September

2004.9.1(水)

映画(わりと)新作DVD@シービスケット・頭文字D

明日休みなんで、DVD借りてきたよ。

シービスケットは、そりゃもう、気持ちよくぼろぼろ泣きながら見ました。馬が好きなら、 かなりかなりお勧め。てか映画館で見たかったかも。

#てか、時々映画館に行って見ようよ、てな作品があるねんけども、ついつい時期を失して、 結局DVDになってるなぁ
#休みは大抵ドライブになってる、てあたりにも原因あるねんけども、 ちょっと待ったらDVD出るしね〜てのも映画館遠のかせてると思う

頭文字Dは、プロジェクトDの方に入ったとこからやねんけども、マンガに出ててアニメにない 部分に少々不満が残ります。


2004.9.2(木)

ゲーム遅刻の理由@お菓子なダンジョン〜極上

昨日中に更新出来なかったのは、思いの他デフラグに時間がかかったからで、 待ってる間退屈なんで、デフラグ見張りつつケータイゲーム@お菓子なダンジョン〜極上 やってたんやけども、やっぱめっちゃ電池の減りが早くて、途中で二回充電し直した。

プレイ中にイキナリ「充電して下さい」の警告が出て、他の操作を受け付けへんように なるんは焦ったけども、充電終わったらちゃんと「つづきから」が選べてほっとした。

前の時には、マップは決まってるんやと思ってたんで、リンクとトルネコ合わせたみたい、 と書いたけども、これは、ランダムダンジョンて事で、ファンシーなトルネコ、と呼んだ方が ええみたい。

ケータイゲームて、昔々J-phoneのゲームが出来るようになったぐらいの頃の端末で、 「テトリス」と「もぐらたたき」やってみた時には、こりゃ遊べんなぁ、と思ったけども、 これやったら充分にちょっとした携帯ゲーム端末として楽しめるなぁ、と感心感心。

でも、その場で方向転換できんのと、ナナメ歩きできんのが、ちっと不満かな。てか ケータイゲームって、8方向に対応してるんやろか?


映画(わりと)新作DVD@指輪物語〜王の帰還・頭文字D

で、昼間はのんびりDVD鑑賞。指輪物語はクライマックスから終わりまで。スケールの 大きな戦闘シーンがやっぱ見せ場になってるんやけども、大き過ぎて、活劇感(て言葉ないよなぁ、 造語です。)は前作よりちょっとダウン。アクション性−3で、スペクタクル性+4。 重い部分も多いんで、ちょっとしんどいけども、見ごたえは充分。ラストは少々冗長過ぎた気がする かな。

頭文字Dは、無理無理ありえね〜とか騒ぎながらも、やっぱ面白かった。


2004.9.3(金)

雑誌の話をした

どろろがゲーム化されるって、TVでやってて、む下に聞かれた。

む下「どろろってどんな話なん?」
く「ん〜と、名前忘れたけども、平安時代ぐらいの公家の人が禍禍しい神だかなんだかと 今度産まれてくる息子と引き換えに政権くれみたいな契約して、産まれたのが百鬼丸。 魔物に持ってかれてしまってたんで、体中のパーツが全然ないひどいカタワで、産まれて直ぐに川に 流されたんやけども、ええ人に拾われて、その人が仮のパーツを作ってくれて、パーツを奪った 妖怪を倒すと、その部分が戻って来るんで、自分の体を取り戻す為に、百鬼丸は妖怪を求めて 旅をするねん。んで、どろろは、そんな百鬼丸と知り合って、おまえと居ると得をするみたいな 理由で、後付いて来る子供の盗賊で、そんな二人の旅の話。何回かバラで連載し直したりしてた 気ぃするな」
む下「そーなんや。結構おもろそうやな。怖いん?」
く「そうやね〜、安部清明みたいなんと、昔話の怖いやつが混じったみたいな感じかな」
む下「オレ、そやけど手塚治虫ってイマイチしんどいな。観念的つーか」
く「んー、モノによるんちゃう。アクション性が高いやつのが楽しい思うで」
む下「誰のでもアクション性が高い方がおもろいやんか。ブラックジャックとかやったら読みやすい けども、火の鳥はちょっとね〜。なまこはないよな〜」
く「あれ、ナメクジちごたっけ。未来の方より古代のがおもろいよね」
む下「オレもそうおもた。あんな観念的なの連載とかやってええん?」
く「COM連載やったからね。虫プロの雑誌やろ。ゆうたら自腹よ」
む下「やろな〜、商業紙じゃやれんやろ」
く「メッセージ性が強いからね。んでも、丁度あの頃がそんな時代やった、てのもあるし。 メジャーな少年誌じゃやれんことやりたかった、てのもあるやろし」
む下「そうなんや。でもオレあの時代の人やったら、横山光輝とかええかな」
く「そやね。私は、始まったばっかりぐらいのマガジンとかやったら、プロレスマンガと、 おそ松君かなぁ」
む下「永井豪のギャグはどうなん?」
く「私ゃ永井豪は、シリアスなストーリーものよりも、エロとギャグのが好きやったで」
む下「ケッコウ仮面とか?」
く「それ、永井豪やったっけ?あ、そうやった。どっきり仮面やないもんな。ありゃエロやな。 後は、白土三平とか」
む下「カムイ伝ね。ガロやったっけ?」
く「うんそう。でも最初は忍者武芸帳で、少年誌では、サスケとかワタリの連載もあったで」
む下「なんでガロやったん?」
く「火の鳥と同じような理由ちゃう。時代もあるやろし。実際当時の全共闘世代の大学生の圧倒的な支持を 受けたみたいやし」
む下「そうなんや〜」
く「まだマンガが市民権得てなかったから、これでどうや、みたいな気負いもあったんかもしらんなぁ」
む下「確かに、今でもマンガは一段下みたいに思ってる人もおるみたいやしな〜」
く「そうやね。ゲームかって、まだ、どうやったらゲームをさせないように出来るかみたいな事で 困ってる親の人もおるみたいやもんね」
む下「そうなん?ああ、そうかもしれんなぁ。そういやファミ通って元々アスキーの雑誌の コーナーやったん知ってる?」
く「読んだことないけど、ログインとか?」
む下「おー、そーそー」
く「なんかみょ〜にらしい気ぃする。んでもうちんち、最初っからファミ通やったんやないねんで」
む下「そうなん」
く「そりゃ、あんたはよーちえん行くか行かんかやったから覚えてへんかも知らんけども、最初の頃は ファミマガ買っててん。そやけど、ファミマガな、途中からゲーム雑誌てよりは、ゲーム広告紙みたく なってって、どのゲームも激賞するもんやから、アテにならんな〜、と思うようになってさ」

#「ファミコンジャンプ」コンビニで発売日に買うてしもたんが未だに悔しい

く「そんで、ファミ通見てみたら、レビューがかなり良くて、それからシフトしてん」
む下「マルカツは?」
く「ありゃ、RPG色が強過ぎてね〜」
む下「角川やしな。そのつもりでやってたんやろ」
く「んで、レビューはファミ通で、詰まった時には、必本少々て感じよ」
む下「かなりマメにやってたん?」
く「つーか、昔のマンガが洗練されてなくて、何でもアリやったみたく、ファミコンもやっぱ 当たり外れが大きかったからな〜。スーファミになったらそうでもないけども、ファミコンって そうやったやんか。」
む下「確かに、出したもん勝ちみたいな部分あったかもな」
く「やりくりしながらゲーム買おてたから、情報収拾は大切やってん」


2004.9.4(土)

ゲーム又、おかしなダンジョン〜極上

を、ついつい遊んでしまってたんやけども、F20あたりで、無念のゲームオーバーになって しまった。

序盤は全然武器が落ちてなくて、ずっと素手で戦ってたのが、F15からどんどん出てきて、 この装備やったらイケルかもしらん、と思ったのが、「カタナブレード」と「バトルアーマー」 になった時で、「鈴華の腕輪」2個で、やれる、と自信を持ったのが失敗やった。

F20に入った所でモンスターに囲まれた時に結構腹が減ってたし、HPも心もとないんで、 一旦倒されて復活しようと、何の手も打たずにやられて復活したらば、「つづきから」始まった 瞬間に混乱させられて、手も足も出せないうちにおしまい。

他の2個のゲームが単純になってたから、サクサク進むもんだと思ってたけども、 やっぱちゃんと取り組まんとあかんなぁ、と、反省。


2004.9.5(日)

あの頃地震が来た時

うち帰って、先ずは一服、と、コーヒー作って飲もうとしてたら地震が来た。

最初は、あっ、来た、と思って、中々止まらないんで、さて、何しましょう、と思ってたら、 (夜勤に備えて)寝てたダンナが起き出した。

だ「TV点けろ」
く「ちょっと待ってよ。今無理」
見たら、む下が(まだ結構激しく揺れてるにも関わらず)居間に転がって寝てる。
く「む下。起きて起きて、はよタンスから離れなさい」

と言ってる間に、食器棚の上に置いてた箱が落ちてくるし、冷蔵庫の上の神棚からは、神様の 食器は落ちてくるし、一体これはこのままどんどん揺れが大きなるんやろか?それともぼちぼち 止まるんやろか?と思い始めた頃にようやっと揺れが止んで、TVを点けた。

震災情報から、実家のあたりはもっと揺れたらしいのが分かって(あかんかもしれんなぁ、 と思いつつ)家電かけたら繋がらないんで、次はケータイ。これも無理。結局9時前にやっと繋がって 無事を確認。

く「大丈夫やった?」
母「たっちゃんからも電話あったで。心配したみたい」
く「電話全然繋がらんかったで」
は「そうやったんや。こっちは大丈夫やよ。ずっと揺れてるから、ちゃんとおじいちゃんに玄関 開けさせたし」
く「動けたん?」
は「津波来た時に比べたら(←三重県の漁港のある町の出身で、子供の頃に 南海大地震で津波を経験している)大した事なかったで。 これぐらいやったら大丈夫や思たし」
く「あぁ、あれ程やなかったんや」
は「あの時に比べたらかなり余裕あったね」

と、余裕ぶっこいてるんで、すっかり安心して電話を終えて、確かに、阪神大震災の時も こんなもんやなかったよな〜、と、あの夜の事を思い出してた。(つづく)


2004.9.6(月)

あの頃地震が来た時part.2

#ネットでちょっと調べたら、あの地震を風化させないために記録を残そうてサイトもあったんで、 もしかしたら、私もそっちに投稿した方がええんかもしれんなぁ、と思ったけども、手続きとかめんど そうやし、募集期間も終わったみたいやったんで、やっぱ自分の記録だけにしとくことにした。
#念の為にリンクは貼っておきます。 阪神大震災を記録しつづける会です。

私は、震災前夜、つか1月17日の明け方午前4時頃まで、暮れに発売された スーパー桃鉄V99年COM(3人えんま)対戦一人プレイやってて、え〜かげん寝ようと 思って布団に入ってうとうとし始めたら、そんなに時間も経たないうちに揺れ始めた。

寝た直後やったからか、揺れがものすごく大きかったからかは分からんけども、 ガガガガだかドドドドだかゆうものすごい 音がして、目が醒めたら揺れてて、あ、地震や!とは思ったけども、あんまり凄い揺れ過ぎて、 どっか嘘みたいな気もした。

兎に角、隣で寝てる子供のとこへ行こうと思ったんやけども、揺れが大きくて、立たれへんねん。 柱に掴まって寝室から出たら、桃鉄同様、去年ダイエーの安売りで買ったばっかの一体型の パーフォーマー(mac)が、PCラックと一緒にぐらぐら揺れてて、一瞬、これ落ちて壊れたら むっちゃつらいなぁてキモチが頭を掠めた。

壁やら柱やらに掴まりながら、どうにか子供の部屋まで辿りついて、子供の寝てる二段ベッド に向かって大声で叫んだ。

く「起きなさい〜!!地震やで〜。何か頭に被りなさい〜

したら、寝起きが悪いむ下は、まだ寝てたみたいやったんが、ぼや〜っと頭上げて、まだ 私の言う事は把握できてないみたいな感じできょろきょろしてて、寝起きのいいむ上は、ぱっと 起きたのはええけども、(なぜか)枕元にあったらしい、(50cmx80cmぐらいの、 丁度、何かのお返しとかで時々頂く、タオルシーツの箱の蓋みたいな)薄い紙の箱を頭に 乗せてて、それが地震の揺れでひらひらしてた。

「何か」じゃあかんかった、と、思い直して、

く「布団かぶってそこから動いたらあかんで〜」

と、言い換えた。ダンナはもう出勤してる。揺れがすごくて、殆ど動けない状態で、 アタマには、どっかで聞いた事ある、「出口を確保」とか「火を止める」が浮かんだけども 暗い部屋の中ではそれは出来そうじゃなかった。

少し揺れが小さくなったところで、子供部屋に行こうとして、ガラスでちょっと足を切った。 食器棚の方は無事やったけども、本棚のガラスの扉の部分が割れてるのに、この時やっと気が付いて、 慌ててスリッパを履いた。

うちんちの所在は、神戸市西区で、被災地としては「普通」ぐらい。

ただ、西区はすごく広いし、この地震のタイプはそうらしいと後で知ったけども、 活断層に沿って被害が広がっているので、円の中心の一点が最も被害が大きく、外側に行くにつれて 小さくなってるて具合でもないんで、どの辺が一番ひどかった、て分け方は難しい。

淡路島の中でもひどいところとそうじゃない所があるし、神戸がよく知られてはいるけれど、 西宮のJR沿線や、芦屋の六甲あたりがかなりの被害を受けている、て感じで、かなり細かい 被害状況の違いがある。

揺れが止んだ所で、社宅を出ようと思って、子供に靴を履かせて、それから、お〜そーそー、 と、思い出してキャンプで使う寝袋を開きの戸だなから出してたら、む下が、これも要る? と、聞いてきたのが、学研の学習雑誌の付録になってた、手作りラジオ。おお、エライエライと、 それも持たせて社宅の部屋から出た。


2004.9.10(金)

ウェブお知らせ@PC不調

PCとか、使ってるソフトとか嫌な感じに調子悪いので (書いている途中で落ちたり固まったりする)、ちょっとの間更新をお休みします。


2004.9.11(土)

ウェブメモ@PCの変な状態

とは言え、書かないでいたら、もうずんずん嫌になってしまいそうなんで、状態のメモぐらいは やっておこう。

何時も使ってるエディタの.htmlファイルをIEに関連付けしてて、ファンクションキーで、 ブラウザでの「見栄え」を確認できるようにしてたんやけども、それが出来なくなった。

出来なくなっただけなら(めんどいけども)何とかならんでもないねんけども、それやる度に PC引き連れて固まってしまう。なんで急にそうなったんか分からんのやけども、どう言う訳かツールバー いじってても同じ症状。スタートボタンから設定いじろうとしても、それだけで固まる。

ウィルスチェックの方は、一応大丈夫みたいやし、上の作業やらないと、(一応)問題無く動いて いるけども、何が気に障ってそうなるのかよー分からん。

エディタをアンインストールして入れなおそうかな、と、思いつつも、只今の使い勝手の状態 をリセットしてしまうのが、惜しくいのと、コントロールパネルそのものがおかしくなって しまってるみたいなんで、思いきれない。困ったなぁと思いつつ、ついついフリーセルやって、 時間が過ぎてしまう今日この頃なのでした。

そんな具合なんで、もうすっかりめんどくなってしまって、「見栄え」を確認しないでUP してしまう事にしました。

お見苦しい点が、いっそう増えているかもしれません。ごめん。


2004.9.12(日)

あの頃地震が来た時part.3

#おっくうがっててもしょうがないし、不都合があるかもしれないお知らせもやった事やし、 てんで、せっかく思い立った、地震の記録を済ませてしまう事にした。

社宅の廊下に出たら、みんな部屋から出てて、口々に凄かった、怖かった、と言いながら、 もう中には入れそうにないね、と、前の駐車場に集まった。

暗くてあまりよく見えなかったけども、部屋の中はもうぐちゃぐちゃで、倒れてる家具もあったし、 ガラスも落ちていた。

外は、まだ暗くて、すごく寒かった。近所の家の屋根が真っ白なんで、寒いと思ったら雪降って たんか、と、思ってたんやけども、あれは雪じゃなくて、粉々になった瓦やったと分かったんは、 明るくなってから。

うちの社宅は仕事柄、早朝からお父さん達は仕事に出てる事が多くて、休みに当たってた少数の 男性の他は、女子供と年寄りばかりで、まだ、ケータイも今ほど普及してなくて、出ている人に 直接連絡は出来なかった。

駐車場で、どうする?すごかったね〜、怖かったね〜、とか話してたら、新聞配達の人が バイクでやって来て、いつも通りて雰囲気で、新聞配って行ったの見た時は、プロ根性を見たような 気になった。

余震も続いてるし、何か落ちてきてもあぶないだろう、と言う事で、社宅の裏にある空き地に 移動して明るくなるのを待つ事にした。ずっとつけてたむ下のラジオの毎日放送からは、「これは、 本当に緊急事態です。大変な災害になっています。充分に注意して下さい」みたいな内容の、 被災者に注意を呼びかける放送が続いていた。

だいたいみんな空き地に移った時に、(当時はまだ)社宅に住んでた課長さんが、ガスの元栓の 確認をしたいと言い出して、戻れる人は戻ってガスを見に戻る事にした。

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後から思い出したけども、家を出る時に、寝袋とラジオの他に懐中電灯も持って出てて、 最も活躍したのもこいつでした。

うちの社宅の間取りは、3LDKで、細かい見取り図みたいのは割愛するけども、4階建ての 築20年。入り口が北東に向いてて、奥の南西側がベランダ。うちは3階の中央にあります。

懐中電灯を持って靴を履いたまま部屋に入ったら、入り口すぐの本棚の本が全部床に落ちてた けども、本棚そのものは倒れてなかった。この本棚は、腰ぐらいの高さの引き出しのある台に、 文庫用の割と幅の狭い本棚を上に乗せて繋いだ半手作りの棚で、普通の本棚よりも背が高くて 天井につくようしてるやつ。

その奥にある、ガラス戸のついてる本棚のガラスは割れて、やっぱり本が散らばってた。 その奥が居間になってて、居間には和ダンスと整理ダンスが並んでます。これはいわゆる嫁入り道具に 持って来た品でして、うちの家具の中じゃ割りと「ええやつ」で、すごい重いねんけども、 この整理ダンスの方が繋ぎ目から上の部分が落ちてしまってた。ひっくり返ったタンスの背中の部分に、 夏に仕舞い忘れてタンスの上に置いてあった、「虫除けスプレー」が刺さってたのには、 びっくりした。

そして、倒れたタンスの角が当たって、TVの前に置いてたスーファミの角の部分が割れて しまってた。これ見た瞬間、あ〜、こら消えたな、と、セーブデータの心配をして、それより あの時あのままゲーム続けてたら、これ私に降って来たんかもしれんな、と思うと、 結構タッチの差やったんやな、と思った。

そのスーファミの前にあるTV(26インチのやつ。液晶とかじゃないんで、結構でかい)も、 TV台から転がり落ちてた。

荒れまくった部屋を通り抜けてベランダに行って、風呂のガスを確かめた。ガスは切ってたけども、 元栓は締めてなかったんで、その時締めた。

それから部屋に戻って台所のガスの元栓。台所の床は、油入れの油がこぼれてべたべたになってた。 幸い食器棚は倒れてなくて、中の食器も殆ど割れてなかった。

うちのあたり程度の揺れ方が、震度にしたらどのぐらいになるんか具体的な数字はよーわからん けども、食器棚の食器は、全滅の家と無傷の家があった。

どうも、食器棚の向きと場所、それから地震揺れの方向が関係あったみたい。

ガスの元栓を締めて、それから、お金と子供の着替え(つか寒かったんで上着)を持って、 また社宅から出た。(つづく)


2004.9.13(月)

あの頃地震が来た時part.4

もう一度外に出た頃には、明るくなり始めてた。

ガスがすごく気になったのは、「地震→火の元」と言うお馴染みの地震の時の心構えみたいのも あったけども、それとは別に、外に居てもどこともなくガス臭かったから、てのもあります。

やたらとガス臭いので、タバコの火を点けるのがちょっと怖くて、どうなってるんかね〜、まさか ぼんっ!とかこんよね〜、みたいな話もした。(ぼんやりしてたのか、逆に知識があったのか、 それとも大胆だったのかは分からんけども)一人が火を点けたのを見て、やっとその他の人々(含む 私)がタバコを吸い始めた。

考えてみると、うちの社宅に限って言うなら、プロパンガスになってる訳やねんけども、どこがどうなって こんな風にガス臭があるんか全く分からんので、ものすごく気持ち悪かった。

時間が早かった事もあって、どこの家でも煮炊きはやっていなかったし、風呂を焚いていたと言う 事もなく、うちの周辺では火事は全く起きてません。

ガス臭かったのは、ガスの元栓とは直接関係ナシに、ガス管が所々破裂していたせいらしいと 分かったのは後になってから。

とは言え、うちの社宅周りに限らず、ガス臭い場所ってのが所々にあって、ガスが臭ってる、 と言った所ですぐにガス屋さんや消防署が来れる状況じゃないのはもう分かってたから、 何か感じ悪いよな〜、と思いつつやり過ごすしかなかった。

多少落ち着いて来たあたりで、子供もざわざわし始めて、食べるもの、どうする?みたいな話が出て、 高山さん(仮名)とこの奥さんが、とにかくみんなの家の「ごはん(=食事の事じゃなくて、 白米そのものの方)」集めてお握りにしてしまおう、と提案。

各家庭から残ってる白米とラップと塩なんかを持ち寄って、空き地でお握りを作って、それを (主に)社宅の子供に食べさせた。この時、家にどのぐらい(煮炊きする事なしに直接)食べられるものが あるか、みたいな話も出た。

明るくなって来たのと、もうあれ以上の揺れはなさそうなのとで、戻って寝たり休んだりする気には なれなかったけども、ちょっとずつ、家に入っては中の様子を確認したり、必要そうなものを 持ち出したりし始めた。

電話が繋がっているのと、電気が通っているのと、トイレの水が流せないのを知ったのもこの時で、 丁度家の中にいた時にかかってきた電話に出たら、埼玉の友人からで、こっちへの電話はかなり 繋がり難くなっていたという事をこの時知った。それを知って、こっちからは、実家の方に電話した (ように思う)。外からは繋がり難かったみたいやったけども、中からは、繋がりやすかったみたいです。

明るくなって改めて各部屋を見たら、子供部屋は、2段ベットも机も特に何も無く、 ものは転がっているけども、普段からそうキレイに片付いてる訳でもないんで、大きな変化はないように 思えた。

わたし達の寝室にしている社宅の廊下側の部屋は、仏壇が倒れて、観音開きの戸が外れ、線香立ての 灰が床に広がっていた。幸い自分には当たらなかったけども、枕元から数十センチの場所で、 偶然に感謝。ちょっとずれてたら、頭に直撃しててもおかしくない位置やった。

食器棚が無事やったんは何度も書いたけども、台所は流し台の上に作りつけになってる袋戸だな の開きが全部開いてしまって、中にしまってあったもの(季節モノの食器(お重とか水筒とか)や 買い置きしているラップや砂糖等)は全部床に落ちて、棚の中は空っぽになってた。

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腹ごしらえも済んだあたりで、特にする事もなくなって、もっぱら仕事に出てる人の心配をし始めた。

余震がずっと続いていたので、怖くて、部屋の中を片付けたり、近所の様子を見て回れる程の余裕はなかった。 これは、子供がまだ二人とも小学生やったって事も関係あると思う。小さい子供や年寄りが居たなら、 そっちの世話が最優先になるし、何より先がどうなるのかもまだよく分からない状況で、 彼らを置いたままにして動く事は出来ない。

うちは幸い社宅なんで、社員さんが会社と直接連絡をとって、家と仕事に行ってる人との窓口に なってくれたけども、どの家庭でもそれが出来たかどうかは微妙なとこやないかと思う。もっとも、会社とは連絡出来たけども、 みんな出てしまってたんで、結局それぞれが戻って来るまでは、ちゃんとした安否確認は出来なかったけどね。

天気の良い日で、空き地で所在無く回りを眺めてたら、東の方の空に冬だと言うのに大きな入道雲が 出来てて驚いた。もしかしたら、地震が起きたからこんな雲が出たんかなぁ、と、その時は一瞬思ったりも したけども、後になってニュースを見て、あれは、火災が原因で出来た煙だったのかもしれないと思った。


2004.9.14(火)

あの頃地震が来た時part.5

簡単なご飯を済ました時期と前後してやったか、水道の水が出ないらしいってんで、 貯められるだけ水を貯めて置こうと、家にある水が入りそうな容器(水筒とか、ペットボトルとか) に水を貯めたような気がする。

#気が、と書いたのは、どうやって貯めたのかをよく思い出せないからやねんけども、 家にあった器類に水を入れられるだけ入れて、空き地に置いていたシーンが浮かぶんで、最初に水を用意 したのはこの時やないかなぁ、と、(勝手に)思ってる。

水が流れないので、子供に、トイレが済んだら風呂の水を洗面器に汲んできて流すように、 と通達。併せて、(男の子二人なんで)トイレは「大」のみ使用して、「小」の方は外で済ませよとも。

地震当日は、出ている人が何時戻るのかも分からないのと、かと言って部屋の中に居るのも気持ち 悪いので、ずっと社宅の裏にある空き地に居た。

昼前にダンナが戻って、それと前後して他の人も帰って来た。

ダンナが戻った所で一緒に部屋に戻って、倒れていたTVを元に戻して点けた。その時になって 初めて、震災の様子をTVで見た。当初は、「兵庫県南部地震」の名前で放送されてた。

#その後、誰にも見られて居ない時にこっそりスーファミの電源も入れてみたら、ちゃんとついて、 桃鉄のセーブデータも無事でした。

あの日、わたし達が最も恐れたのは、余震と、それに伴うんじゃないかと思えた今以上の崩壊です。

具体的には、今んとこはとりあえず社宅は建ってはいるけども、もう一度揺れたら壊れてしまう かもしれない、とか、部屋の中に居る時にもう一度揺れたら、何かが壊れたり倒れたりして怪我を してしまうかもしれない(最悪の場合は、建物の崩壊に巻き込まれてしまう事も含む)、 みたいな事を恐れたんで、当日と翌日の二日間は、クルマの中で寝て、必要がある時(着替えとか 食器とかの生活用品を取りに入ったり、トイレとか)だけ部屋に戻った。

社宅の建物そのものに大きな変化はなかったけども、所々にヒビが入ってて、それ以上に驚いた のは、社宅の裏側にある駐輪場の先の小さな崖みたくなってる場所が50cmぐらいズレてしまって、 駐輪場の屋根の柱の場所が、崖ギリギリまで迫ってしまってた事と、社宅の角のダクトみたいな 部分が、やっぱり50cmぐらい浮いてしまって、下に大きな空間が出来てしまってた事やった。

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とは言え、子供もおるし自分の腹も減る訳で、ひたすら心配ばっかしてる訳にもイカンので、 ダンナが戻った所で、子供見てもらっといて、人づてに開いてるらしいと聞いてた、ミニ・コープ まで買い物に出た。

店はお客さんでいっぱいで、もうあんまり品物は残ってなかったけども、即戦力になりそうな もの(主にパンとお菓子)を買った。水も火も必要なインスタントラーメンには、 触手が動かなかったけども、オーブントースターで焼ける餅は買った。正月に近かった事もあって、 実家から送って来てた餅も役に立った。

ダンナはキャンプ道具を持ち出して広げてたけども、ホワイトガソリン使う2口(くち)コンロは、 燃料を入れるのに手間がかかり過ぎて、イマイチ。それよりも、地面に直で置いてしまえる ガス付きコンロの方が手軽で便利やった。

だけども、長時間火をつけたままにするのは気が進まなかったし、水が使えないって事は、 後片付けも出来ない訳で、ガスコンロは、コーヒーを入れるのにだけ使った。


2004.9.15(水)

あの頃地震が来た時part.6

当時のクルマは、日産のホーミーやったんで、シートを倒したら、四人で寝る事も(多少は 狭かったけども)出来たけども、クルマの中で横になってると、外に立っている時よりも、 揺れをよく感じたんで、揺れる度に目が醒めて、全然眠れなかった。

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だいたいこんな感じで地震当日は過ぎた。

翌日には揺れもかなり少なくなって来て、家の中を片付けにかかった。仏壇がひっくり返って 灰だらけになってる部屋は、だんなにとっては、「見るとうんざりする」らしく、起こしてもらえ なかったんで、自分で立て直した。

ダンナは被害の酷かった場所を通過して戻ったから(やないかと後から思った)か、地震の後ちょっとの間、 苛立ちがちやった。子供は、学校が休みになったんで、社宅の子供同士で、よく遊んでた。

当時は、社宅に高校受験を控えた子がおったんやけども、中学生は、空き地に共用の台にと提供してた キャンプ用の机でUNOやってた。

うちには、怪我した人も死んだ人も居なかったし、不動産を失った訳でもないんで、多少揺れがおさまった ところで一番困ったのは、何時までも水が出なかった事です。

部屋の中は片付いて来たけども、風呂もトイレも使えず、1日に3回(ぐらいやったと思う)来る 給水車を待って、やって来たら、バケツやら空き瓶やらの水が汲めるものを出来るだけ用意して、何回も 部屋と給水車とを往復した。

水が出る出ないは、水道管のどこが破裂しているかで変わったのか、うちの近所は、1ヶ月程 水が出なかったけども、子供が通ってる小学校は出てたみたいです。

同じような被害状況やったり近所やったりしても出る出ないの違いがあったみたいで、 うちも割りと水が来るのが遅い方やったけども、長いところやったら、3ヶ月出なかった場所も あった、と、後から人づてに聞いた。

水を汲む為に、灯油缶の新しいのを用意して台車で引っ張ってる人も結構居たけども、うちは3階で、あれ一杯 に水を入れて持って上がるのはしんどいし、使う時もかえってめんどそうに思えたんで、うちでは 用意しなかった。

調理は、結構長い間火を使わずに電子レンジで済ませて、食器もラップを被せたり、紙皿を使ったり した。洗濯と風呂は、地下水が使えるらしいダンナの会社の独身寮のお世話になった。

途中から、うちの方の水道は使えないけども、近所にある中学では使えるようになった、て 話を聞いたんで、トイレはそっちを使うことに変更した。

++++++++++++++++++

私が直接した体験はだいたいこのぐらい。後は、聞いた話を箇条書きで少々。


おもちゃケータイ電池

てか、ちょっとしたメモなんやけども、ケータイゲームするようになると、カメラ以上に電池の 減りが早くて、ちょっとした子ヒマにゲームしてて電池がなくなるんじゃ意味ねーよなぁ、とか 思って、だけども、コンビニで充電してまでケータイゲームはやらんし、とは言え、充電器繋いだ 状態でケータイゲームするんじゃ(結局今はそうやってるけど)モバイル端末としてどうよ、と 思って、そやそや、ソーラーシステム付きのケータイがあったらええんや、と思い当たった。

んで、もしかしたら既にそんなケータイがあるかもしれんと思って探してみたらば行き当たったのが、 この、ソーラー式充電器と、 手動式充電器 やねん。

へ〜、こんなんあるんや〜、結構ええやんか、と、一瞬おもたんやけども、これやったら、 ケータイと充電器の両方持たんとあかん事になってしまうから、電気代の節約とか、簡単に充電 できんよーな場所に行くような場合に使える(ても、簡単に充電できんような場所やったら、 ケータイそのものが電話として機能するかどうかも微妙な気ぃする)てあたりに 関してはよさそうやけども、おおっ、コレ欲しい!て程の魅力はないなぁ。

私が勝手に妄想して、あったらいいな、と思ってたのは、ケータイの表面から太陽光を取り入れられる ソーラーカードと電池が連動してるケータイで、使いながらちょっとずつ充電ができて、 んで、そのソーラーカードと電池がセットになってるカセット型(←勝手にタイプまで決めている) の充電式電池は、日の当たる所に置いておくだけで充電できて、簡単に入れ替えも出来るようになってるねん。

そやけど、この充電器のサイズ見たら、そう簡単にクリアできる問題やないみたいやなぁ、と 思った。


2004.9.16(木)

多忙爆睡

おとといの日記。

ちょっと横になって、みやいじってたはずが、目が醒めたら翌朝。


2004.9.17(金)

旅?久々六甲

昨日の日記。

ごっつ久しぶりに六甲に行った。楽しかった。


2004.9.18(土)

日常どうして?

さて、どうしてごっつ久しぶりのドライブになったのか、てのについて書こうか書くまいか、 ちょっと前から考えてたんやけども、まぁ、無事事無きを得たんで、その辺の事情を少々。

一言で言いますと、ダンナが免停になってたからです。

コトの起こりは今を去る事(だいたい)四ヶ月前。違反切符がやって来た。

く「わ〜、えらいこっちゃ。30日間の免停になってるで。どしたん?」
だ「シートベルト不着用で最後の1点がなくなった。そやけど、講習受けに行ったら大丈夫や」
く「ほれみぃ。シートベルトを笑う者はシートベルトに泣くねん」
だ「ワシだけっちゃうのに、何でワシやねん!」
く「神様に愛されてるんちゃう?神棚も祭ってるし」

とか何とか言いながらも、講習受けに行って、免許は何とかキープしてたんやけどね、 又新たな違反切符がやって来たのよ。今度は、免停60日に講習受けて30日。仕事中の事故 やったんやけども、前回のシートベルト不着用がなかったらば30日(講習で免除)になってたと言う、 何だか不幸なオマケつき。

く「え〜、仕事どうするんよ?」
だ「大丈夫や。ここで溜まってる有給使う」
く「この講習の後の試験てのに落ちたら60日て書いてるで。念の為勉強とかしといたら?」
だ「こないだやったばっかりやから楽勝や。そんなん受けんでもええぐらいや」
く「アッチ行ってそーゆー態度とってたらあかんで」

とかゆうてたけども、会社の方で免許要らない仕事用意してくれて(ありがとうございます)、 1ヶ月のチャリ通勤も何事もなく過ぎまして、昨日が免許解禁日やったんですわ。

免停 てのは、結婚以来(では)初めてで、前回のシートベルト不着用時の後1点までは、 コツコツ駐禁で点数貯めて、シートベルトでトドメさされました、て感じになったんやけども、 一旦こうなってしまうと後が大変なんで、今日から1年、せいぜい気をつけないとなぁ、 とか思います。はい。


音楽ドライブの友

ナイトウィッシュ@ワンス

んで、今回は久々に新しいアルバム持ってドライブしてきた。

ちょっと前にダンナが買って来てて、お〜、これ免許返って来たら絶対持ってこね、と、言ってた ナイトウィッシュの「ワンス」ってアルバムで、シンフォニックメタルたらゆうジャンルなんやって。

映画のサントラと聞いてもおかしくないような、ものすごくドラマチックな楽曲に、 メタルでありながら、綺麗で伸びのある声の女性ヴォーカリストの人が歌ってるんやけども、それが いい感じにマッチしてて、中々幻想的な雰囲気。

秋(から初冬)の夜のドライブにはかなり持って来いでした。

ただ、綺麗で聴きやす過ぎるんで、バキバキのメタラーさんには、ちょっと物足りないかも しれんな。


2004.9.19(日)

多忙目が醒めた

時は朝だった。ダイエービールは、 缶ジュースよりも安いから、どーも飲み過ぎてしまう。


2004.9.20(月)

日常スキー・ペア新作

深夜から早朝にかけてのドライブで、裏六甲は週末らしい賑わい、つか結構走りに来てて、 やっぱ平日のが人が居らんなぁ、とか思いながら、元気な若者に事故るなよ〜、と心の内で声援。

クルマの中で仮眠とったつもりが目が醒めたら朝になってて、下山して ガスト (ても、アトリエシリーズのガスト じゃなくて、ファミレスの方)でモーニング。

んで、ガストにある、あのタッチパネル式のモニター(テーブルコンテンツ、て名前らしいのは 分かったけども、紹介してるページは発見出来なかった)で、今回もついつい遊んでしまった。

前の時は、タダの占いと、タダのホラー見て、これで終わりにしようかと思いながらも、ついつい 頭文字Dの動画(有料)まで見てしまって、それが意外にしょうもなかったんで、今度はタダのだけ で遊ぼうと思ってたんやけども、コンテンツ見てたら、あの スキー・ジャンプ・ペアの新作ぽいのが あったんで、やっぱり見てしまった(108円)。

が、その後で、あれは、プラスe端末 と呼ぶことが分かった。

これがまた、すごい楽しいのよ。ガストだけのオリジナルなのか、この頃流行りの相乗り型の プロモーション用なのかは分からんけども、うちらが見たのは、 HALCALI がスキー・ジャンプ・ペア競技に登場するって設定の只今絶賛配信中(らしい)のやつ。 3本でこのお値段が安いのか高いのかは微妙なとこやけども、私は、面白かったから今回は納得。

ても、このコンテンツ、有料のやつってまだ2本しか見てないんやけども、他のはどんな具合に なってるんか、ちょっと気になるな。


2004.9.21(火)

集計画面

ゲーム相変わらずフリーセル

やっと、1000面突破。始めたばっかりの頃は、24%ぐらいやった、勝率もじわじわ上がって 50%のタイまでやって来た。

んでも、イマイチ上達してる感がないねんな〜。なんつーか、「考えてる」てよりは、 「探してる」て感じのプレイぶりです。

ソフトに従ってプレイしてるから、出てきた面は、Normalばっかやねんけども、こないだ 難易度の名前確認して笑ったよ。

Easy>Normal>Hard>Nightmearになってんねん。ナイトメアて何よ、 つか怖いなぁと思いつつ、一体何時になったら、そんな悪夢に悩ましてもらえるんかなぁ、とか、 このリストがじわじわ埋まっていったらやっぱ嬉しいよなぁ、とか、でも、素直に最初はEasy から始めた方がリストがもっと早く埋ったかなぁ、とか、でもそれやったら、折角多少は 「掴み」かけてるんがあかんくなりそうやなぁ、とかぼんやり考えたりしながらも、今日もよく 遊んだ。


2004.9.22(水)

日常秋支度

今日は、休みやったんで、先々月末にダンナが発見した古着屋に行った。

今もらったチラシ見たら、お店の名前は King Familyてとこで、 全国展開してるリサイクルショップなんやって。

ここに来たのは今回で3回目。1回目に来た時はまだオープンしてない時で、2回目は まだ免許があった頃で、あの時は、ダンナはGジャン買って、私はノースリーブのブラウス 1枚。両方合わせても2000円でおつりが来たよ。

あの時は、いずれこのブラウスに合うスラックス買ったら、少しばかりおされして ドライブに行こうと構えてたんやけども、免停がやって来て、結局あれは出番無しのまま夏が 終わってしまった。

んで、今回は、私のジャケットを見繕いに行った。私は自主的に服を買う事がめったに なくて、こないだ六甲行った時にだんだん寒くなって来て、ダンナのGジャン借りて着てたのが 気になってたみたいで、今日早く帰って来たダンナが、お前のも要るな〜、とか言い出して行く事になった。

#服を買うのが嫌いなんじゃなくて、つかむしろ好きやねんけども、私は服のサイズの不自由な人で、 自分に合うサイズの服を探すのが大変なんで、どんどんおっくうになって行って、そうこうするうちに、 なんや、服買わんかっても全然不便やないやんか、と思うようになって益々構わなくなる悪循環なのだった。
#ただ、そうやってると見る人が見ると、見かねる部分があるのか、服をくれる人も結構いるし、実家から も服送ってくるし(これは、母がすごくおしゃれでいつでも私のファッションの心配をしているから、 てのもある)、ダンナもワリと積極的に私の服の心配してるみたいに思う。
#んでも、そうやって周りが私のファッションの心配してくれるんで、んじゃソッチに任せてしまえば いいや、て気になってしまって、いっそう構わなくなるという新しい悪循環にもなっていたりする。

んで、Gジャン買って来た。やっぱりサイズに不自由しまして、てか古着屋なんで、サイズが合えば めっけもん、てな部分があるねんけども、そこはそれ、(コノゴロはすっかり開き直って)子供服の とこに丁度いいのがあったのよ。だから、ファミリー向けの服屋さんは好き。お値段は、500円ちょい。

それから、ベルトも買った。ベルトは、結婚したばっかりぐらいの頃に買って、気に入ってずっと 使ってたやつが、ついこないだ、とうとう壊れてしまったんで、新しいのを買いたいと思ってたのよ。

ベルトはね、気に入ったのは高いし、でも、何回か安いベルト買って、すごく失敗してもいるんで、 私の古着屋さんでの密かな狙い目の品でして、前に行った時も見たけどいいのがなくて、 それが今回は気に入るの出会えてらっき〜。こちらもお値段は500円ちょい。

古着屋さんは、ものすごく意外な商品も置いてて、見てて楽しい。セックスレスにエイジレスで、 紳士物のスーツとか、スポーツウェアみたいな何かに特化してるような服以外なら何でもアリて 雰囲気で、わくわくする。

物凄いケバいデザインの真っ赤な ドレスもあったし(舞台衣装か?それともお色直し用なのか?)、ウェディングドレスもぶら下がってた。 一体これは何時頃、何処らへんで流行ってん?と思うような、不思議なデザインのブラウスとかもあったし、 いかにも御年配向けて雰囲気の、ひらひらの花柄シリーズもあったし、若い頃はコレでブイブイ言わせて ました、てな、押し出しの強そうなショッキングピンク総スパンコールキャミソールもあった。

普通にお店に並んでる服以上にサイズが豊富なのも面白い。まるでヒップサイズのようなウェスト サイズのスカート見た時は、嘘みたいやな〜、と思ったよ。

かわいくて楽しいから、子供服も一通り見たよ。女の子居ないけども、つか既にちっちゃい子は おらんけども、赤の小さいギンガムチェックに綺麗なスモッキング刺繍のワンピース見た時は、 うちにちっちゃい女の子がおったら、これ絶対買うよな〜とか思った(一瞬、みやに無理やり着せて みたいとも考えた)。


2004.9.23(木)

ウェブ難病奇病

昨日、リンクのリンクとかはてなとか辿ってたら面白いものを見た。

不思議の国のアリス症候群 てやつで、はてなにされた質問の答えにこれがあって、このURLはそこにあったリンク先。 名前の面白さに興味を持って行ってみたらばこんな名前の病気(?)がほんとにあるのを知って びっくりした。

んで、実はこの症状に、私も少々心当たりがあったんで、改めて「不思議の国のアリス症候群」 で調べてみたらば、 2chにちゃんと専用スレッドがありまして、読んでみたらば、分からんのもあるけど、分かるのも 結構あるのよ。特に、寝る前に布団に入ってたら起きるやつなんかは、かなり「ああ、アルアル」 な感じ。

たださ、このスレッドにも書いてるみたく、確かに子供の頃の方が多かったと思うし、それに 私は、子供の頃は頭痛持ちやったけども、大人になって、コーヒーを飲むようになってからは、 めっきり頭痛との縁も切れて、あの感じも、タマにしか来なくなったし、そのタマがやって来ても 久しぶりに起きたな、ぐらいに思ってた。

それに、何より、気持ち悪いなぁと思ってたあの感じも、ちょっと大きくなって人づてに「金縛り」と言うものの存在を教えてもらってからは、それらは全て「金縛り」 の一種なんだと思って、疲れが溜まったシグナルとして処理してた。

「金縛り」てのが「心霊現象」じゃなくて、脳の連絡ミスから起きる身体症状だと知ったのは、 金縛りて言葉を知るよりも後やったけども、(心霊現象としての)「金縛り」て言葉を知る以前から この手の身体症状があったんで、「金縛り」と「心霊現象」を結びつける事が(私には)なかった。

けども、もしかしたら、私が「金縛り」だと思っていたのは「心霊現象」の「金縛り」とは全然違う ものなんかもしれんな〜、と、この病名知って逆に思ってしまった。

ただ、私の経験してるこれが、不思議の国のアリス症候群なのか、結構誰にでも起きるちょっと した脳の連絡ミスなのかは、私には分からない。

子供の頃も、今も、だいたい布団に入ってうとうとし始めた時に起きるんで、もしも私の症状が 不思議の国のアリス症候群やったとしても、それで何か困った事があるかと言うと、 うとうとし始めた所で布団がぐりぐり回り始めたりしてしまった為に、急にバッチリ目が醒めて しまって、落ち着くまで眠れない、て、感じの睡眠不足になりがちってぐらい(もちろん毎晩て訳 でもないし)の実害しかないねんけども、一度だけ、昼間、突然ものすごいリアルさでもって、 身体感覚の異常を経験した事があって、あの感じがここにある症状ともちょっと違うようにも 思えるんやけども、ものすごく不思議な体験やったんで、いっぺん提出してみようかな、と、 思い立ったのね。

#幻聴とか、デジャヴとか、(実は)時々あるねんけども、この手の体験って、人に言っても、 病院行けと言われるか、単なる錯覚と言われるか、又は逆に、私にもあるよ、と言われた所で、 だからどうこうなるってもんでもないんで、今まで、この手の自分の身体に関する 異常な気はするけども実害の無い事についての話は、身内にも他人にも殆どしてない。
#でも、あのスレッドに勇気付けられて、そんな病気があるんなら、データの一つとしてここに書いて おくのも何かの足しになるかもしれんな〜、とか思ったのよ。

++++++++++++++++++

それは、何年ぐらい前になるんかなぁ。地震以降で、ネット以前やったと思うから、数年前 てとこかな。

丁度家には私しか居なくて、何だかのんびり、箱座りして、新聞だか雑誌だかを読んでたんだわ。

私は、雑誌とかを読む時は、箱座りで読むのがデフォルトで、新聞に乗って読んでる姿なんかは まるで猫だと子供から言われる。

そしたら、急に背中が重くなってどんどん膨らんで硬くなっていって、でも、それは自分の 体じゃない感じで、ものすごく気持ち悪かったから、箱座りを解いたの。箱座りを解く時も、 背中が自分の背中じゃないぽい気がすると言うか、背中が「鉱物」になっている みたいな感じで、ちゃんと動けないような気がしてた。伝わり難い気がするけども、 背中が鉱物になっているような身体感覚があったのよ。

一体何がどうなってるねん??と、一度落ち着こうと思って、目を動かしたら、て 変やけども、なんつーか、とりあえず目を動かそう、みたいな感じでもって、周りを見たらば いつもと変わらない部屋の中に、さっきと同じ状態で雑誌があって、よしよし、周りは変わって ないぞ、とは思ったんやけども、箱座りを解いたら今度は、膝から下が膨らんで、どんどん 大きくなっていくねん。

なんなんよ、これ、と思って自分の足を見ても、特に状態は変わってへんのやけども、 私の身体感覚は、どんどん大きく重くなって遠ざかっていく膝から下を感じてるねんな。 見えてる状態と、身体感覚が全然違うねん。

こんなん、絶対おかしいやんか、と思って、確認の為に足を触ってみようと思ったの。 目の時と同じで、気分的には、この私の手は私の足に届くんやろか?みたいな気持ちが どっかにあったし、それ以前に、このバカでかい膝から下を自由に動かせるんやろか? みたいな疑問もあった。すごく重いものを動かすような変な感じでどっこいしょ、と、 足を動かそうとしたら、いつもの足が思ったような場所に移動したんやけども、 私の感覚では、丸太をゴロンと横に転がしたみたいに思えた。

んで、そーっと、ずっと遠くにあるように思える私の足に手を伸ばしたら、 見えてるように足に手が届いた。

届いたんやけども、触ってる感じがやっぱりおかしいねん。私に見えてるのは、 いつもの私の足を触ってるいつもの私の手やねんけども、私の足の身体感覚はものすごく大きくて 膨らんでて、私の手の身体感覚は、ものすごく大きくて膨らんでる足を手探りしてるみたい やねん。

あの時は、正直、私もしかしたら、気が変になったんとちゃうやろか?と思って、 いやいや、キチガイは自分がキチガイだとは思わへんハズやから、これは、単なる 身体感覚の異常に違いない、と打ち消しつつも、どっちにしても、ずっとこのままやったら絶対 まずいで、どうしよう??!て不安でごっつ怖かった。

果して、一体どうやってあの状態から元に戻ったんかは全然思い出せんのやけども、 ものすごいドラマチック(と、言うのか?)な体験やったんで、アレは一体何やったん やろか?てのは、長く私の気がかりにはなってたのよ。

昨日、さしあたっての病名みたいのを知って、もしかしたら、これなんかもしれんな〜、 とは思ったけども、原因みたいのはまだよく分かってないんやって。

麻薬による幻覚症状にも似てるらしいから、脳内麻薬の一種がなんかの拍子にうっかりこぼれて こんな事が起きたりもするんかな。

てか、今ついでに「 金縛り」 も調べてみたらば、私が「金縛り」に分類してたやつって、「金縛り」やないみたい。

私は、睡眠中、又は睡眠前後に起きる異常な身体感覚って全部金縛り って事にしてたけども、横になっている時に動けなくなって息苦しくなる状態を「金縛り」と 呼ぶみたいだわ。

じゃ、あの私が体験してた幾つかのあの身体感覚は、やっぱ「不思議の国のアリス症候群」 に入れといた方が近いんかもしれんな。

でも、これって病気なの???02:15 2004/09/24 +0900


2004.9.24(金)

ゲームフリーセル@もう病気

フリーセル、今日は勝率が51%に上がった。ちょっと加速ついて来たかな。


2004.9.25(土)

多忙寝過ごし

昨日の日記です。只今から、今日の日記に取りかかります。22:46 2004/09/26 +0900


2004.9.26(日)

旅??早朝六甲

#いいかげん、「旅?」ってジャンルから「ドライブ」ってジャンルを独立させた方が ええんかなぁ、とか思いつつも、ただ乗ってるだけの人が「ドライブ」ってジャンルで 何か書くんっておこがましいかなぁ、とも思えるし、でも、私はダンナが運転するクルマに 乗ってるんがすごく好きで、それは自分が運転するのとは別の楽しさがあるんやけども、 それを「ドライブ」ってジャンルにするんはちょっと違ってる気もしてる。
#だけど、ダンナはマメに記録するようなタチでもなけりゃ、文章を書く生活習慣も ない(私もサイト持つまではそんな生活習慣がなかったから、人のこと言えんけども)んで、 やっぱ書いときたいな〜、て気はする。
#私自身は、自分がクルマに乗ってた頃はタコメーター見ながらニヤニヤするってタイプの 運転を好んだ

さて、昨日更新出来なかったんは、昨日は朝から六甲登ったもんで、うち帰って晩御飯終わったあたりで むっちゃ眠くてしょうがなくなって、そのまま今朝に至ったんだわ。

免許戻って来たから、遅れを(何の?)取り戻すべく、私は午後から出勤やったんやけども、 ダンナが休みって事で、早起きして(起こしてもらった)早朝六甲。

お盆前と土曜との経験で、どうも休日の前日深夜(0時前後)の裏六甲は、走りに来てる元気な若者 だらけって事が分かって、それよりもうちょっと早い時間は新六甲トンネル抜けた 所にあるホテル街に行くらしい雰囲気のカップルでいっぱいなんで、やっぱ平日深夜てのが、 一番クルマ少ないかなぁ、とかゆうてたんやけども、必ずしも平日に休みになるって訳でもなくて、 休みが祝祭日がらみになる時は、いっちょ早朝試してみようか、みたいな事を言ってたのよ。

果して、起きたのが5時ぐらいで、家を出たのが5時半過ぎ。コンビニで、リポビタンと軽い朝食 用のパン買って薄暗い中を出かけまして六甲には6時ぐらいに着いた。

実はちょっと前からストップウォッチ用意して出かけてまして、でも、ここんとこ天気が悪かった から道が湿ってるらしいのと、何よりタイヤがそろそろアレなんで、ダンナが言う事には「調整メイン」。

本日は、予想以上にクルマが少なくて、中々爽快。前来た時には、うるさい外野丸出しで 立ちあがりがマズいんちゃうのん?とか言ってたんやけども、今回はソコらへん意識してか オーバーアクションは少なめやったみたい。聞くところによりますと、出来るだけカウンターを 当てずにアクセルワークで調整するように努めたらしいです。

ドライバーさんがどのぐらい意識してるのかどうかは謎やけども、ダンナの運転はメンタル要素が かなり影響しまして、相手(敵??)が居ると意識した時とか、何だか不本意な事があったらしくて 悔しいと思った時の方が「無駄」が少ないぽいのが可笑しい。

今回、クルマも殆ど無かったし、道も明るかったんで、表のヒルクライムでの、当初の目標は (ほぼ)達成。

んで、まぁまぁやったね、とか言いながら帰ろうと裏六甲下りてたのよ。タイヤもアレやし、 ブレーキパットもひぃひぃ言うんで、ダウンヒルはそんなに攻めずに流してるんやけども、さりげに タイム測ってて、ゴール(に決めてる高速の料金所前)でそのタイム見たらば来たばっかりの登り の時より「遅く」なってるの。て事を言ったとたんに「もう一本!」とか言ってユーターンして 登り始めるし。

よっぽど悔しかったんやなぁ、とは思ったけども、もうある程度走った後な訳で、 タイヤは既にずるずるやし、あのタイヤ臭がぷんぷんしてるし、いくら登りでも多少はさまさんと マズいんちゃうやろか?と思ってたんやけども、いやぁ、ごっつキレのいい運転になってまして、おおっ、もしかしたら、 これがミッドシップの正しい走り方やないんやろか?みたいな新鮮な乗り心地でさ、乗ってて すごい面白かった。タイムの方も、タイヤの状態がよかったハズの最初よりも縮んでたりして可笑しかった。

こう、タイヤがダレてるからどうしても必要以上に滑ってしまうんやけども、 MR2てすごい素直に曲がるクルマで、あっ持ってかれる、て感じの時にちょんと小さくカウンター 当てるともうそれで綺麗に曲がれてしまって、今までのFR車の時には無かった感触やねん。

ダンナはちょっと前まで、自分にクルマに合わせるか、自分がクルマに合わせるかでほんのり 迷ってて、ショックの調整でFRぽい挙動になるようにした事もあったんやけども(←クルマを自分に 合わさせる方が好きらしい)、私は、自分をクルマに合わせた方がきっと早く走れるだろうと 思ってて(←このクルマのポテンシャルはものすごいと思ってる)、絶対戻した方がええと思うと 主張してた。

結局クルマに自分を合わせる方向に決めたらしいのは、免停前の六甲で、今まで私が (たぶんダンナも)一度も経験した事ないようなどアンダーを出したのが原因と 思われる。

で、もう一回登ってしまったんならもののついでみたいなノリで、再度の方に回って下りた。

時間がある程度進んでからは、(フルカウルのホンキ度の高そうなタイプの)バイクがいっぱい出て 来てて、深夜と早朝で棲み分けてるんやね〜、とか話した。バイカーは、でも六甲よりも再度の方が ずっと多くて、伝説 にあやかりたい気持ちもあるんかもしれんなぁ、とか思った。

帰りは、「海の見えるこじゃれたレストラン」に行こうとしてたけども、心当たりがないんで、 「海の近くにあるファミレス」でおかゆモーニング。家に戻ったのが10時前で、お子はまだ寝てた。

ああ、タイヤが欲しいなー。


2004.9.27(月)

多忙かなりの後付け

昨日日記。

友人からTEL。おしゃべりが深夜に及んで、終わったところで即寝てしまった。


2004.9.28(火)

ゲームフリーセル@新規参入

相変わらずフリーセルの病に取りつかれてて、もう気が付いたら遊んでる困った状態やねんけども、 とうとうこないだ、む下が一体あれのどこがどーおもろいねん、とか言い出して、ちょっと遊び始めた。

私の場合、自分が楽しんでるゲームを他の人が遊び始めると嬉しくなってしまって、ついつい無駄に 口出ししては嫌われたりしてるんやけども、それでも(懲りずに)おーそーか、 キミもとうとうフリーセルに目覚めたのか、と、席を譲って操作法とか、コツ (とも言えんかもしれんちょっとした事)とかチャチャ入れながら眺めてて、な、な、 おもろいやろ、と、む下がひとしきり気が済む、つーか、何か予定の時間(らしい)とこまで遊ばせて、 ヤツが出かけてしまってから、あっしまった!と気が付いたのが、例の「勝率」。

クリア数が増えてくのを眺めてニヤニヤする為にソフト入れた訳やけども、それとは別に、最初から ついてた「勝率」とか「連勝」とかがじわじわ上がってくのも嬉しくて、そっちの方でもニヤニヤやって たのね。

いや〜ん、どうしよ。折角上がり始めたのにな〜、と見たら、「連敗」記録が更新されてて、 勝率が1%下がってた。

遊んだ事なかったんやからしょうがないよなぁ、と、思いつつも、ちょっとがっかり。

な訳で、ソフト使ってむ下のユーザー登録もしたよ。残る問題は、本人がそれをちゃんと 利用してくれるかどうかってあたりやねんな。

なんちゅうてもゲームな訳で、どう考えても説得力のある強制は出来そうな気ぃせんのやけども、 もしか今度あの後ムキになって元に戻した「勝率」が再び下がってたら、もう泣くかも。


2004.9.29(水)

あの頃増水

今日はずっと(毎日放送では)台風のニュースがTVモニターの上と左脇の所に帯状で 流れ続けてた。

#あ〜、これって、なんか文字放送ぽいけども、そうなんやろか、それとも別ものなんかな。
#そういや、PATにいっしょに付いて来た文字放送は、 全然面白い番組がなくて、最初ちょっと見ただけであれっきりやけども、 あれって今はどうなってるんやろか?
#と、ちょっと調べてみたのが、この 文字放送てやつやねんけども、それなりに進化してるような、あれとは別の文字放送が あるような、イマイチよーわからんな。

で、お〜ほんま今年は当たり年やなぁ、とか思いながら浸水した道路とか増水した川とか見てて、 うちの田舎もあんなんやったなぁ、とか思ってた。

台風はしょっちゅう来たし、浸水も(同じ市内で引っ越すまでは)何度も経験してる。うちは どぶ川の脇で、大雨が降ると浸水しやすい地域(のひとつ)で、台風の影響で浸水の可能性がある 時は、地区別子供会(私の通った小学校で採用してた地域別の縦割り集団)単位の集団早退が時々 あって、雨がひどくなると早退にならんかな〜、と、結構期待したりしてた。

#小学生は正当な早退の権利を得るとちょっと自慢なのだ
#らっき〜、それじゃお先に、の気分でうきうき帰るのだった

そんなこんなで、子供はそれなりに台風も面白いと思ってたけども、大人は大変で、 今はめっきり見かけなくなった気がする(つか、あれって実際に全国的にやってたんかなぁ、と、 ほのかな疑問があるねんけども)窓や入り口(ドアじゃないところがミソ)に板打ち付けたり、 ローソク確認したり、玄関(及び靴箱)に置いてある靴が浸水の為にダメにならないように 新聞紙敷いてそこに上げたり、自動車(まだそう呼んでいた)が 浸水しないように高台に運んだり、雨漏りが始まったら洗面器やらバケツやら用意したり、と、 中々忙しそうやった。

#全然手伝わないって訳でもないけども、母の指示に従うだけやったんで、 特に台風への備えが大変だった、て、気はしない
#つか、むしろ台風は身近な非日常て感じで面白かった記憶のが大きい

で、それなりに息をひそめるように(でもないけども)台風が去るのを待って、その翌日が また凄かった。

うちんちは(つかあの頃はそうじゃない家の方が少なかったけども)ポットン便所で、 たとえ床上浸水はしなくても、大雨が降ると、便所が増水してしまうのだった。

分かっちゃいるけど、大雨の後のトイレで、便器の淵から数センチの所まで上がってきてる トイレの内容物と対面するのは、見る度に新鮮な衝撃がありまして、未だにあれは凄かった よなぁ、と、ちゃんと状態が思い出せたりする。

床下浸水でこんな状態なんで、床上浸水があった後には、町内会総出で消毒作業に当たってた。

市の配給やないかと思うねんけども、一升瓶入りの白くて薬臭い消毒液が何本かあって、 それを薄めて使うようになってた。

これは、危険だからって事で子供はアッチで遊んでいるようにと命じられていた。

台風の後、奥のばあちゃんちの方に行くのも面白かった。

本流の方はそうでもないけども、 支流の方はびっくりするぐらい増水してた。清流に分類されるらしい ばあちゃんちへ向かう道に沿って流れるその川は、増水によって黄土色の濁流に変わっていて、 特に川幅の狭いとこなんかは、普段は道から5mぐらい下の所に川原や水面あるのに、 道の近くまで水面が上がって来てて、川沿いに生えてる木が水の間に生えてるみたいな状態になって、 全然違う景色みたいに見えた。


2004.9.30(木)

TVお魚になったワ・タ・シ

今日、仕事から帰ったらダンナがビデオ録画してたらしい BRAMDの 再放送の最終回を見てた。

ダンナはドラマ好きで、ジャンルは全く厭わず、「暴れん坊将軍」から「トレンディドラマ」まで 全く好き嫌いなく見てる。

私はと言うと、子供の頃から、辛抱強くドラマを見るのはどっちかって言うと苦手で、 ストーリーのあるやつはアニメオンリーで、後は、バライティやスポーツみたいな、ライブ感のある 番組を好んだ。

#む上は私以上にTVを見ているのが苦手で、かなり大きくなるまで映画を通して最後まで見て いられなかった。逆に、む下はかなりのTV好きで、どんなジャンルの番組でもとても良く楽しむ。
#当然のように、む下はTV番組のデキにうるさく、タレントにも詳しいけども、む上はそこら辺は サッパリ。

で、それが終わって次に見たのが、みのもんたの「ミリオネラ」。うちらが乗った設問は、 コペンハーゲンの人魚像で魚になっている部分はどこか?ってやつ。

この問題を聞いて、まだ選択肢が出てない時に私が考えたのはこんな事。

#えーと、あれは確か足が生えてるんやったよな。そやからこれはちょっとしたひっかけ問題で、 きっと足とは全然関係無いブブンが魚やねん。
#んーと、足とは関係ないブブンで魚と分かるったら、エラかヒレやよな。
#そやから、これはアレやな、耳の後ろに実はエラがあるとか、 わきの下に小さい腹ビレがあるとか、指の間に水掻きがある、 みたいな、50へぇトリビア級の意外性がある場所に違いないで。

みたいな事を考えつつ、4択開けたら

  1. へそから下
  2. 尻から下
  3. ももから下
  4. 膝から下

の4個で、ちぇ、結構平凡(?)な問題やったんやなぁ、とか思いつつも、あれって脚が あったと思ってたけども、あれのどこにお魚ブブンがあったんやろ?と、答えが出る前に ネット検索しながらしゃべってた。

く「えーと、あれって足あったよね」
だ「おお。あれはな、きっと美しい女性の脚を隠してしまうのは女性に対して失礼やと思って 脚つけたんやないかと思う。あれは女性に対するやさしさやな」
く「へっ?そんな事ちょっとも考えんかったなー。おー、名前は人魚やけども、実際は ふつーのヌードやんか、みたいな、下半身が魚やなかったってコトばっかが印象的で、それ以上は 考えてなかったなぁ」
だ「わし、TVで見た時、ごっつ気になってあっこらへんじーっと見てたからなぁ。」

ふーん。そんなもんなんかぁ、とか思いながら現れましたのが、こちら、 ヨーロッパの旅さんとこの コペンハーゲンの旅のとこにあった人魚像。おおっ、こんになってたんか〜、と思ってたら、 TVの方でも答えが出まして、モデルの脚が美しかったから、こんな形になりましたって説明。

へ〜、予想の方も結構エエ線いってたんやな〜、とか思いながら、この人魚像が男性版やったなら 私ももうちょっとマメに観察したんやろか?と考えて、人魚の男性版てのは、やっぱ下半身が魚 状態の雄になるんか、それとも半漁人が人魚の雄なんやろか?なんてどーでもいい事に至ってしまって ついでに調べたよ。

雌のマーメイドに対して雄のマーマンて事で、女性に比べてかなり怪獣ぽいのが多いみたい。 イメージ検索したらばドラクエのマーマンが結構かかってて、よくよく見たらこれも下半身 はお魚状態なんで、雄(男性?)の人魚は、顔が半漁人風で、下半身はお魚状態なのが基本形 なのかもね。


end

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