?

4畳半の茶の間には、あの頃は、丸いちゃぶ台がほんとにあって、だけど、途中から、 足の部分がスチールの畳めるテーブルに変わったような気もする。ここには、 伯母の鏡台もあって、その鏡台は、四角い鏡のじゃなくて、上の部分が半円で木の枠がついてる やつで、鏡の中央のあたりに、ちょっとだけ中の銀紙が剥がれてる場所があって、 他のとこの鏡がなんでも写すのに、その場所だけが、裏の板が見えるのが、ひどく私の興味を引いて、 鏡って不思議やなぁの気分をいっそう盛り上げてた。

#ほんとにものすごくちっちゃい頃は、伯母はまだパーマを当ててなくて、長い黒髪を 梳いて居たのを見た覚えがぼんやりあるけども、幼稚園に行く頃には、もうパーマをあててた

この茶の間の4畳半の東側に床間の台所があって、畳の部屋より少し下がってた。 ここは、玄関の真横あたりになるねんけども、この台所には勝手口があって、勝手口から台所に 入る前は狭い土間になってて、玄関の靴箱に入れないような、普段履きのつっかけとか、 古くなった靴とかはここに置いてた。

この勝手口の土間の下の隙間に、自分がもっと小さかった頃の靴をみつけて、おおっ、と 思った記憶がある。当時まだ幼児やった私やけども、あかちゃんやった自分を知ったような なんかぼんやりしたそんな気分があった。

台所には、4人がけのテーブルを置いてて、初期は氷を入れて冷やす冷蔵庫と「みずや」が あった。「みずや」はそのままやったけども、冷蔵庫はその後、電気冷蔵庫に代わった。

流しは北側にあって、遊んでのどが乾いて水を飲みに家に戻ると、何時でも伯母はそこに 立っていて、コップに水を汲んでくれたように思う。流しに、何時頃からか、 コップを6個伏せて乾かせるコップ立てがやって来たのもこの頃やったやろか?それとももっと 後なんやろか?

絵を飾ってある部屋の奥の6畳間が寝る部屋で、洋服ダンスと人形ケースを上に乗せてる整理ダンス があって、人形ケースには、旅行のお土産の人形が色々飾ってあった。

この初期配置は、その後、トイレに向かう廊下の南側に受験を控えるおにいの「勉強部屋」、 勝手口の土間の東側に「風呂」と、どちらも伯父が増築した。

おにいの勉強部屋は、机と本棚でイッパイになるような、文字通り勉強だけをするように なってる狭いベニヤ作りの部屋で、おにいの勉強の邪魔になったらあかんからって事で、 入るのは禁じられてたような気がする。この部屋の事はあんまり覚えてないけども、 一杯英(単)語を書き並べた紙を見た覚えがある。

この、夏みかん畑と普通の畑とのある敷地には、住んでいる家とは別に「離れ」と「肥溜め」が あって、敷地の道側(北側)には、塀代わりに杉の木が植えられてた。

杉の垣根(と言うには高すぎるけども)から敷地に入って、まっすぐ南に進んだ先が、 小さいながらも農場地帯(と、呼ぶのは少々おこがましいけども)で、道の右手が夏みかん畑、 左手が畑になってた。

畑になってる側にも、2本だけ夏みかんの木があって、2本並んだ夏みかんの木の、 南側にある1本を「あこ(←幼名)の木」、となりの北側の木を「あきらちゃん (←伯母達が面白がってあこのぼーいふれんどと呼んでた、同い年の幼馴染)の木」と決めてた。

#ちなみに、「あこの木」には、ものすごく座り心地のいい枝があって、「あきらちゃんの木」 にはそれは無かった

この、垣根の先の小道は3方向に分かれてて、正面が、さっき書いた、畑と夏みかん畑の間通じてて、 右手が住んでた家に向かってて、道の左手にある肥溜めの脇を抜けるすごく狭い道の先に離れがあった。

肥溜めは、畑の肥料の為にあって、普段は板の蓋をしてたけども、 時期がやって来ると、蓋を外して利用してた。臭いし、落ちたら怖いんで、あんまり近づかん かったんで、ここに近づいたらあかん、みたいな注意を受けた覚えは無い。

肥溜めの奥の離れは、全然使ってなかったけども、弟が麻疹にかかった時に、(私の記憶の 中では)初めて開けて、中を見た。土間を上がった所に畳の部屋がひとつあるだけの がらーんとしたもんで、ばあちゃんちにあった、納屋とも、ダンナのお姉さんの嫁ぎ先の 農家にあった倉ともかなり趣が違うように思うけども、単に、私がよく覚えて無いだけなん かもしれん。

家の方に向かう道の部分が、ゆうたら庭になってて、園芸好きの伯父が植えた花が色々植わってた。 ても、おじさんが植えるようなモンなわけで、つつじと菊がメインやったように思う。天気がええ日に (もしかしたら時期もあったんかもしれんけど)伯母が着物の洗い張りをしてたのも思い出す。私は、 この道で蟻の行列を見たり、邪魔したりして遊んだ。夏みかんとは別に、ここには、金柑と八朔が 植えてあって、この低い木に生えてる2種類のみかんは、なると取って食べた(ても金柑は皮の 部分だけ)。

畑の方には、何を植えていたのかよく分からない。ただ、大根の花が咲いてて、それで遊んだ 覚えがあるんで、大根を植えた事があるのは間違いないと思う。

伯母の家に居たのは4年だけやったけども、両親と暮らすようになったばっかりの頃の私は、 ものすごく寂しくて、何時も家に帰りたいと思っていた。

ただ、この家は、おにいが大学を卒業して、家族が家を持って引っ越し、宮さんのお宅に 不幸があったのと前後して、敷地ごと無くなった。 売ってしまったんやないかと思う。その頃には、もうあの辺りにあった田んぼや畑も なくなってたし、私が小さい頃に遊びに行ってた(粘土が取れた)小山もなくなって、 広い道路が走った。


2005.4.10(日)

ウェブ権威になっちゃうと

xreaサーバGoogle八分に関する 圏外からのひとことさんの記事を読んでて、あー、こらあれやな、ファミ通問題やねんな、 とか思ってた。

ちょっと前に、 アマゾンアソシエイトにNOと言え。って エントリーを読んで、最初あれっ?!と思って、それから、あーそやなー、とか思ったのね。

ゲームせーへん人とか、ファミ通が一番売れてるゲーム雑誌になる前とか知らん人には あんまり分からん話やと思うし、私自身、(1)ゲーム雑誌の熱心なユーザー やなかったんやけども、私は、最初に出たゲーム雑誌ファミマガ読んでて、 それのレビューで何度か痛い目に遭って(つか、ものすごくあほやなぁと思うけども、 当初は広告にもきちんと騙されてて、派手なゲーム画像見るだけでそのゲームが 欲しくなってたりもした)、その後、ファミ通の「クロスレビュー」の仕組みが 気に入って、ファミ通にシフトしたのよ。

まだ浜ちゃんが編集長になってない頃で、あの頃は、選者の個性がレビューの得点にかなり 色濃く反映してたと(私には)思えたし、自社の製品のレビューは、低い目の得点にもなってた (ほんまほんま。アスキーのソフトには結構厳しい評価になってた。あーでも、私の面白いが、 誰にでも通用する訳や無いから、人によってはやっぱしクソゲー掴まされたぁ、 と怒り狂ったのかもしれんなぁ。それに、対象ユーザーの年齢も影響するかもしれんしなぁ)。

もっとも、ファミ通はこのレビューの評判でファミマガを抜いてゲーム雑誌売上トップになって、 何時の間にかゲームの記事よりもゲーム業界の記事が多くなっていって、 だんだんレビューは甘くなって行ってた(実は、浜ちゃんのレビューと真理ちゃんのレビューは 全く信用してなかった)。んで、ついにゲームソフトには、「ファミ通推薦」シールが貼りつけられる ぐらいの影響力を持つようになってるねんな。

#んでも、当時から既にオトナやった私は、営利目的なんやから、多少は悪いレビューでも しょうがないなぁと思ってたし、それよりも、ものすごくオタク色の強かったマルカツの 方が、怖かった。
#大した中身がないのに思わせぶりな台詞が多くて、人物の顔にばっかり力入れてて、 動きや背景がちょいとオソマツやった連載マンガにはかなり引いてたんやけども、 それはもしかしたら、私が歳取り過ぎやったからかもしれんなぁ、と、今は思う。

でで、今や一番影響力を持つ検索エンジンGoogleは、この影響力のお陰で、やっぱ色々問題を 抱えつつあるんかもしれんなぁ、つか、ブログがこうやってかなり増えた今になったらば、 被リンク数がページランクに影響するGoogleの仕組みを考えると、私はそろそろ出される 結果に猜疑心を持ち始めてた所で(それは、アマゾンのレビューにも言えてるけども)、 サーバ丸ごと拾わなくなったりしてしまってる事もあると分かった今となっては、 Googleで儲けてる訳でも無い私は、今後の方針はどうしようかなぁ、と思案中。

あーでも、Google以前は、複数の検索エンジン使うってそんなに苦にならんかったのに、 今更それもしんどいよなぁ、とも思う。

ゲーム雑誌の熱心なユーザー
私は、ゲームの熱心なユーザーやけども、ゲーム雑誌の熱心なユーザーじゃなかった
ネットをするようになって、ゲームの熱心なユーザーでかつ、ゲーム雑誌の熱心なユーザー ってタイプの人とか、ゲームの熱心なユーザーじゃないけども、ゲーム雑誌の熱心なユーザーってタイプ の人が居るという事を知った
これは、子供は簡単に新しいゲームを買えなかったって事情と、ゲームについて語る事が好きな人 が居るって事と、オタクは業界話を好む傾向がある、みたいな結果こうなったんかな、と、勝手に 想像してる

つか、xreaのGoogle八分が終わってる。いや、うちのサーバだけかもしれんけども、 一体何が起きたんかな?ちょっと xrea板 行って見よ。


2005.4.11(月)

妄想ペンギン祭

ちょっと前にさ、む上とだらだらしゃべってたのね。

く「そら、できんもんはできんもん。ペンギンはね、空は飛べないけども、 泳ぐのは得意なのよっ。無理に飛ばそうとしたって上手い事行くかいな」
む上「そら、そーやけどさ、オレはな、飛びたいペンギンがおったら、ほら、上手に飛べてる やんか、ゆうて泳がせる」
く「そんなんやって、ペンギンが得意になって泳いでて、はっ、と我に返って、 私ってば、飛んでない?!とかおもたら、溺れてまうんちゃうん?」
む上「信じる心があったら、大丈夫や」

げな事があってから、「飛びたいペンギンのしあわせ」って、どんなんやろか?みたいな 思いが時々頭をよぎってしまうようになって、ついつい話の端々にペンギンが登場してしまう 今日この頃やねん。

んで、こないだ葬式で田舎に帰った時にも、思わずペンギンが出てしまった。

うちの田舎の方の道に明るくないダンナは、今回、どこへ行くにも父の後を追っかける 事になってしまったのね。

そんなうちの父の運転てのが又、そらもうむちゃくちゃトロくさくて、 どんな場所でも30km/時ぐらいのスピードで走るねん。

単に、ゆっくり走るだけやったら、まぁ、安全運転と言えなくもないし、どーゆー訳か 大抵の普通の道路の制限速度は、ほとんど誰も守ってないけども、40km/時ぐらいになってるから、 そーゆー意味じゃ、父の運転は、ある意味正しい運転とも言えなくもないねんけども、 父の運転は、運転中の注意がものすごく散漫で、うちらは子供の頃から、父のクルマに乗ってる 時は、常に周囲前方に注意を払い、信号が変わった、とか、歩行者が居る、とか、一方通行に なってるよ、みたいな事を、ずっと父に伝え続けつつ、父がよそ見をする度に、前を見て〜、 と、前方に注意を向けさせなければならなかった。

それから思うと、ダンナの運転は、私にはずっとずっと気楽で、父のクルマに乗ってた頃は、 全然クルマの中で眠ったりできんかったのが、ダンナの運転やと、くたびれたらすぐに寝てしまう。

ただでさえイラチのダンナが父のクルマの後を追うってのは、中々ストレスになるみたいで、 ひえ〜、30km/時や、ああっ、ここで止まるんかい?とか、ウィンカーはもっと早めに出してくれよ、 とか、そらもうクルマの中で大騒ぎを始めた訳だわ。

く「なぁおとーさん、うちのおとーさんな、ペンギンやねん。ちょっと考えてみ。 ペンギンてば、泳ぐんは速いけど、走るんは遅いやろ。空は飛べんし。こうやって後から 見てたら、ヨチヨチ歩いてるみたいに見えるかもしれんけど、あれはな、ペンギンにとっては 全力疾走やねん」
だ「ワシ、ペンギンは好かん」
く「おとーさんかって、べんきょうは苦手やろ」
だ「今はクルマに乗っとる」
く「おおっ、見てみ、ほれ、ペンギンカ〜〜ブ。あのコーナリングは、ペンギン的には、ほぼ ベストやな。次のペンギンカ〜〜ブ。今日のオレって乗れてるぜ」
だ「もおペンギンはええわ」

とかとか、ペンギン走りについて話してるうちに、なんとなく、遅いのに危なっかしい運転は、 ペンギンがしてる、って話になって行ったのよ。

#それでも、遅くて危なっかしい運転と、早くて危なっかしい運転やったらば、遅くて危なっかしい 運転の方が、被害がずっと小さいと思う。
#父は、当てたり、擦ったりのちょぼちょぼした対物事故は何度かあったけども、 大きな事故はやっていない。
#でもこれは、田舎やったからってのと、誰も一人で父をクルマに乗せなかったっ てのも大きいとは思う。

さて、色々あったけども、事は無事に済んで、こっちに戻る道のこと。

今回の帰省は、事が急やったんと、翌日からの仕事の都合で、実家からの出発は、 何時もはそんな時間を選ばない昼間になったのね。 果して、R168抜けて、橋本から西名阪へ向かう途中で、とうとう渋滞にひっかかってしまった。

だ「ああっ、くそぉ。夕方になる前に大阪入ろおもてたのに、ペンギンばっかりやから、 結局ここで渋滞かよ」
く「おおっ、こんなにペンギンが集まってるって事は、このクルマの行列について行ったらば、 ペンギン祭があるんかもしれん。いっそこのままず〜〜っとついて行ってみーへん?」
だ「いやじゃ〜、もうペンギンは要らん」
く「いっそ、自分もペンギンやと思たら、ちょっとは落ちつくかもしれんね」
だ「ぴー」

その後、ぴーぴー言いながらも渋滞は抜けたけども、提灯をぶら下げた満開の夜桜の下で、 皇帝ペンギンが輪になって踊ってる、げな、ペンギン祭のイメージが新たにペンギンイメージに 追加されてしまった。


2005.4.12(火)

映画着信アリ

を、さっきまで見てた。

コワかった〜、つか、映画見終わって最初にしたのは、自局番号の着信拒否でした。

かし、こんだけホラーが流行ると、だいたい次がどーなるのか見当つくから、 あ、あそこから出るな、とか、これは動くな、みたいのが分かるねんけども、これって、 分かってるから怖くない、ってもんでもないねんな。

あんまり意外過ぎる展開やと、一瞬何が起きたんか把握できんくて、怖がるチャンスを 失ったりして、来るぞ来るぞと思ってて緊張感が高まったとこで来るんと、高まって、緩んだ所で 来るみたいな、緊張度の緩急が怖がらせポイントかな。

にしても、女おばけって、ストレートのロングヘアがお約束になってるけども、 これって、分かっちゃいてもやっぱ「髪の毛」は絵的にインパクトあるもんな。

後、とんでもない方向に身体(パーツ含む)が曲がるのも、こうなるだろうと予想してても、 映像で見ると、やっぱえぐいな。


2005.4.13(水)

今年に入ってからのやつとか

と、ちょっと前に映画の方を書いたから、今度は読んだ本の記録。読んですぐとか、読んでる 途中とかで書いたら、書き忘れたままなんとなく終わっていくって事もなさそうやねんけども、 ほれ、読書感想文そのものが全然ダメで、書かんとあかんとか思ってしまうと、それだけで 読む気が失せるし、読みかけで置いてるやつとかも結構あるから、「今○○を読んでいます」とは、 あんまり迂闊に書けんよな〜とか、微妙に思う。

科学事件
20世紀の科学技術の発達に伴って起きた大事件について、元朝日新聞科学部の記者(?) だった著者が、科学事件に対して、マスコミと私達の関心って方向からまとめている本
扱われた事件がどれも有名なもので、だけど経過をよく知らないものもあって、 おー、こんなんやったんかぁ、と、思う事も色々あったし、リアルタイムだと、「起きた事」 だけ知ってりゃいいや、と思ってた事件なんかも、こうやってまとまってると、その流れが よく分かって面白かった。
テレビゲーム文化論
ビデオゲームの歴史がよく分かりました。歴史みたいのは、なんとなくだいたい知ってたりも するねんけども、本にまとまってると、やっぱ分かりやすいな、と思う。
テレビゲームは「遊び相手」てのは、ものすごく納得出来たし、今後はやっぱりネットワーク なのかなぁ、とも思えた
擬態うつ病
タイトル、ちょっとマズいんじゃないの?!とは思ったけども、何でこの頃になってこんなに 急激にうつ病が増えてしまったんだ?への一つの答えがここに
だけど、この本には、擬態うつ病の治療については書いてない。氾濫するうつ情報が 「うつ様疾患」(←勝手ネーミング)を生み出すのならば、「うつ様疾患」は(ある意味) 現代病には違いないんだから、対処法が欲しかった
市民の政治学
帯の「ポピュリズム」の文字に引っ張られて手に取った。ても、本来の意味は知らなくて、 うちで扱ってるゲーム「ポピュラス」に似ている言葉が気になったのよ。
これっらってポピュラーからの派生語ってのは分かるけども、随分深い意味合いがあるよなぁ、 とか思って今週の言葉で扱う事になったきっかけの本
これはものすごく面白かった。第二の近代での、新しい民主主義の形を模索する中で 考え出され、生み出されつつもある、「討議デモクラシー」ってやつについて書いてる本で、 本書の中で紹介されてる、色んな「討議デモクラシー」の形や考え方も新鮮で、且つ、中々 納得できるもんやった
それに、「市民社会」と「ポピュリズム」の問題てのは、まさに今のうちらの状況でもあって、 そういう意味でも、ものすごくエキサイティング
2ちゃんねるって、昔の方が自浄作用が(気持ち)高かったような気ぃするんは、やっぱ 参加者が増え過ぎたからかなぁ、とか、ちょっと思った
日本人とユダヤ人
面白かった。けども、ここで例として描かれてる日本人の人の行動様式や思考様式 について行けないなぁ、とか、こんなんせんで、と思う事も多くて、ここで書かれてる 日本人って「東京モン」の事ちゃうか?とか思ってしまった
丁度、「擬態うつ病」が「擬態うつ病」をものさしにする事によって、「うつ病」を より具体的に掴めるようにとの意図で書かれたみたく、この本も、「ユダヤ人」をものさし にする事によって、「日本人」をより具体的に掴めるように書かれた本なんやと思う

後から、本へのリンク張ろう…かな。


2005.4.14(木)

ゲームファイアーエンブレム

てかさ、キューブ買ってから、ついてるお手紙とか見たり、任天堂のサイト行ったりして色々 読んでたらば、何だかお得な情報が貰えそうな気がして来て、クラブニンテンドーに会員登録 して、以来定期的に会員様へのメールがやって来るようになってるの。

んで、こないだ4月8日にやって来たメールに、 『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』のお知らせが載ってるじゃないのさ。

く「おおおおおっ!!キューブでファイアーエンブレムが出るんやって!ああ、キューブ こおて良かった〜。次これ買お」
む上「ほんまにおかーさんとおとーさんって趣味被るよなー。おとーさんも昨日、TVの コマーシャル見て、欲しがってたで」
く「へっ。TVCFもやってるんや。おとーさんも欲しがってたんかぁ。まぁええわ。 意見が一致したって事は、買い決定やね」

これって、アドバンスから新作が出た時には、アドバンス買おうかな〜と思わせたぐらい 好きなゲームやねんけども、私ゃイマイチ携帯ゲームでシミュレーションやろうって気には なれんのであの時は見送ったけども、一旦出るとなると欲が出てきて、バイオみたく全シリーズまとめて キューブで出たらええなぁ、とも思う。


2005.4.17(日)

多忙更新出来なかった

一昨日明け方に六甲行って、昨日は、横になったらそのまま寝てた。

今年の花粉症は結構(私には)キツくて、ずっと鈍〜い頭痛が続いてて、 イマイチぱっとしない今日この頃で、今日もさっきまで横になったまま寝てしまってた。


アクシデントだらけの六甲

六甲行ったのは、土曜(16日)の明け方、3時ぐらいに家を出た。

裏の1本目から、いきなし、ベストタイム。裏は、ノンスリ入れてから めっきりタイムが縮まって、細かいとこは色々あるかもしれんけども、道中の大部分は ほぼ大きな問題はないみたいに思えるな。

今後の最大の課題は、ゴール前の180°ターンを綺麗にクリア出来るようになって、 後に続くゴール前のストレートでトップまで持って行けるようにするってトコやないかと思う。

#んでも、裏六甲最速みたいの考えるんならば、ミッドシップよかFF車のがずっとずっと 楽ちゃうやろか?とは思う。
#んでもうちのMR2は、トルクもすごいし、よく曲がるクルマなんで、操作はシビアやけども、 乗れるようになりさえしたらば、まだまだイケルで〜、とも思ってる。

で、そのまま表降りて、何時もの料金所脇でターン。スタート。

おおっ、前回よか曲がり方がシャープ。オーバーアクションが殆どないって感じ。 ストレートも踏めてる。連続ヘアピン抜けてちょっと上がった先で、最初の深いコーナー。 あー惜しい。やっぱ立ち上がりで持って行かれそうになってしまった。てか、スピンギリギリ。

んで、次の深いとこ。おおっ、前回よかちょっと控えめなんが良かったんか、今度は ええ感じにクリア。後はどんどんスピード乗せてって、ゴール!

おっ。去年ベストまで後3秒。

く「あー、惜しい。あのスピンもどきが無かったら、後2秒。それに結構押さえがち やったとこもあったから、あの辺でもうちょい攻めてたら、去年のタイムまでは、じきっちゃう?」
だ「おお。アレがなかったらなぁ」
く「今日は、前みたくFがズルズルせんかったよねー。やっぱ多少押さえたん?」
だ「後のショックを硬してきたんや」
く「そうなん。なんでそれやったら前がもつん?」
だ「持つってよりは、後がもっと早く滑りだすねん」
く「そうなんや。そんで前が滑るより先に抜け出すようにしたん?」
だ「アクセルワークに気ィつけて、オーバーアクション控えて。ほんまはこれのが 遅なるねんけども、前が持ってかれるよりはマシやしな」
く「ふーん。んでもそれのがMR2らしい走りって気ぃする。実際早なったし」
だ「まだ余裕あるで」
く「そんな感じやった。んでもショック硬くしたらそうなるんや」
だ「でもF代えたらもっと早なるやろけどな」
く「うん。今度のボーナスはFタイヤかな〜。ブレーキも済んだし」
だ「いや。その前にオイル漏れ直さんとアカン」
く「あっ。それがあった。それからファンベルト」

とかとか言いながらも、時計がええもんやから、何か話が弾んで、御機嫌で表2本目に 入ろうと、鉢巻展望台から出て、表下りて、ターン。

おおっ。ええやん。さっきよかもっとええ感じ。二つ目の深いコーナーも無事抜けた… 所の前方両斜線を塞ぐ形でクルマが2台。つか。1台は横転したワゴン。

ひえ〜、と停まって、良く見ると、横転したワゴンの側には若い子が数人。ケータイ使って 電話もしてる。怪我人でもおるんかと、見たとこそれらしい人は見当たらんけども、「 大丈夫か?」と声かけたらば、「大丈夫です」との返事。おっと、と思ってストップウォッチ 止めて、それから脇抜けて山頂まで。

だ「もう表はアカンな」
く「うん。じきポリも来るやろし、それからなが〜い職務質問もあるやろし。怪我人が おらんみたいで良かったよね」

で、裏下りて、ターンしてスタート。やけども、イマイチ粗い。つかどっか集中力が 欠けてる感じ。

く「おとーさん。怖いんやろ。もう今日は止めとこ」
だ「おお。こりゃ別のコワさやもんな」
く「そらそーや。私かって、ラストの直線入る前には、ここ曲がったら赤いオーラ見えへん やろか?とか、そんなんばっか気になってたもん。どー考えても集中できんで」

夙川の鯉

てな訳で、結局明け方に県道16号下りて、仁川の阪神競馬場前で、明日は皐月賞やねー、 とか言いながら、芦屋方面に。夙川沿いの桜並木はもう盛りが過ぎて葉っぱも目立ったけども、 そこで一休み。

寒いね〜と、私は思ってたけども、ダンナは暑い暑いと上着脱いで、川沿いに下りた。

夙川沿いは、時間が早かったせいか、何時でもそんなもんなんかは分からんけども、 鳥がいっぱいおった。カラスに雀に鳩に鴨。花びらが川に沢山散ってて、板みたいになってた。

と、川を見てたら、錦鯉がおる。放し飼いの錦鯉とは珍しい、てんで写真撮ったよ。 ダンナは増水かなんかで飼ってたのが流れ出したんちゃうか?とか言ってたけども、 なんと錦鯉は1匹じゃなくて、2匹。増えたんか、流れ出したんか、それとも誰かが 放ったんかは分からんけども、2匹とも結構大きな鯉やった。


2005.4.18(月)

妄想バーチャルリアルバイオハザード〜近未来ゲーム

今日は休みで、こたつで2度寝を楽しんだら、楽しい夢を見た。

夢の中で私は、バイオハザードに参加してる。つか実際に自分でゲーム内でプレイ出来る バイオハザードを遊んでて、私は、ゲーム内の駅(ほんまに電車には良く乗るなぁ。子供の頃から 駅の夢はしょっちゅう見た)で、起こる筈のイベントが起こせなくて、どこで間違ったっけ?とか 考えてる。

どうしてイベントが起きるのが分かってるかと言うと、これは2周目だからで、でもまだ 2周目なんで、イベントをキッチリ把握しきれてなくて、私の記憶では、この車両に乗ってると、 電車に雷が落ちるだか、電線が破壊されるだかで、電車が停まってしまって、困って 線路に下りたら、向うから量産型タイラントがやって来るって事になってたはずで、ここで このタイラントをとりあえず倒したらば、線路づたいに向こう側に抜け出せるはずやってんけどなぁ、 とか思いながら、思ったようなパターンで停まらなかった電車を下りて、さてどうしよう?とか考えてた。

どーゆ訳だか、夢の中で、ちゃんと前回のプレイのシーンを思い出してて、ここがちょっと違うなー とか、こんなとこなかったで、とか思ってる。

あー、もしかしたら乗る車両が違ったかなぁ。それとも乗る電車を間違ったのかなぁ。それとも、 乗る路線を間違ったのかなぁ。いやいや、乗る時間が違ったんかもしれん、とか思いながら、 そーいや、電車の中の様子も前の時と違ったみたいな気がしてきて、そしたらば、路線も違った 気がしてきて、そういえば、乗る前にただ乗るんやなしに、ボタン押すとか、連結器切りかえるとか そんなイベントがあったような気もしてきて、あんまり思い当たる事がいっぱい浮かんでき過ぎるんで、 何にしても出なおすべーと、線路伝いに来た方向に向かって歩き出した。

線路沿いに戻ったらば、線路が分かれてるとこに行き当たって、その先に駅が見えて、 おー、あっち側にも線路があったんか。そー言えば前の時はあんな駅やった気ぃするなーとか 思いながら駅舎に入って、階段上ったらば、緑色のところに白い線が入った鉄の扉が閉まってて、 ホームに下りられなくなってるねん。えーと、前の時はこんなんやったかなぁ、とか思いながらも、 この緑色の鉄の扉に見覚えがあるような気がして、アッチへ行ってしまってタイミングが ずれたからきっとまだこの扉が開いてないんやろ。んでも、なんしかここのイベント済まさん 事には話しは進まんのやから、兎に角ホームに下りてしまう事にしよ。と、自分に言い聞かせて、 階段の脇にある窓から、駅舎の屋根に登って、そこから扉の向こう側に下りた。

ホームには、深緑の車体の電車が停まってて、おーそーやそーやこの電車やった。 確か、この電車が走り出したら雨が降り出して、電車が停まって外に出たらば、水浸しの線路の 向うからタイラントがやって来るんやった、と、前のプレイでのシーンを思い出しつつ 電車に乗った。

でもさ、全然電車は停まらんくて、そのまま次の駅に着いてしまった。

あれ?おかしいな〜、とは思ったけども、ついた駅にはなぜか民間人がよーさんおって、 何時の間にか私はバイオハザードのプレイ世界から、(夢の中での)リアルの世界に戻った みたいやねんな。

会社員さんとか学生さんとかが往き来する普通の駅の状態で、ああ、もうこうなってしまった んやから、戻るかな〜と思って、んでもここからやったら結構距離もあるんやから、 雑誌かなんか買おうとキオスクみたいなとこ覗いたらば、サンデー、マガジンみたいなマンガ雑誌と一緒に、 ゲームボーイのソフトが入ってる箱ぐらいの大きさの箱に入った「使い捨てゲーム」 てのが売ってるねん。お値段も雑誌並で、パズルとかシューティングみたいなシンプルなゲームみたいな 感じ。

薄いサンデー

この「使い捨てゲーム」って一体どんな風にゲームになってるんかが気になって、 雑誌は買わずに、それをひと箱買って電車に乗った。

買いはせんかったけども、このマンガ雑誌(のはず)のサンデー、マガジンが、 私がよー知ってる分厚いマンガ雑誌と違ってて、SPA!とかフライデーみたいなぺらぺら のマンガ雑誌になってて、しかも表紙が原色(サンデーは赤やった)1色のバックの中心に キャラクターのイラストがついてて、雑誌のタイトル以外は殆ど何も書いて無い、 なんだかポップなデザインになってて、へー、何時の間にマンガ本ってこんな形になったんや? と、ひどくびっくりした。

ま、なんしかゲーム持って電車に乗って、そんなにも混んでなかったんで、無事に座れて、 さて、と、さっき買ったゲームを箱から出したら、何か四角いプラスチックの箱にボタンが 一つ。えー、どんになってるんやろか?と、それを押したらば、なんと電車の窓にゲーム画面 が映し出されるねん。

へっ、窓ガラス投射型のゲームなん?こんにちゃっちい箱やのに、どんな仕組みになってんねん? と、思いつつ、んでもこれってどーやって遊ぶんやろ?おーそーそー、あのプラスe端末のゲーム みたく、指で押さえるよーになってるんかもしれん。

とか思って、窓に映し出された、ファンタジーゾーンぽい可愛い絵柄の縦シューの敵 キャラっぽいのを指で押さえてみたけども、全然反応無し。

げっ。全く反応せん。つー事はやり方が間違ってるんや、と思ったらば俄かに周りの目が 気になりだして、いやん、私てばかなりアホみたいやんか。

#つか、今になって思うと、電車に乗るなり「使い捨てゲーム」広げてさっそく遊ぶおばさん てのが、既にかなりアホっぽいとも思えるねんけども、あの時は、動かない事に気がついて 初めて、ちょっと恥ずかしいと思った。

と、こっそり周りを伺うと、おおっ。正面座席に腰掛けてる男子高校生グループの数人も 窓に映した使い捨てゲームをやってるやんか。ラッキー。あの子らがどーやって遊ぶんか 見たら、動かし方が分かるかもしらん。

ワイワイやってるの聞いてると、一人このゲームが上手い子がおって、みんなが彼に やってくれよーとか言って、そんで彼のプレイを見るみたいな状態になってるねんな。

流石やなー。あー、そーやったらよかったんかー、とか言ってるのを聞きつつ、その只今の プレイヤの彼の手元を見たらば、指先に何か装着してて、指を動かすとゲームが動くって 感じで、どーもそいつが無線のコントローラーになってるみたいやねん。

えー、コントローラーは別売りやったんかよ。あれなかったら遊べんのかぁ。ちぇ。 キオスクで一声かけてくれたら、それもこーたのにな〜、にしても、画面に向けへん状態の あのコントローラーで、こうやってゲームが反応するってすごいよなー。つか、 あの指装着のコントローラーってどんな感じで使うんやろ?

とかとか思ってるうちに目が醒めた。あー遊んでみたかった。


2005.4.19(火)

ゲームファイアーエンブレム@キューブ

ゲームスタート画面

という訳で、今日ファイアーエンブレム買って来たよ。つか、む下に頼んでて、 したらば結構予約がいっぱいで、現物はないって事で、三軒はしごしてやっと発見出来たん やって。つー事で、今回もフライングスタートを果せたよ。

すまんかったのぉ、とお礼を言って、んでも先に誰かにプレイされたら嫌やったんで、 ソフト逃がす為に会社まで持ってって、お持ち帰りして、んで、ようやっとさっきからゲーム開始。

んでも、主人公がぺーぺーの傭兵って設定は、ちょっとがっかり。 いずれ「秘密」が解き明かされて由緒正しいおぼっちゃんだって事が分かるんやろな〜、 とは思うけども、しょっぱなから重い責任を請け負って、誠実に懸命にそれをこなしてた 今までの王子様キャラとはちょっと違ってて、らしくないなー、と思ったり。

まだ誰なのか分かってないOPムービーの
登場人物

んで、この写真は、OPムービーのキャラ。まだ誰なのか分かって無いけども、 OPのアニメは中々綺麗。

最初のシナリオは、練習モードみたいな「序章」で、ここで基本的な操作法を練習 するようになってた。それから本編突入。

今度のファイアーエンブレムは、「難易度設定」が3段階になってて、ノーマル<ハード <マニアック。んで、最初は一番難易度の低い、ノーマルに手をつけてたけども、 よー考えてみたらば、シミュレーションRPGを難易度替えて同じシナリオやり直すとは あんまり思えんので、「序章」終えたとこでリセットして、改めてハードからスタートした。

#それに、このゲームは、死んだキャラはそれっきり失われてしまうんで、結局 気が済むまでリセットして全員生還プレイになるのだった。
#んでも、一番最初にファイアーエンブレムやった時(スーファミ版の1、2が一緒に なってるやつ)、序盤の簡単な面を、まだ小学生ぐらいやったむ下にやらしてと言われて、 簡単な面やから別にええか〜、と何気にプレイさせてしまって、エンディングに至って初めて あそこで、む下が戦死者を出してしまってたのに気がついたって痛恨の思い出がある。

で、新システムもまだよく把握してないのにも関わらず、馬に乗せたキャラを下ろして 下ろしたキャラに回復させようとしたらば、下りたターンはそれしか行動出来ないのを この時初めて知って、つか、回復出来なかったキャラに予想通り敵の集中攻撃があって、 戦死してしまったんで、さっきリセットした。

何時もむ下から、無駄に死なさないように先に取り説を読め〜、と、激しく指摘されてるにも 関わらず、今回も死人が出てから取り説を読む事になってしまった。


2005.4.20(水)

ゲームファイアーエンブレム「蒼炎の軌跡」

中々風雲急を告げ出して、つか、(多少は予想できたけども)いきなり主力ぽいメンバーが 抜けてしまったのは、ちょっと困った。

が、雰囲気としては、ここまでのシナリオはプロローグって感じで、今までのシリーズ から考えると、結構親切設計になってる気がするな。

ストーリー重視のシミュレーションやねんけども、どっちかで言うとストーリー部分よか シミュレーション部分のが面白いゲームやと(私は)思ってるんやけども、それでも 謎に引っ張られて進んで行くってのはある訳で、ここらへんのバランスのムズさが、 3種類の難易度に出てるんやなぁ、とか思う。

今回、私もダンナもハードモードで遊んで、さくっと進めたいむ下はノーマル。 で、シミュレーションは殆ど遊ばないむ上は、みんなのプレイを見ながら、ストーリーを 追っかけるそうです。

にしても、こんなゲームでも「突っ込み重視のイケイケプレイ」が大好きなダンナは、 びっくりするぐらいメンバー死なせては度々リセットしてるし、「決して誰も死なせない」 が身上の私は、同じシナリオ同じ難易度じゃ、ダンナよかずっとずっと死者は少ない (つか、最初のミス以降はクリティカルでの一撃死を一度受けただけ)けども、 スピーディなプレイが出来なくて、むやみやたらとターン数を稼いでる。


2005.4.21(木)

ゲームファイアーエンブレム「蒼炎の軌跡」part.2

ファイアーエンブレムじゃなくて、ファイアーエブレム、でした。


日常どうしても書きたくなってしまった

バレンタインの日、仕事の帰りにミスドに寄った。

ものすごく寒かったんで、家に帰る前に、ちょっとだけお茶してぬくまろうと思ってたのね。

ミスドはそこそこ混んでたけども、コーヒーとオールドファッション持って開いてる席を探したらば、 (一人やったんで)カウンター席に座れた。

私が座った席の隣には、若いカップルがおった。おー、そういや、今日はバレンタインやったよなー。 ここで待ち合わせやったんかなー。

彼女は、安室奈美恵系の、ややファニーフェイスぽい雰囲気のある可愛い顔下した子で、 今日の為のおしゃれなんやろな〜と思える、勝負っぽいミニスカートにメイクもマニキュアも綺麗に キメてて、うーん。若いっていいよな。彼氏は、カジュアルやけどもカッチリしたジャケットに、 染めて無い短髪の、割りとマジメぽい雰囲気の子。どっちも十代と思える可愛らしいカップル。

何だか、彼はノートにシャーペンで何か書きながら彼女に一生懸命説明してる。隣に座ってるから勝手に 聞えて来る話から、彼女は彼に勉強について何かを訊ねて、彼はそれを彼女に教えてるんやな〜、 てのが分る。

彼がノートにサラサラ何かを書いてる様子とその雄弁さから、彼はきっと勉強が良く出来るんやな。 と思う。そしてその一生懸命さから、彼女に聞かれたのがすごく嬉しかったんやろな、なんて考える。

だけども、彼女は、彼が話してるのは、ロクに聞いてない。彼女がノートは全然見ないで、 彼の顔ばかり見てるのからそれが分る。彼女は分らないところが分るようになりたいんじゃなくて、 彼女の為に一生懸命話してくれる彼が嬉しいんだ(たぶん)。

一通り説明したところで、彼が聞く「どう、分った。」彼女が答える 「えー、全然わからないよ。」「うーん。じゃ、もう一回。」「えー、私もういいよ」

彼は、もう一度説明を始めたけども、もう彼女は聞いていない。彼にもたれかかって、 彼の指を弄ぶ。

とうとう彼は怒りだし、怒った彼に彼女がふくれる。かと言ってどっちも席を立てず、 かと言ってどっちも謝れず、かと言ってもう楽しく時間を過すことも出来ず。

彼女はケータイを出してボタンを押し始め、彼氏は、ソッポを向いてノートをひろげ。

彼女は彼といっしょに居たい。一緒に居て、おしゃれした私を見て、喜んで欲しい。 彼は彼女に話を聞いて欲しい。話を聞いて、分ってもらって、それが出来た自分に驚いてもらいたい。

おお、なんちゅう切ない青春のディスコミュニケーション。

こっそり溜め息をつきながら、二人はこれからどうするのかなぁ、と、ぼんやり考えながら、 私は席を立った。


2005.4.22(金)

ゲームファイアーエムブレム「蒼炎の軌跡」part.3

てか、ティアマト 強過ぎ。ゲーム性損ねるやんか、とか何とか言いながら、すっかり頼りっぱなし。

なもんで、うちんちネーミングは(美しき)金太郎。絶対斧持って産まれてきたんやでー、とか 言ってる。

んで、お笑い担当は、参謀(見習)のセネリオ。ネタの宝庫って感じのキャラの立ち方やもんな。

キャラの個性とストーリー性が、コマの移動って感じやったシミュレーションに、面クリ以外の 面白さも加えてて、はい。良く出来たゲームです。

もっとも、む上は、戦闘シミュレーション部分は簡単にして、もっとサクサクストーリーが進んで、 アニメ部分が充実してるサクラ大戦みたいなゲームやったらもっと面白いのにな〜、と言ってて、 ダンナは(軍人将棋みたいな)戦闘部分よか、下準備の方がどっちかで言うと好きみたいで、 武器を作れるって辺りに今回かなり魅力感じてるみたい。でで、レベル上げ好きのむ下は、 そろそろ精鋭作りに取りかかった様子。

私は、どっちかで言うと戦闘部分が好きやねんけども、どの部分も程ほどに楽しめる、 このバランスの良さが気に入ってたりする。


2005.4.24(日)

ゲームファイアーエムブレム「蒼炎の軌跡」part.4

ノーマルでサクサク進めてたむ下のアイクは、Lv20でカンストしたらしい。

ストーリー進めんと、上級職にはなれんのは、今までのシリーズでもあったけども、 途中で頭打ちするとなると、アイクよか他のメンバーに経験値振った方が効率的って 事になるな。んでも、そーなると、命中率が低いキャラにはオリジナルの武器持たせんと、 色々めんどい事が起きてしまいそう。オリジナルの武器、すげー高いし。

ちなみに、む下の武器ネーミングは、ひらがなで日用品、私は零号壱号てなナンバリング方式、 そしてダンナは漢字二文字の日本刀風、てな具合になってます。


2005.4.25(月)

思索わだかまり

結婚してあまり経っていない頃やったと思う。日本の軍事費に関するニュースだかを 見ながらダンナとしゃべってた。

く「なぁ、GNPの数パーセントだかって予算もやけども、日本の場合って大部分の 武器兵器は輸入やねんから、金額の割りには、内容はイマイチって部分あるんやろ?」
だ「おお、そうやな。仮想敵国をソ連として、米軍の準備が整うまで、その上陸を食い止めて 持ちこたえれる程度の軍備や。まぁ自衛隊の軍事力ってその程度のもんや。専守防衛やしな」
く「実際に戦争やれるような力ってないねんから、そんに神経質になる事ないんちゃうん?」
だ「それでも、今の軍事費は金額にしたらかなりの高額やぞ。アジアじゃ最大やないか」
く「んでも金額が大きいたって、例えば同じ予算でアメリカやったりしたら、もっとずっと凄い 軍備が出来る訳やろ。それに、自衛隊には研究開発費みたいのは殆ど無いんちゃうの?」
だ「たとえそうやったとしてもな、アジアでは、まだまだ日本の軍備にはもの凄い危機感 もっとる国がよーさんおんねん。戦争はそんな大昔の事やないねんからな」
く「ああ、ほんまや。そうやねぇ。じいさんばあさんとかが日本軍に殺されたり、 ひどい目にあったって人が実際におるんやろからね。確かに日本の軍備って聞いたら穏やかには 受け止めれんかもしれんね」
だ「そやから、自衛隊は今のままで丁度ええんや」

もうとっくに中国との国交は回復してたけども、まだソ連があった頃で、もしかしたら、 丁度最初の教科書問題が起きた頃やったかもしれん。

こんな話をしたのが(私の記憶では、って但し書き付きで) まだ下の子を産んでなくて、神戸の北区に居た頃やから、かれこれ20年前の事。

自虐史観とは言うけれど、私達(の田舎限定やったんかな?)は、小中高を通じて、 太平洋戦争については、学校ではあまり授業らしい授業を受けていない。

原始時代から始まる歴史の授業は、明治維新ぐらいにはタイムアウトになって、 後は駆け足で、教科書を読んでおくように、で、終わってしまったのだ。

だから、教科書問題が起きた当時、友人と、そこらへんってうちら学校ではやってないよ ねー、みたいな話をして、こうやって今の問題に直接関わる可能性がある、近代史に 近いとこから学校でやって欲しいよねー、みたいな話をした。

そして、これと前後した時期に至って、やっともうちょっとちゃんと知りたいと思って、 高校生用の日本史の参考書(山川のやつ)を買って来て読んだけども、「自虐史観」 と言える部分がどこに当るのか、みたいな事は、私にはもうひとつよく分からなかった。

ここまでやって初めて、(やっと)起きた事を書いていなかったから問題だったのか、 それとも、数字に間違いがあったのが問題なのか、それとも起きていない事を書いてしまったのか、、 みたいな事は(よく考えてみれば)こんな資料じゃ分からんのや、と、気がついた。

恥ずかしいけども、私はこの話をした時に初めて、日本は戦争の加害者でもあったんや、 て事を具体的に意識した。ダンナは、戦後の支払いは済んでるんやからこれ以上何か特別な 行動を起こす必要はないけども、それでも政治的な配慮は必要や、て立場やった。

++++++++++++++++++

個人的な経験の話が、「国際問題」みたいのにどのぐらい有効なのか、私にはわからへん けども、私は、人の心性の普遍性を信じてて、それは「誰にでも適用できる」とか、 あるいは「大多数に適用できる」と言う意味じゃなしに、私のように感じる(≒考える)人は、 決して私ひとりじゃない、てな、多様性に依存した形で普遍性を信じると言った、 何だか逆説的な普遍性の信じ方をしている。

この、「決して一人じゃない感」みたいのは、実際に接触した人から得られる時もあれば、 (文学作品や映画やゲームや雑誌etc.の)雑多なメディアから得られる時もある。

どちらも、多分に情報化のお陰って側面はあると思うねんけども、私が、「違い」によりは、 「共通点」により多く反応するてな、自分の傾向も関係あるんじゃないかと思う。

私がこんな自分の傾向に気付いたのは、同じメディアに触れながら、「違い」により多く 反応してしまった為に、「孤立感」を深める人が居るんだ、とウェブを得る事によって初めて知った からで、これによって、メディアと多様性の「怖さ」みたいのも実感出来たのは、(自分にとって) かなりの収穫やと思ってる。

だけどもこんな、何だか中途半端で矛盾を孕んだ考え方は、あらゆる物事には絶対はない と信じている人にも、物事の基本には普遍の真理があると信じている人にも( 私には、この両者は矢印の方向が反対になった同一線上のもののように思えるんやけど)、 説得力のある説明が出来るような気がしなくて、かと言って、偉い人の話を引いたところで、 私が思っているようには伝えられないように思えるねん。

もちろん、それが無効とは思ってないし、私自身すごく 勉強になるとも思ってるけども、長くて、しかもむつかしー話を辛抱強く最後まで読み 通して、且つ、(書いた人が意図する形で)正しく理解しようと思うと、それなりの時間 (と知識と洞察力と想像力とetc.)が必要で、そうなると、私の力量じゃ何とか理解しようと努力 するのでイッパイで、自分には、そういった形で何かを伝えるだけの力量があるとはどーにも思えない のよ。

それならば、個人的な体験談を出来るだけ具体的に(かつ出来る範囲で 客観的に)書いた方が、伝わり易い、つか、ちょっとはマシな伝え方が出来るんやないかと 思っている。

#こういった長ったらしいやや堅めの文章を書く時に、私が前提にしてるのは、うちのことか そこらへんの私に近しい人たちで、時に愚かで、時に賢い、私と同じような十把ひとからげの一般人 で、よく考えてみると、それはつまり、私にもよく分かる方法で、私が納得できるように私に向けて 書こうとしたならば、そうするのがええんやないかと思ってるって事になるんやな。
#自分で文章書いてて怖いなぁと思うのも、良かったなぁと思うのも、書く事で自分の限界が ものすごく良く見えるって事やないかと思う。

てな長い長い前振りは、これから書く「許す」と言うことに対する、ある種の考え方を 導き出す元になった、ものすごく個人的な体験に、私は(一種の)「普遍性」があると 信じている事を何らかの形で明示したかったからです。

++++++++++++++++++

うちの両親は、どっちも(母親だけの)片親やねんけども、父方は死に別れで、 母方は生き別れなのね。父方の祖父は父がまだ子供の頃に、村で赤痢が流行った時に、4 人の子供と一緒に死んでしまったんで、私とは全く接触が無い。だけども、母方の祖父は、 私が産れた時にはまだ生きてて、まだ赤ん坊だった私を見に来た事があるらしい。

私には産まれたばっかりの時の記憶は(当然)なくて、だから、私は、自分の父が 祖父になるまで、祖父と言うものに触れた事はなかったけども、まるっきり 触れる機会がない人には、特別の感情を持ちようもなく、祖父に対しては、 文字通り、「なんとも(何にも?かな)思っていなかった」。

ある時、小学校高学年ぐらいに買ってもらったジュニア文学全集にあった、 菊池寛の「恩讐の彼方に」を読んでいたら、母がひょっこり言い出した。

は「ああ、「恩讐の彼方」ねぇ。それはものすごい話やねぇ。菊地寛ったら、「父帰る」 ってゆうのもあってね、あれ読んだ時はびっくりしたで」
く「なんで?」
は「あのねぇ、昔におじいちゃん(=母にとっては父)がいっぺんひょっこり家に帰って 来た時があってね。その時の様子がまるっきりこの話と一緒でねぇ。てるちゃん(=長男) は怒りまくるし、おばあちゃん(=母にとっての母)はおろおろするし」
く「そうなん?!そんな事があったん。おじいちゃんって一体どうなってたん?」

それから私は、母から、初めて母方のじいちゃんの話を聞いた。

母方の私の祖父は、祖父が若い頃、仕事かなんかで鹿児島に行ったさいに、祖母と知り合い恋に落ち、 まわりの反対を押しきって駆け落ちして、母が育った三重県の漁村に戻って来た。

祖父は、その土地では網元だか何だかの結構な金持ちやったらしいんやけども、勝手な結婚を した事と引き換えに家督を譲り、祖母と4人の子供をもうけた。

てだけやったらば、中々ロマンチックな話やねんけども、祖父は、そんな事になってしまった 郷里で暮らす事を好まず、妻と子供を残して方々をうろつき、いい人が出来たんだか 何だか全く家に寄り付かなくなり、生活の不便から、祖母は遂に祖父と離婚して、(今は町になってる けども、当時が村やったんか、町やったんかは私にはよー分らん)村の大きなお屋敷の女中を しながら女手ひとつで4人の子供を育て上げた。

#その後の祖母は、子供も片付いたにも関わらず、それでも、ずっと仕えた家への愛着があったのか、 今度は、大きくなったそのお屋敷の子供が東京で所帯を持ったのについて行って、そこで血栓で 倒れるまでずっと女中さんをやってた。

この話を聞いた時、ばあちゃんは偉いなぁと思ったし、それにちゃんと応えて、キチンとした 大人になった母の兄弟も立派だと思ったけども、じいちゃんはほんとにひどいやつだ、 みたいな激しい怒りは覚えなかった。

それは、その時の私が只今の良い結果だけを知っているからってのが大きいと思うし、 母を含む母方の兄弟が、じいちゃんについて悪く言うのをそれまで一回も聞いた事がなかった てのも大きいとは思うけども、だからと言って、じいちゃんを受け入れたってもんでもない。

何と言うか、少なくとも、こんな無責任でいい加減な人がじいちゃんで良かった、とは絶対に 思えない訳よ。そんな人の血が流れているから嫌だ、みたいな強い嫌悪感もなければ、 どこかでバチが当って不幸な人生を送ればいいんだ、みたいな恨みつらみも 直接接触の無かった私には持ちようもないねんけども、それでもどうにも軽蔑してるの。

激動の時代を生き抜いた事実は、それだけで充分に年長者への(それなりの)尊敬の 理由になると私は思ってるけども、それでも祖父の行為は許せない。

だから責めたいとか、責任を取らせたいとか、謝らせたいとか、そんな気持ちは (実害が無かったのだから当然といえば当然やねんけども)ないねんけども、だけどたぶん、 (あまり思い出さないとか忘れる事はあっても)許す事はないと思う。

誰もがそうとは限らんと、私も当然思うけど、私のような形で心に何らかの「わだかまり」 を抱える人ってのも、決して少なくないんじゃないかと思ってる。

原因も、あり方も、そりゃさまざまだとは思うけど、「許す」と言われたから「許された」と 思うのは、少々想像力が欠けてるんじゃないかと、私には思える。何と言うか、傷は癒えても 傷跡は消えないもんなんじゃないかと思うのよ。

ついてしまった傷跡を嘆いてもしょうがないし、ある意味それは勲章(私は、無垢が美しいとは あまり思っていない。少なくとも、傷だらけである方がより美しいと思っている)でもあるんじゃないかと 思っているけども、ただ、そういうもんがあるんだ、て事は、忘れちゃいけないな、と思う。


2005.4.27(水)

ゲームファイアーエムブレム「蒼炎の軌跡」part.5

ボス直前で、まさかの死人を出してしまって、再びリセット。あんまりむしゃくしゃしたんで、 そのまま電源切ってしまった。一息入れてからリトライしますわ。

(上手い訳でもないんだから)止せばいいのに、勝利条件以外にも、ごちゃごちゃ 自分条件設けてしまってて、非常に非効率的な進め方してる。

こんな風な癖みたいなもんって、どんなゲームやっても出てくるよなぁ、と思う。

私は、多少縛りが多い方がよりスリリングな遊び方出来ると思ってるフシがあって、 精鋭作ってさくっと進め、キャラを楽しみストーリーを追っかけるむ下とは、対極みたいな遊び方。

ストーリーの部分に少々うざいなぁて気分を持ってて、キャラに関しては、楽しみは するけども、感情移入する事が少なくて、それよか経験値を無駄を出さずに効率的に割り振る にはどうしたらいいのか、とか、与えるダメージに余分が出るのが気持ち悪いとか、 クリアする為に必ずしも必要とは思えない部分に、無駄に囚われてしまうのよ。

つかさ、こーゆー、ものすごくどーでもいい部分に思う存分拘れるから気持ちいい、 てのもあるの。こんな奇特な遊び相手って、機械しかないよな〜、とも思う。

てか、これぞコンシューマのスタンドアロンのゲームならではの楽しみ方やないかと密かに (ても、今明らかになったけども)思ってたりして。

だってさ、この手のシミュレーションゲームのCOMの行動パターンてのは、 合理的なだけに、だいたい誰でも見当つくねんな。実際困るのは、援軍とか、クリティカル みたいな、予想外の出来事があった時で、そーゆー事があるってのを前提にプレイしつつも、 それが起きて初めて、プレイヤのフレキシビリティが求められるって感じやねん。

だから、機械相手に面白みをより深める為には、多少オリジナルのルールを設けた方が楽しくなる ように思えるし、もう一方で、そんな勝手なオリジナルルールって、人間様相手じゃ、 当然やれんもんね。

一方の、ネトゲは、私はトンプーしかやらんけども、これは、人相手の方が断然面白い。

私は、上手い打ち手じゃないけども、状況(戦況)によって、全く同じ手でも、全然 違う打ち方するし、たぶん、相手の人もそうやないかと思うねん。

こちらは、麻雀と言う、既に出来あがった厳格なルールの元で、人のフレキシビリティを楽しむって 感じ。


2005.4.30(土)

音楽(かな?)狂い咲きサンダーロードの曲

昨日、仕事終えて家に帰ったらば、む下から聞かれた。

む下「おかーさん、狂い咲きサンダーロードって聞いた事ある?」
く「おお、田舎で暇こいてた時に見たで。結構おもろかったで。一般向けやないかもしれんけども」
む下「え〜〜〜、見た事あるん?!」
く「うん。私ワリと変な邦画チェックしてた方やったし、あの頃は独立系のそんなん結構あったしな。 つか今でもVシネマがあるか」
む下「そうなんや〜、見てたんや〜」
く「うん。んでも、あんたこそ、どっからそんな映画の情報仕入れたんよ」
む下「オレ今な、Mods集めてんねん。んで、モッズがこの映画の音楽やってたから、どんな 映画なんかな〜とか思て」
く「んー。暴走族の話やねんけども、すっげ荒れた雰囲気でさ、どんどん事がエスカレートするに 従って、ずんずん浮世離れした雰囲気になっていって…見た方が早いな。んでも、音楽が 誰やったかなんて全然考えんかったな」

それからひとしきり、む下のモッズ話になって、どーもね、こういった廃盤系の曲は、 アマゾンよか、楽天のが充実してるんやって。

言われてみたらば、大型店(アマゾン)と市場(楽天)やったらば、得意分野って微妙にずれてる よな〜と思いつつ、楽天個人商店さんは、申し込んでから、商品が着くまでが早い、とか、 カード持ってる方が有利って訳じゃないとか、個人経営の良さがちゃんと生きてるみたいよ。

んで、そんなこんなの話しながら、モッズを聞いた。狂い咲きサンダーロードのシーンを 思い出しながら聞いたせいなのか、ちょうどそんな気分やったからなのか、結構沁みた。


end

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